第91話 寝室(5)
「数年間はそれで落ち込んで、誰とも付き合わなかったし、そんな気にもならなかったんだけど」
だって、もう、正直懲りたし、と乾いた声で笑った。
「社協に入局して、数年経って……。たまたま、同期の女の子がコンパを企画して、連れて行かれてね。
よいしょ、と仰向けに体勢を変えた。
だらり、と四肢を床に広げる。体中がふわふわするのに、胃だけが妙に重い。さっきのチューハイが、水銀のようにたぷりと胃で揺れた気がする。
「年下は興味ない、って言うのに、やけにしつこくアピールするから、案外、こんな子とは上手く行くのかな、って思って付き合いだして……」
そしたらね、とまた笑いが込み上げてきた。
「良い子だと思ったの。化粧はこんな風が好み、とか。服装はこんなんで、とか、いちいち指定してくるから、分かりやすい子だな、って」
翔真とは結局、どれぐらい付き合ったんだろう、とぼんやり考える。一年は、それでもつきあっただろうか。
「そういうことをね、してる最中も『もっとこうして』とか、『もっとああして』ってはっきり言うから。それの通り行動してたら、嫌われないんだ、って思って。厭だな、と思ったことあるけど。私、そういうこと疎いから、そうなのかな、って。とにかく、言うとおりのことをすればいいのかな、って思ってだけど」
ぼんやりと脳裏に翔真の顔が浮かぶ。
いつもなら、じりり、と焦げる様な痛みを胸に残すのに、不思議と今日はなにも感じない。
設計事務所に勤めていた、年中日焼けをしている大男だった。
笑うと、口の端からちょっと八重歯が覗いて可愛いな、と思ったことを久しぶりに思い出した。
『なんかこう、違うんだよなぁ』
「やってる最中、ずっと舌打ちされるの。終わったら、ずっと言うの。『なんかこう、違うんだよなぁ』って」
視界の中央で飛び回る豆電球の灯は、回転速度を落として、また元の位置に戻ってきた。
「結局ね、『他に好きな女が出来た』って言われて、別れた。それで、思い知ったというか」
私は笑う。笑うのだけど。
豆電球の灯が、ぼやけて滲んできた。
「なんか、私、違うのよ。私じゃない子がいっつも選ばれるの」
気付けば、大きくしゃくりあげていた。
「だからね。総君が謝ることないの。私が違うの。総君の相手になるような人間じゃなかったの。それなのに……」
ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
私は拭いもせずに、扉に向かって謝る。
「駅前で声かけてごめんね。総君、違う人に声をかけなきゃいけなかったのよ」
最悪だ。私、笑い上戸で泣き上戸だ。
「総君の『恋愛ごっこ』の相手は私じゃなかったの。紛らわしい事して、ごめんね」
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