第30話 アパート(13) 

 悲鳴を上げそうになって堪えたのは、そう君の声がすぐ横から聞こえたからだ。


「新聞受けじゃない?」

 顔を向けると、真剣な眼差しで、扉の中ほどを指さした。


 そこにあるのは。

 確かに総君が言うとおり、新聞受けだ。


 このアパートには共通の郵便ボックスが無い。各部屋の扉に郵便の差込口があり、扉の内側に郵便物を受け入れる鉄のボックスのようなものがついている。


 総君は、そのボックスを指さしていた。


「目の前じゃない、下だよ、コトちゃん」

 総君は私を真正面から見て、そう言った。


 最初、何を言っているのかわからなかった。下、とはどういうことだ。

 戸惑っていたとき、またあの「がちゃり」という音が鳴る。


 総君から視線を外し、ドアスコープに向き直って、気づいた。

 ドアスコープを覗いて、真正面を見たって、意味がないのだ。


 この音は、差込口を開閉させている音ではないのか。


 だったら。

 何者かは、玄関扉の真下にいるのだ。しゃがんで、何か新聞受けを触っているのだろうか。


 私は慌ててドアスコープを覗き、下を見ようとするが、いかんせん視界が限られている。扉から離れ、私はサムターンに手を伸ばした。


 開けて、誰かいるのか確認しようとした。


「ダメだよっ。コトちゃん」

 咄嗟に総君が私の手首を掴む。ぞわりとした冷気が全身を巡り、我に返った。


「開けちゃだめだ。危ないよっ」

 真面目な顔で言われ、おどおどと頷いた。


 そうだ。開けてもし、乱暴な奴だったらどうするのだ。


「警察呼ぶか、大家さんのおばさんに連絡したら?」

 私が解錠しないと気づいたのだろう。ほっとしたように総君は目元の力を緩め、そう提案する。


「警察は大ごとだから……。おばさんには連絡する」

 考えた末に答えると、総君は緊張が解けたように息を吐いて頷いた。


「まだ、いるかな……」

 扉を眺め、不安そうに私に尋ねる。「どうかな」。呟いてしばらく扉を眺めていたけれど。


 電子レンジの「まだ中身を取り出してませんよ」アラームが3回鳴っても、もうあの不快な金属音が聞こえてくることはなかった。

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