第45話 正田宅(5)
「こんな認知症のばばぁに言ってもわかんねぇだろうよ」
この男は。
若く見える。
第一印象は三十代前半と言ったところかもしれない。
意外に甘いマスクをしているせいで、女性には苦労していないそうだ。いわゆる、「ヒモ」のような生活を繰り返しているが、最近は正田さんの家に入り浸る事が多くなった。多分、年とともにそれほど女性にモテなくなってきているのだろう。
「呆けて大変だ」とうんざりしたように言うが、介護をしている素振りもないし、そもそも正田さんの認知症はそこまで酷くない。デイの利用日じゃない日は、一人で買い物もするし、調理だって掃除だって、なんとか自分でこなしている。
「なに、こいつ」
背後で怒気を孕んだような
目の前の、正田さんに話しかける。
「封筒の金額をまず、ご確認ください」
バックから信用金庫の封筒を取り出し、上がりかまちに中身を出して見せた。一週間の生活費である一万円だ。
「あの」
正田さんは顔を挙げ、垂れた瞼を目一杯開くようにして私を見た。「はい」。笑顔で促す。
「た、足らないんです」
痰が絡んだような正田さんの声に、唇の両端を上げたままの表情で動きを止めた。
「足りない、とは?」
しばらく黙っていたものの、正田さんが話し出さないので、もう一度促す。
「足りないのですか? 生活費が」
「息子が、眼鏡がいる、って……」
消え入りそうな声で正田さんはそう言った。実際、丸まった背を更に丸め、首を竦ませた正田さんは、どんどん小さくなる。その姿勢のまま、彼女は言った。
「三万……。三万。出してください。通帳から」
掠れ、途切れ、消え入りそうな声で正田さんが頼む。
「雅仁さん」
私は彼に向き直った。たたきに両膝をついたまま、上半身を彼に向けて捻る。
「このお金や生活費は正田えい子さんのものです。貴方の眼鏡はご自身で購入を検討してください」
「ばばぁが、買ってくれるって言うんだよ。俺は別にいいんだけどさ」
雅仁さんは粘着的な笑みを浮かべて
「三万の眼鏡、買ってくれるってさ」
へらへら笑う顔に、虫酸が走る。
「そうなんですか?」
正田さんに尋ねた。「はい、はい」。正田さんは目も見ずに何度も頷いた。その様子を見て、私は顔を挙げ、雅仁さんに告げる。
「私は認めません」
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