まぁ、ようするに。君が成仏するために、君のカノジョになれ、と
第8話 バス停(1)
男は驚いたようにそう言い、それからきょろきょろと周囲を見回した。
「あの、ほら……。ベンチまで進んでください」
そう言ってバス停のベンチを指差す。
外灯が、ひとつだけついたバス停だ。
道路に面してベンチが置かれ、ラミネートされた時刻表が貼り付けられた柱が立つだけのバス停は屋根が無い。ただ、時刻表を照らすように小さなライトだけが下向きに取り付けられ、蛍の光のようにぼんやりと丸くそこだけ明るかった。
「時刻表のところに、手鏡があるでしょ。あそこに」
男が、道に立ち尽くす私の手を取ろうとした。
多分、余りにも私が動かないせいで焦れたのだろう。骨ばった、だけど器用そうな長い指が私の手首を掴むかに見えたが。
「寒っ」
思わず呟いて両肘を抱く。
男が私の手を掴むことはなかった。
彼の指は私の手首をすり抜け、宙を掴む。代わりに私の体に走ったのは冷気だ。注射器で冷水でも流し込まれたかのように、手首から冷気は一気に流れ込んできた。
「ご、ごめんなさい。あの。何かしようとしたつもりはないんです」
真っ青になって私に詫びると、先に立ってバス停まで歩き出した。
「ほら、あの。鏡、見てください」
バス停の時刻表の側に立ち、私を手招く。
その。
視界がなんだか変だ。
淡いライトに照らされた男は、どうもおかしな具合に見えた。
違和感の原因はなんだろうと首を傾げ、そして気付く。
光が、体を照らさないのだ。
ただ、透過するのともまた違う。
さらりと体に流れ込むというか。光は一度内包され、そこから淡く光を滲ませるような感じだった。
「鏡、ほら」
てっきり、その『光の当たり方』を見せたいのかと思ったが、違うらしい。彼は私を手招き、時刻表の下辺りを指差している。視線を下げ、彼が示すものを見た。
きらり、と。
人工灯を反射して鏡が白銀色に光っている。鏡、鏡と男が連呼しているのを聞いて、そう言えばと思い出した。
バス停に屋根は無いのに、何故か身だしなみを確認するための手鏡があるのだ。時刻表の真下にそれは取り付けられ、私自身はバスを利用しないのだが、近くを通るたびに日の光を反射して眩しい思いをすることがある。
よろよろとバス停に近づいた。
正確には、バス停というより、鏡に、だ。
もうこの時刻になるとバスの本数も少ないのだろう。バス停には誰も居ないどころか、付近を通る人影さえ見えなかった。
男の側に立ち、並んで鏡を覗き込む。
そして。
絶句した。
私しか、居ない。
鏡には自分しか映っていない。ゆるりと顔を左に向ける。そこにはやはり、男が立っていた。私は同じだけの秒数を使ってまた鏡に視線を戻す。だが。
そこには、やっぱり私しかいない。
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