第53話 カフェ(3)

「私、思わず買おうかと思っちゃったよ」

 凍りつきそうになる空気感が怖くて、わざと明るい声でそう言った。


「ほんとに?」

 そう君も私に付き合うように笑い声を立てる。「うん」。私が頷いた時、前方からライトをつけた自転車が向かってきたので、口を閉ざして道の端に避ける。体勢的に総君に身を寄せる形になったので一瞬寒気が強くなった。ライトは舐めるように総君の体に照ったが、昨日と同じように、その光は胎内に込められて、決して反射しようとはしなかった。


「もうしばらく歩くけど、大丈夫?」

 自転車が通り過ぎたのを確認し、総君は、私に尋ねる。


「うん。平気。商店街に入るの?」

 前方に見えてくるアーケードに顔を向けた。


『駅東商店街』と看板の掛かった、アクリル板が天井を覆う商店街だ。随分と古めかしいアーケードをしていたが、活気自体はあるようで、ずらりと居並ぶ店舗には空がみられない。


「あの商店街の交差点を左に折れるんだ」

「あ。商店街の中じゃないの」

 声に失望の色が混じっていたせいかもしれない。総君が慌てたように私の前に回りこんできた。


「商店街の中の方がよかった? だったら、そっちに変える?」

「全然問題ないよ」

 足を止め、慌てて答える。


「商店街、入ったことなかったから。今度の休みにでも一緒に買い物に行こっか」

 そう伝えると、ほっとしたように総君は頷き、それからまた並んで歩きながら、小声で言う。


「今度の休みに一緒に買い物に行くって……、なんかこう。同棲してるみたいだね」

 照れたようなその声に、私は笑った。


「同棲してるじゃない、今現在」

「そうだった」

 総君は小さく笑い声を立てた。


 二人並んで、たわいもない話をしながら、総君が言うとおり、商店街の交差点を左に曲がる。飲食店がいくつか並ぶ通りを歩いていると、「あのお店」と総君が指差した。


 なるほど。

 随分と可愛らしい外見のカフェだった。


 通りに面している壁部分はすべてガラス張りになっていて、いくつかオープン席もあるようだ。店内の照明は淡い橙色で、さっき見た商店街のようなはっきりくっきりしたような光を放ちはしなかった。


 だからだろうか。随分と落ち着いて見えて、ほっと肩の力が抜けたような気がした。

 店の入り口には総君が教えてくれた通り、二つ折りの黒板式看板が立っていた。


 上部にスポットがつけられているお陰で、薄暗い中でも文字が読み取れる。

 何色ものチョークを使ってメニューやおススメが書かれていたが、目を引いたのは、看板の端っこに描かれた可愛らしい猫のキャラクターだ。吹き出しがついていて、「ラテアート、承ります」とお客に伝えていた。


 しばらく並んで看板を眺めていたら、「あ」と隣で小さく声を上げる。

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