第83話 テレビ前(7)
私が途中から数えただけで、二十八回は「その」を繰り返し、二十九回目にしてようやく、意を決したように告げた。
「昨日の晩の続きで、キスをしてもいいでしょうか」
それをまた、はっきり言えばいいのに、小声で、もそもそと話す。
正直、語尾なんて聞こえなかった。
ほぼ、想像で、多分、こんなことを言っているんだろうなぁ、と思ったぐらいだ。
「……え?」
思わず意地悪く聞き返してやると、これ以上赤くなったら、血圧が上がりすぎていくら幽霊と言えどもう一度死ぬんじゃないか、という顔色になる。
それでも、総君はあきらめない。その心意気は買おう。
総君は私の目を見て、言った。
「キス、してもいい?」
笑い出しそうになるのを堪え、「いいですよ」と返事をする。
抱えていた膝を解き、総君に向き合って正座をした。それにつられて、何故か総君も正座をしなおしている。
いや、おかしいよ、と突っ込みたかったのだけれど。
ひやり、と冷気を両肩に感じて思わず背筋を伸ばした。
視線を向けると、総君が私の両肩を掴んでいる。
私は顔を彼に向けた。総君は腰を浮かせ、顔を近づけてくる。
「ぎょ、ご、ごめん」
総君がやっぱり噛んで、その後言い直す。
「目、閉じて……、ください」
言われるままに目を閉じた。
閉じて。
胃の辺りに、妙な重さを感じた。
ぐい、と強引に押されたような。
圧迫感と鈍い痛みを感じる。
どうしてだろう。
目を閉じたまま、思う。
そして。
その私の胃を押す感情の、正体に気づいた。
『不安』だ。
私は、切迫した不安を感じ、胃を痛めている。
どうして。
そう思った時。
『ごめん。やっぱり俺、
『なんかこう、違うんだよなぁ』
「ごめん。あの、コトちゃん……」
総君の小声に、反射的に目を開く。
目の前にいるのは、うつむいている総君だ。
「ごめん。コトちゃん……」
するり、と。
肩から手が離されたことが分かった。
総君が私から手を離したから。私から離れたから。
体は暖かくなるはずなのに。
胴まで、震えそうなほど、私は寒い。
「ごめんね、コトちゃん」
項垂れて、総君が私に謝る。
キスしなかったことを、謝る。
『キス、してもいい?』
そう私に尋ねたのに、キスしなかったことを、謝る。
「いいよ、別に」
私は答えた。
ああ、そうか、と鉛を飲んだように重い胃を抱えて思う。
恋愛だけじゃない。
私は心の中で笑った。
『恋愛ごっこ』すら、私にはできないようだ。
その相手にすら、選ばれないらしい。
素敵な恋物語の主人公には、なれない。
「大丈夫だよ、総君」
もう一度声をかけると、総君はゆっくりと顔を上げた。私の顔を見て、若干安堵したように微笑む。
その彼の顔を見て、思った。
私は、存外うまく、笑えたようだ。
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