第23話 アパート(6)

 カウンターから覗き込むようにして、日置ひおきが私を見下ろしていた。


 しゃがみこんだまま、野菜室から取り出したほうれん草を両手で握り締めて彼を見上げる。


「あの。なんか違うふうにとってるから。あの……。そうじゃなくて」

 日置はグラスの並ぶカウンターにちょこんと握った拳を乗せ、伸び上がるようにして私を見ては、顔を赤くしている。


「か……っ。かわいいな、って。おもヴぇて」

 そして、また噛んだ。


 私は噴出す。笑った拍子に肩が震えて、ほうれん草のプラ包装がかしゃりと音を立てた。日置は相変らず自分の恥を忍び、俯いて「死んでしまいたい」と呟いている。


「ありがとう」


 お世辞でも。

 流石にそう付け加えるのはやめた。私は彼に礼を言い、それから立ち上がる。


「本当にご飯はいらないの?」

 カウンター越しに尋ねる。シンクにほうれん草を置き、洗い桶に伏せて水切りをしていた片手鍋に手を伸ばした。


「幽霊ですから」

 日置はまだ赤い顔でそう呟く。


「そう。じゃあ、遠慮なく私だけ食べるけど」

 鍋に水を張ってガス火にかけた。日置は頷き、「かまいません。むしろお邪魔してます」と言う。


「ねぇ」

 ザルにほうれん草を入れ、流水で根元部分を念入りに洗いながら、ちらりと彼を見る。


「はい?」 

 スツールに戻ろうとしていた日置は、呼び止められたと思ったらしい。律儀に戻ってきて向き合う。


「私達付き合ってるのよね? まぁ、『恋愛ごっこ』だけど」

 カウンター越しに彼に尋ねると、瞬く間に顔を赤くする。じっと見つめると、照れたように上目遣いで、「はい」と小さく答えられた。


「だったら、その言葉使い、やめようか」

 にっこり笑って告げると、きょとんと目を見開かれた。


「なにが、ですか?」

「それよ」

 濡れた手のまま、彼の鼻先を指差す。日置は鳶色の瞳を中央に寄せて私の指を見た。


「なにが、でいいわ。ですか、は余分」

 だが、日置は明らかに怯んだ。


「しかし、僕は……」


「年上だの年下だの気にしてるんだったら、やめて。それだったら、私のほうが君より年下だったら、丁寧語だの敬語だの君に対して使わなきゃいけないことになるでしょ」

 そう指摘すると、日置は喉にモノが詰まったような表情をする。


「それに、私が前つきあってた年下男。一度も私にそんな言葉使い、しなかったわよ」

 蛇口を閉める。水を浴びたせいか、ほうれん草は幾分しゃっきりしたように見えた。


「じゃあ……」

 日置の小声が聞こえ、鍋で沸かした湯の調子に視線を走らせていた私は彼を見た。


「遠慮なく、そうする」

 さらに小さな声で言うから、おもわずくすりと笑ってしまう。

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