第19話 アパート(2)

「3階なの」

 私も、なんでもないことのような表情を作り、階上を指差した。


 アパートは、左右二つの館に分かれ、くの字に折れた階段でつながっている。三階までしかないせいで、エレベーターなどという文明の利器はなく、ひたすら上るしかない。今日は手ぶらだからまだましだけど、一度二リットルのお茶と5キロのお米を買って帰ったときは、何かの訓練を課せられたのかと錯覚したぐらいだ。

 踊り場を二つ通過したら、廊下の端っこに三輪車が置かれているのが目に入った。


「小さな子がいる家庭が多いんですね」

 日置ひおきがそんなことを言う。


「一階の傘たてには子供用の傘が立てられていました」

「よく見てるわねぇ」

 驚いて更に足を階上に向ける。


「キッチンにリビングに、部屋が二つあるかな。まだ子どもが小さい家庭向けにおばさんが作って経営してる」

 三階にまで上がりきり、ふぅ、と息を吐いた。共有スペースを挟んで右が私の家だ。


「こっちね。表札とか書いてないから気をつけて」

 味も素っ気もない灰色の玄関扉を指差した。ドアスコープと郵便受けがついているだけの無個性な扉。


「一人暮らし、なんですよね」

 バックから鍵を取り出していると、隣で不安そうに日置が尋ねてきた。どうしてそんなことを聞くんだろう、と思わず目を見返すと、「一人暮らしにしては広いので……」と自信なさ気に言う。


「ああ。この部屋、縁起が悪いんだって」

 リールキーホルダーにとりつけた家の鍵を取り出す。しゅるる、とリールが延びる音がかすかにしたけれど、「ええっ」という彼の声に消される。


「縁起悪いって、そんな……。そんな部屋、女性一人で大丈夫ですか?」

 真顔で尋ねられ、爆ぜたように笑った。笑ってから気付く。

 仕事場以外でこうやって大声で笑ったのは随分久しぶりの気がする。


「今現在、君に取り憑かれてるから大丈夫じゃないかも」

 なんとなく高揚感のままにそう言うと、目に見えて日置は落ち込んだ。「ごめんごめん」と慌てて彼に声をかけ、何気なく肩に触れようとして自分の手が空を掻く。


 代わりに伝わったのは、ぞわりとした冷気だった。


「冗談よ。縁起とか私、信じてないから」

 冷たさの残る指先をもう一方の手で握り、強張らないように気をつけて微笑んだ。


 生きてない。

 改めてそう思った。


 なんとなく。

 私の妄想でもない、という実感も湧いてくる。

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