第99話 玄関(4)

「おいっ」

 胴間声にさらに悲鳴をあげ、頭を抱えて床に蹲る。


「男、どうしたよ。いただろうが、おい」

 下卑た笑い声を上げて、雅仁まさひとさんが「出て来いよ!」と、リビングに向かって怒鳴るのが聞こえた。


「来ねぇと、お前の女、犯してやんからな」

 雅仁さんの言葉に、弾かれたように目を開く。蹲った床のすぐ側にバールを放り投げられ、また悲鳴を上げた。バールはフローリングの床をへこませ、妙な回転をしながら床を滑る。


 だけど。

 一番恐怖を覚えたのは、雅仁さんの目だ。


 粘着質で、どろりと濁っていて、やけに好色的な瞳に捕えられ、心底怯えた。唾でぬめったように光る、唇が三日月形に歪むのを見て、震えが止まらない。


 雅仁さんは土足のまま、近づいてくる。悲鳴を上げようとするのに声が出ない。ひゅう、と妙な呼吸音が喉で鳴り、雅仁さんが馬鹿にしたように笑った。私に向い、鉄錆びと泥で汚れた手を伸ばす。


「汚い手で、コトちゃんに触ろうとするな」


 不意にそう君の声が聞こえ、私は雅仁さんの背後を見る。

 にゅっと、彼の肩口あたりから、総君の長身が覗いたかと思うと、妙な打突音が響き、雅仁さんが壁に向かって体をよろめかせた。


「な……っ!」

 いきなり背後から誰かの襲撃を喰らったと思ったのだろう。雅仁さんの顔に一気に怒気が溢れ、殴られたらしい後頭部を押さえて振り返る。


 そこには。

 私の鞄を両手で握りしめ、雅仁さんを睨みつける総君がいた。


「今度、コトちゃんに近づいて見ろ」

 総君はバットをスイングするかのように、鞄の持ち手を持って振りかぶる。


「呪い殺してやる」

 低く唸るような声で告げると、総君は雅仁さんの顔の右側面を鞄で強打した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る