聖誕節の花

 聖誕節の近づく町は、厳かな空気に包まれていた。

 木彫りや布で作った天使や藁で編まれた星、柊などで飾りつけられている。

 小さな町だが、旅の拠点となるためだろう、人の往来は多い。

 フロウはごくたまに、山を下りてこの町にくる。

 殺した人間の持っていた金、あるいは金目の物を売って、生活に必要な物を買い求めた。

 フロウは裏通りの寂れた食料品店に入ると、フードを目深にかぶり、レジの前に硬貨をいくつか並べた。

「これで、保存の利く食べ物をください。それと調味料とお茶を」

 店主はフロウを訝ってか、愛想なく頷く。

 しばらく待つと、固く焼き締めたパンとチーズ、豆の缶詰、干した果物が出てきた。それから、塩とペッパー、乾燥したハーブが数種類。

 フロウは出された品物を鞄にしまうと、頭を下げて店を出ようとした。

「待ちな」

 ぶっきらぼうに言い、店主は奥から何か抱えてきた。

「これも持っていけ。形は悪いが、食える」

 恐らく失敗作なのだろう。いびつな形のクッキーを無造作に紙袋に入れて、フロウに押しつけてきた。

「あ、あの……?」

「娘が焼いたんだ。下手くそなくせに大量に焼きやがって」

 むすりと唇を引き結んだあと、店主は犬でも追い払うように手を振る。

 紙袋の中身はまだ仄温かい。しばし逡巡したあと、フロウは深く頭を下げて店を出た。

 道端でそっと中身を覗くと、星形やジンジャーマンのクッキーが入っていた。頭が割れていたり砂糖がけが剥げていたりしている。

 サナは喜んでくれるだろうか。

 彼女はあの夜、一息に過去を話したあと、また無口になった。

 足はすっかりよくなって、昼間は家の近辺を散策していた。出て行くつもりはないようだ。

 その意味を、フロウは問えない。獲物を仕留めずに去ることができないのだろうか。

 それとも……少しは、居心地がよいと思っているのか。

 一緒にいたいと……思って、くれているのだろうか。

 山には雪が降り、解けずに積もっていく。

 一冬を越すには、食糧は心許ない。もう少し買い足すべきか、残った金はサナに持たせてやるべきか、迷った。

 金は、人間が生きていくのに重要なものだ。たいした金額ではないが、何かの足しにはなるだろう。

 いずれ、彼女はあの山を出て行く。

 共に生きていくことは叶わない。そんな期待は、持ってはいけない。

 フロウは革袋に入れた紙幣を数え、大事に仕舞った。

 通りかかった家の窓を何気なく覗くと、食事の準備をしているところだった。中年の女性がキッチンに立ち、大鍋の中をヘラで掻き回している。

 湯気がもうもうと立ち籠め、女性は暑そうに額を拭っていた。テーブルにはいくつも皿が並んでいる。

 また別の家では老夫婦がお茶を飲んでいた。路上では何か言い争う男たち。

 静かな山の中とは違う。野生動物の密かな気配とは、違う。

 雑多なにおいと声が入り交じる。

 昔は……自分が人を食うだなんて知らなかったほんの幼いときには、フロウも町に住んでいたらしい。記憶は淡く霞みのように、思い出そうとすると霧散する。

 ぼんやりしていると、何か柔らかいものがドン、とぶつかってきた。

「あっ、ごめんなさい」

 小さな女の子だ。手には花束を持っている。

「いや。大丈夫か」

 フロウがぎこちなく笑うと、子どももほっとしたように笑う。

「よい聖誕節を」

 大人びた口調で言い、女の子は花を一本引き抜いて差し出した。

 受け取ると、照れたように目を逸らして、走っていく。母親らしき女性がフロウを見て軽く会釈した。

 薄い花びらを傷つけないよう、鞄のポケットに挿した。

 町は温かい人の営みに満ちていた。

 羨望に胸が焼ける。

 ふらりと、フロウは再び歩き出す。日が傾いてきた。

 山に帰るのは月が真上に昇る頃だろう。

 サナはフロウの帰りを待っているだろうか。

 それとも、フロウを殺すのを諦めて出て行ってしまっただろうか。

「待って……くれているといいな」

 呟いた声は擦れる。誰にも届かない。

 望んではいけない。彼女と共に生きていくことなんて。

 わかっている。わかっているけれど、夢想してしまう。

 思えば思うほど、それがどれほど遠く手の届かないところにあるかを理解する。

 自分は、人を食う鬼だ。

 彼女は、それを狩る者だ。

 ちらりと横目に見た窓の中では、狐色に焼けたターキーがオーブンから出されているところだった。

 あれも、ほんの少し前までは生きていただろう。それが今は首を落とされ、艶やかに焼かれ、足を不自然な方向に曲げられリボンをあしらわれている。

 それを笑顔で取り囲む家族。優しく温かい光景。

 人の営みもまた、命の上に成り立っているのだ。

 フロウは家々に目を向けるのをやめた。

 石畳を踏む。磨り減った革靴の底で踏むと、固く冷たい感触がした。

 意識を集中すると、感覚が鋭くなる。

 辺りに視線を巡らせながら歩く。足音は立てない。

 フロウの足が向かうのは、棲み処の山ではない。

 まだ、帰れない。

 原始的な衝動がフロウを駆り立てる。

 腹が、減った。

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