2章 隣にいる奇蹟

仕事帰りに待ち合せてデートとか……。どう?

第31話 仕事場(1)

「一番じゃないの、ひょっとして」

 カードキーを職員通用口の受け口に差し込む様子を見て、そう君が驚いた声を上げた。


「一番よ」

 私は声をかけ、カードキーを引き抜く。「おはようございます。解除、いたしました」。

 馴染のコンピューターボイスがカードキーの受け口から流れてきたあと、がちり、と解錠音が響いた。


 ステンレス製のT字バーを握り、下に押すと通用口は難なく開く。

 私は館内に入り、靴置き場から自分のクロックスを引き出した。


「コトちゃんって、市役所の人?」

 フラットシューズを脱いでクロックスに履き替えていると、背後から総君の声が聞こえてきた。鞄を肩にかけ直して振り返ると、総君が興味深そうに周囲を見回している。


「私、行政の人じゃない」

 笑ってそう言い、総君の後ろにある廊下の照明スイッチを押す。


 途端に、薄暗い館内は、橙色の光に満たされた。

 外はまだ薄く、白い朝日が漂っているが、館内はまるで夕陽が染みたような色になる。この違和感がねー、と毎朝思い、そして今朝も思いながら、私は『職員通用口』と書かれた鉄製の扉を押した。


「でもここ、公共の建物でしょ? なんだっけ、さっき看板に名前出てたよね」

 総君が近づくと相変わらず冷気のようなものを感じる。彼が話さなくても側にいることが分かって、大変便利だ。どうやら私の後を付いて歩きながら尋ねているらしい。


「にっこり健康福祉会館」

「に……、え? なんて?」

 思わずといった風に聞きなおされて、私は顔を顰めて振り返る。


「なにそれ。嫌がらせ? 私にもう一回言えって?」

 違う違う、と総君は慌てて首を横に振った。


「健康福祉会館はわかるけど、にっこり、がつくの?」

「そんな疑問は私じゃなくて、町長に言って」

 足を止め、ぎろりと睨む。


 なんでも、この建物を建てる際、公募で名前を募集したところ、当時の町長がこの名前を気に入って決めてしまったのだそうだ。


「場所を説明するたびに、毎回恥かかされる気分よ」

 忌々しい気持ちで吐き捨てる。

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