第52話 カフェ(2)
「どんなカフェなの?」
ふと、頬が緩んだ。
ここで座って話したことが随分昔の事のように思えたけど、実はたった一日前の事なのだ。
視線を感じて顔を上げると、総君が同じような表情でバス停のベンチと私を交互に眺めていた。目が合うと、可笑しそうに笑う。
きっときっと似たようなことを考えていたのだろう。私も同じように微笑むと、総君が口を開いた。
「そのカフェ。ラテが有名みたい。店の前に二つ折りの黒板が出てて、手書きでメニューとか書いてあるんだけど、ラテアートとかしてくれるんだって」
総君が嬉しそうに説明をした。私は周囲を見回す。外灯が定期的に並ぶ歩道に、人影はまばらだった。
「そんなお店、よく行ってたの?」
人影が無いので、俯くのではなく、総君の顔を見上げて尋ねる。ただ、声だけは小さくしておいた。
「まさか」
総君は驚いたように目を見開き、水を振るう犬のように首を横に振った。
「行ってみたいなぁ、とは思ってたけど……。営業仲間とは、普通の喫茶店入ったり、コーヒーチェーン店に入ったりかな」
総君の口から、『営業仲間』という仕事関連の言葉が自然に出て、少し意外だ。
大学生のようにさえ見える外見だけど、そういえば顧客もちゃんといる社会人だったんだ、と今更思い直す。
「そういうところに入って、仕事サボってたんでしょ」
からかうと、総君は珍しくおどけたように片目だけ見開いてみせる。
「情報交換をしてた、って言ってよ」
切り返してくるので、何気なさを装って総君に尋ねてみた。
「なんの営業?」
「水」
端的に答えられて目を瞬かせていると、くすり、と笑われた。
「ウォーターサーバーってわかる? サーバーを設置して、タンクを注文したりする」
ああ、と声を上げた。よく病院や企業の受付なんかに置いてあるやつだ。『ご自由にお飲みください』とか掲示され、お湯とお水が選べたりする。
表情で察したのか、総君は会社の名前を口にした。「知ってる!」。思わず声を上げると「業界三位です」と得意げに言われた。
「三位なんだ。一位は?」
尋ねると、若干むすっとした表情で、よくテレビCMで見かける企業名を口にした。ははぁ、なるほどね、と感心していると、「でもね」と、口を尖らせて、いかに自社が衛生管理に気を遣っているか、ユーザーのニーズを受け止めているかを熱心に説明してくれる。
その巧みな口ぶりに、何度か頷き、何度か感嘆の声を上げた。
思わず、「じゃあ一度、頼んでみてもいいかな」と思い始めたとき、我に返ったように総君が何度か瞬きを繰り返した。
「何言ってるんだか」
総君は苦笑し、顎を一撫でする。
「もう、売らなくていいのにね」
彼の言葉は、不意に私の胸をぐさりと刺した。
そうだ。
もう、総君は自信と責任を持っていた商品を他人になんて売らなくていいのだ。
だって。
死んでるんだもの。
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