第27話 アパート(10)

「おいしそうだね」


 そう君がカウンターにちょこんと両手を乗せて覗き込む。彼が見ているのは、鉢に持ったほうれん草のおひたしだと知れた。結局、調味料棚の小瓶に手を伸ばし、すりごまを和えるだけにしたそれを、総君は見ている。


「これと、あと二日前に作った肉じゃがを食べようかなぁ、って」

 冷蔵庫から出したタッパーを電子レンジに入れながら総君に背を向けた。


「いつも手作りなの?」

 普段、家では聞かない低い声が背後から聞こえ、なんだかくすぐったい。一人暮らしをして初めて、こんなに家で声を出しているかもしれない。


「惣菜とか買うと高いでしょ? 油多いから胃もたれするし」

「僕、ずっと買ってた。たまに食材買っても、使いきれなくて腐らせちゃうんだよね」


「あ、わかる」

 分数を決め、電子レンジのスイッチを押す。振り返ると、総君が苦笑している。


「レタスとか、袋の中でドロドロになったよ」

「カット野菜が便利だけど、見た目が『野菜くず』に見える」

 私が顔を顰めると、「見える見える」と総君が可笑しそうに笑った。くしゃりと目が細まり、きゅっと口角が上がる。どことなく、日向の猫のようなその表情に、かわいいと秘かに思った。


「ご飯食べたら私、お風呂入って寝るつもりなんだけど」

 私はシンク内のザルや小鍋を洗いながら、カウンターを挟んで向かいの総君に話しかけた。


「う、うん」

 私のさっきの発言の何に警戒したのか、総君は背を反らせて頷いた。


「物置として使ってる部屋が一つあるから、総君はそこを使って。また、今週の土日にでも、使えるように部屋を空けるからそれまで我慢してくれる?」


「いや、僕、あれ使わせてもらうからいいよ」

 総君は恐縮したようで首を横に振り、高速で背後を振り返って、スツールを指さした。ずっとあのイスの上で過ごすつもりなんだろうか、と可笑しくなる。


「私がこの部屋に誘ったんだし、そういうわけにはいかないわ」

「さ、さそ、誘った」

 総君はそう言って今度は首まで真っ赤になる。いや、何を勘違いしてるんだか。あんた、私に触れないからね。


「さ、誘われた訳ですが、一銭も出せない居候の身としては部屋をあてがわれるのは大変心苦しいので、あそこでいいです。……じゃない、いい、よ」


 総君はたどたどしく私に更に言葉を続けた。なるほど、『誘った』ことは了承しているが、『誘いに乗った』わけでもないらしい。


「まぁ……。じゃあ、好きにして。ただ、私は週末部屋をひとつ、総君に用意するから、気が向いたら使って頂戴」


 総君に告げると、ざると小鍋を洗い桶に伏せる。

 ちょうど電子レンジが終了のメロディを流した。私は手をタオルで拭き、電子レンジの扉に手を伸ばす。この電子レンジ。終了したにも関わらず、扉を開けないと、何度も何度も耳障りな電子音を流すのだ。


 扉に指をかけ、開こうとしたその矢先。


 がちゃり、と。

 金属音が鳴った。

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