第56話 カフェ(6)

 そして。

 そんなそぶりをごまかすように、私はゆっくりと首を店内にめぐらせる。


 若い客が多い割には本当に静かで、そんなに音量はないのに、BGMとして流れているジャズがはっきり聞こえる。ときどき、女性の甘い笑い声が店内に響く程度で、落ち着いた雰囲気の店だった。


「お待たせいたしました」

 文庫本を開いていたら、あのギャルソン男子が戻って来た。


 銀盆の上には、ブレンドコーヒーより若干大きめのカップが乗せられている。自信ありげなギャルソン男子が差し出すそのカップを覗き込み、私だけでなくそう君も声を上げた。


「すごいね」

 ギャルソン男子越しに総君を見たが、ギャルソン男子は自分に言われたと思ったようだ。満足そうに微笑んでくる。


 栗皮よりももっと濃い茶色の液体には、雪みたいな白いミルクで絵が描かれていた。


 スワンだ。

 首を曲げ、両翼を広げた凛々しい白鳥。

 それが、カップの中にいる。


「当店のバリスタは、ラテアートコンペティションにおいて入賞したことがございます」

 言っている意味が半分部ぐらいわからない。が、凄い人なのだろう、と笑顔で頷いた。


「ありがとう」

 再度そう言うと、ギャルソン男子は一礼して下がっていく。


「今日、別れてから何してたの?」

 扉が開く音がし、ギャルソン男子が「いらっしゃいませ」と言う。そのタイミングを見計らって、総君に尋ねた。


「今日?」

 穏やかな声に顔を向けると、総君はカウンターテーブルにもたれるようにして私を見ていた。


「えっとね」

 総君はゆっくりと今日の流れを話す。私は、文庫本を開いて読んでいる振りをしようかと思ったけれど、本を閉じて鞄に戻した。


 さっきのラテが入ったカップを両手で包む。

 温かい。

 飲むのがもったいないな、としばらく輪郭をぼやかせていくスワンを眺めた。


 総君の耳さわりのいい声を聞きながら、そっとカップに口唇を寄せる。私がさっきまでのように話せないことを総君も知っているからだろう。彼は絵本でも読み聞かせるように、ゆるやかに言葉を紡いでいった。


 お店を選ぶことが存外楽しかったこと。この近辺はカフェが多くて驚いたことを、私はラテを飲みながら聞く。


 駅の近くに小学校があって、児童たちが運動会の練習をしていたこと。一生懸命低学年の子が走っているのを見て、見知らぬ子なのに泣きそうになった、というエピソードを聞いた時は、笑いを堪えるのに必死だった。


 ラテを飲み干し、ふと総君の前に置いたコーヒーカップが視界に入る。

 手のついていないカップ。いや、手をつけられないカップ。

 総君は、ゆっくりとした口調で、川沿いに美術館があることを教えてくれた。


 ちらりと彼を見ると、目が合って微笑まれる。その笑顔に、自然と口の両端が上がった。


 私達がそうやって会話している間にも何組か客が店内に入り、気付けば私の隣のカウンターしか席は空いていない状況になっていて驚く。結構、有名な店だったりするのだろうか。


 ふと、腕時計に視線を向けた。そして少し焦る。結構時間が経っていた。総君の話を夢中で聞いていて時間感覚がわからなくなっていたらしい。

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