殺戮者の生い立ち
「わかっている。あれが愛情ではないということは」
サナは自分の生い立ちについて語り出したのは、夜が更けてからのことだった。
拾った木の実を鍋で煎っていると、サナがベッドから抜け出してそばに座った。
「いいにおい。おいしそう」
「そうか?」
フロウにはよくわからない。芳ばしいにおいは心地好く感じるけれど。
皿に移して冷ました木の実を、サナに渡してやる。小気味よい音を立てて殻を剥き、口に放り込む。
咀嚼しながら、はたと気づいたようにフロウの顔を覗き込んでくる。
「なんだ? うまくなかったか?」
「……わたしのために拾ったのか?」
目を大きく見開いて、じっと見つめてくる。
「そうだ」
何故かと問われたらなんて答えよう。焦りながらも、目をそらせなかった。
サナは掌の上で大事そうに木の実を数え、ぎゅっと握り締める。
「そんなんじゃ、腹は膨れないな」
「木の実は栄養がある。脂肪分が多いから身体も冷えない」
自分に言い聞かせるように、サナはゆっくりと木の実を噛み締めている。
「また拾いに行こう。栗鼠に怒られない程度に」
「栗鼠に襲われたら、わたしが助けてやる」
冗談かと思ったが、存外真面目な顔のサナに、思わず吹き出す。
「おかしなことを言ったか?」
「いや……」
「だって、笑ってる」
不思議そうに首を傾げる。少し不服そうに唇が歪んでいた。
可愛いと思ったんだ。
言葉にはできなかった。だけど、しばらくフロウの顔を眺めたあと、ふとサナは唇を緩めた。
笑顔とは言い難い変化ではあった。それでもフロウの胸を騒がせるには充分だった。
サナの微かな笑みはすぐに消える。だけど心なしか、以前よりは表情から硬さが取れたように見えた。
少し冷めた薬草茶を飲み干すと、ぽつりと訊ねてくる。
「フロウは、あの男が大切か?」
「……ああ。世話になったからな」
サナはフロウのそばに座り直し、膝を抱える。視線は床に落とされたままだ。
しばしの逡巡のあと、再び彼女は口を開く。
「わたしは、食人鬼に育てられた」
ディアと対峙したときに言っていた。あのときのサナは様子がおかしかった。
「お父さんは食人鬼だけど医者だった。小さな村で病人を診ていた」
もちろん、本物の医者ではない。だけど相応の知識はあったみたいだと彼女は言う。
「ある日とてもおなかが空いて、お父さんは村の若者を襲った。家には彼一人のはずだった。だけど奥さんがいた。妊娠した、奥さんが」
女は臨月だった。あと十日もすれば新しい命と対面するはずだった。
父と呼んだ人がそう話していたと、サナはつけ加える。
「騒がれてはいけないから、お父さんは奥さんを殺して、おなかの中のわたしを取り出した。赤ちゃんはおいしいから生かしておいて後で食べようと思ったって」
淡々と語られる言葉に、フロウは嘔気を覚える。
自分だって殺してきた。女も赤ん坊も食べた。可能な限り弱い個体を狙う。生き残る術だ。
フロウは胃液が上がるのを耐え、平静を繕って続きを促す。
「でも、サナは食べられなかった」
「うん。お父さんは村の人を殺して食べたからもうそこにはいられなくなった。急いで旅支度をして、赤ちゃんだったわたしを連れて村を出たの」
そこで、薄々赤ん坊だった彼女がどう生き抜いたのか、わかった気がした。
彼女から、嫌なにおいがした原因も。
「わたしが飲んだのはお母さんのお乳ではなくて、お父さんの血。食人鬼の血で育ったの。大きくなってからは毒のある食べ物を。何度も吐いたりおなかを壊したりして、苦しかった」
サナは自分の腕を摩る。苦しかった記憶が蘇ったのだろうか。
「だから、フロウはわたしを食べてはいけない」
「同族の血は、毒だから」
だから、食人鬼は単独で暮らす。飢えて同族を食うことがないように。
「苦しむのよ、すごく」
サナのその言いようには、冷酷さが窺えた。
冷酷になることは、彼女が経験から得た生きる術なのだろう。
「戦う術も覚えた。身体が小さくて力が弱くても勝てる方法を教えられた。いっぱい怪我をして死にかけた」
フロウもディアから教わった。食人鬼は親から単独で戦う術を教わる。群れを作らず一人で生きていくには、最低限、自分の身を守り獲物を狩る強さがなくてはいけない。
サナを育てた男も他の同様かそれ以上に、戦闘術には長けていたのだろう。
「お父さんは、食人鬼が嫌いだった。旅をしながら、わたしに同族を殺させた」
教え込まれた戦闘術で殺す。
反撃されたとしても、サナの血は相手にダメージを与える。
万が一食われたとしても、相手を死に至らしめる。
フロウは隠しきれずに眉をひそめた。
幼い女の子に、なんてことをさせてきたのだ。
彼女は人間だ。本当なら両親に守られ、故郷の村で平和に暮らしていただろうに。
確かにその男はサナの命を奪わなかった。だけど、過酷な生を強いた。
「憎んでないのか」
「わからない。憎む理由もない」
「本当の両親を殺したのに?」
「その人たちのことを、わたしは知らない」
話に聞いただけでは情も湧かない。それはわかる。だけどフロウは憤りを感じた。
「食人鬼を殺せたら、お父さんは抱き締めてくれた。よくやったって褒めてくれた」
「それは……」
「わかっている。あれが愛情ではないということは」
冷めた口調だ。
「それでも、あのぬくもりを身体は覚えてしまった」
訊かずとも答えはわかっていた。だけど、フロウは口を開く。
「その人は……どうしたんだ」
「わたしが殺した。お父さんは、食人鬼が嫌いだから」
もう、褒めてくれる人はいないのに。
自由になってもいいはずなのに。
サナは食人鬼を殺すことをやめない。やめられない。何かの呪いのように彼女の身体に染みついている。
父と呼んだ男のぬくもりと共に。
サナはその人のことを思い出しているのか、ぼんやりと虚空を見つめ、腕を摩った。
何か声をかけたかったが、思い浮かばずにフロウは立ち上がる。
大判の毛織物を、そっとサナの肩にかけた。
「……なに、フロウ」
「寒そうだから」
フロウの言葉に、サナは軽く首を傾げ、それから、目を大きく見開いた。
その目には、涙が滲んでいた。見る見る堪って、目の端で珠を作る。
「サナ?」
溢れそうな涙に思わず手が伸びる。だが、パシリ、と手を払われた。
「触るな」
サナは目を逸らし、毛織物を掴んで頭から被る。
「死なないだろうけど、痺れたりはするかもしれない」
涙を拭ってやることも、できないのか。
フロウはサナの頬を零れ落ちる雫を見つめ、歯噛みする。
彼女に、何もしてやれることがない自分が、不甲斐なかった。
隣に座ると遠慮がちに身体を預けてきた。
言葉もなく、サナはしばらく泣き続けていた。
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