棲み処
「ずいぶん仲良しだなぁ、お前ら」
木陰から姿を現したのは、ディアだ。呆れたように肩を竦めている。笑顔を作っていたが、目は笑っていない。
怒りと恨みに満ちた目で、サナを凝視している。
顔色は悪く、以前のような精彩は感じなかった。
ディアはサナを警戒しながら、近づいてくる。
「見ろよ、フロウ」
ディアはマントを脱ぎ捨てる。胸元をはだけ、その肌を露出させた。
肩から胸にかけて、赤黒く変色している。
「この女の血を浴びてこの様だ」
フロウに出会う前、サナはディアと戦闘になった。そのときにサナは傷を負い、ディアは彼女の返り血を浴びた。
ディアは忌々しげに自分の肌を見やる。
「感覚がおかしい。この痣みたいなのもどんどん広がっていく」
「それは、彼女のせいじゃない」
「かもな」
「彼女が選んだわけではない」
一方的に与えられた力だ。選ぶ余地などなかった。
サナを擁護するフロウの言葉を、ディアは苦い顔で一笑に付す。
「しらねぇよ。だからなんだ? だからその女は許されるべきだとでもいうのか? それなら、俺たちだって許されるべきではないのか?」
人間を食うしかなかった。他に生きる術などなかった。
反駁できない。フロウは唇を嚙む。
サナはスカートの上から自分の腿を探っている。ダガーナイフのある場所だ。
彼女はディアの一挙一動に集中していた。今にも襲いかかりそうな顔をしている。
目には冷たい光が宿る。殺戮者の目だ。容赦なく奪う者が持つ、研ぎ澄まされた鋭利な輝き。
獲物を見つけて気が昂ぶるのか、頬は上気し薄紅に染まる。
「ディア……この間は、自分で考えろと言っていたじゃないか」
彼はサナを家に置くフロウに、忠告をしにきた。
この女はお前を殺すと。
「気が変わった。せっかく育てたお前を殺されるのは気分が悪い」
「帰ってくれ、ディア。彼女は俺を殺さないと言った」
「そうか? この女は、獲物を殺したくて仕方がないって顔してるぜ」
否定はできない。今のサナは、初めてフロウを襲ったときと同じ顔をしている。
「俺も殺したいね、この女を。こいつはいずれ、お前を殺す」
「違う!」
サナが動いたのと同時にディアが飛び退る。振動でドサリと枝から雪が落ちた。
「わたしはフロウを殺さない」
「信用できるかよ」
「殺さない!」
悲鳴のような声が谺する。
止めようと手を伸ばしたフロウを躱し、サナは倒木を足場にして跳躍する。飛びかかり様にスカートを翻しダガーナイフを抜いた。
ディアは躱したが、着地したサナに足をかけられた。
体勢を崩したディアに乗りかかり、ナイフを振り下ろす。
サクリ、と頼りない音がした。
サナが刃を突き立てたのは雪の上だった。
「殺さない。フロウは殺さない。初めて……初めて、自分で決めた」
サナの唇が戦慄く。
「お前も殺さない。フロウの、大切な人」
「嘘つけ。殺したくて仕方ないって目だ」
サナがゆるゆると首を振る。ナイフを握り締める手は震えていた。
殺戮への欲求を必死で耐えている。
彼女はもう知っている、食人鬼を殺しても、もう誰も褒めてはくれない。抱き締めてよくやったとは言ってくれる人はいない。
食人鬼を殺しても、欲するぬくもりは得られない。
それでも。
それでも、深く根を下ろした欲求が彼女を駆り立てる。
サナの動揺を気取ったディアが彼女の腹を蹴る。軽い少女の身体は容易に雪の上を転がった。腹を抱え身体をくの字に折る。
「サナ!」
「あれ? なんだよ、手ぇ抜いてんのかよ。やりづらいから殺す気できてくれよ。女の子蹴飛ばすなんて俺の趣味じゃないんだからよ」
ディアが口の端を上げて笑う。意地の悪い顔だ。
見たことがある表情だ。エイダを殺したときと、同じ。
フロウを守るために。
胸の奥をギリギリと掴まれているような気がした。
痛い。吐き気がする。緊迫した空気に身を切られそうだ。
だけど、逡巡する余地はない。
「殺さない。殺したくない」
もう……。
サナの小さな呟きを、フロウは聞き逃さなかった。
雪の上に蹲るサナの前に、フロウは立つ。
姿勢を低くし、構える。ナイフは抜かない。
ディアに教えてもらった。
同族を殺すときは、血を流させるな、と。
サナを庇うフロウに、ディアは憎しみとも悲しみともつかない目を向ける。
あの日、父と母を亡くし寄る辺ない子どもは死んでしまうはずだった。
それを生かして、育ててくれた人。
こんなふうに対峙したくはなかった。
「帰れ、ディア」
フロウは低く、唸るように言う。
「ここは、俺の棲み処だ」
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