第9話 バス停(2)
「ね? 映ってないでしょ? だから僕、幽霊なんです」
男の声に顔を上げると、何故か得意そうに胸を張ってそう言っていた。
「いや、根拠薄弱」
そう言いながらも、力が抜けてバス停のベンチに座る。陽ざらしのせいか、お世辞にもプラスチックのそれは坐り心地がいいとはいえなかった。みしり、と私の重さに軋み、カーゴパンツ越しにも荒れた質感が伝わってくる。
「僕はあなたの想像の産物とか、幻覚とかじゃないですよ。鏡に映らないんですからね」
男の声が存外近くから聞こえたと思ったら、ぞわりと寒気が来た。反射的に顔を向けると、私の隣に座っている。
「何をもってそんなことを言うのよ」
唇から零れ出た声は随分と心もとなかった。自分自身で聞いて、やけに落ち込む。そして、焦りに似た不安が競りあがってきた。
今、私は幻覚と話してるんだ。
そう思うにつれ、足が震えそうになる。
「ほら、吸血鬼とか鏡に映らないじゃないですか。僕自身は、鏡に映らない自分を見て、『ああ、幽霊になったんだ』って思ったのに……」
男はそう言うと、不思議そうに溜息をついて「そうだなぁ」と視線を私から外す。前を向き、闇に沈む二車線道路を眺めた。
「あ」
不意に声をあげ、私は「え?」と尋ね返す。男はくるりと顔を私の方に向けると、まだあどけないともいえそうな笑みを口の端に浮かべた。
「例えば、貴女自身が知りえないことを僕が知っていたら、僕は貴女が生み出したものじゃない、ってことになりませんか?」
「……どういうこと?」
私は目を瞬かせる。男はまるで自分の口にしたことが名案だとでも言いたげに何度か頷くと、「そうですね」と腕を組んで顎に手をやる。
「僕が、貴女の生み出した『幻覚』であるとすると、僕と貴女の知識は共有であるはずだ。そうでしょう?」
細い顎を指でつまみ、男は私に尋ねる。
そう、かもしれない。
彼自身を作り上げるために、私の知識や常識等が彼に注がれたことは確かだろう。
「だったら、貴女の知らないことを僕は話しましょう。何かこう、貴女が知らないようなことを僕に尋ねてみてくださいよ」
得意げにそう言うが、突然そんなことを言われても思い浮かばない。それに、ふと疑問が湧いた。
「例えば、私が知っていることを君に尋ねたとしてよ? 『知らない』と君が答えたとしても、それが嘘なのか本当なのか私には判断のつきようがないわ。それと同じで、私の知らないことを君に尋ねて、君が答えたとしても、それが正解かどうか私にはわからない。知らないんだもの」
そう言うと、彼は目を丸くした。
「なんて疑い深いんですか」
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