二、秋

 赤や黄に色づいた木々の葉が山全体を見事なにしきに染め上げている。小川も例外ではなく、色鮮やかな葉が流れていた。そのうち流れに取り残されたものが川のふちさえも秋の色に飾っている。葉を落とす風には湿気も暑気もなく、爽やかで心地よい。だが、時折感じる肌寒さが、冬が近づきつつあることをさりげなく告げていた。

 天高く飛び立つ鳥のように、笛の音が高らかに響き渡る。つられて見上げた空は澄んだ青で、半ば見とれながら燎月は酒杯を口に運んだ。

 あの夏の夜から数年が経った。あれからときどきこの場所でみぎわと会うようになった。最初の頃はみぎわがいるところに燎月がやってきて居座る形だったが、今では燎月が先にいても構わずみぎわは姿を現わして笛を吹くようになった。

 数年なぞ鬼の燎月にとっては瞬きに等しい年月だ。ゆえに、けっこうあっさり気を許してくれたようにも感じるし、頻繁に会っているような気もしている。

 しかし、人であるみぎわはどう感じているのだろう。

 一心に奏でるみぎわとの間を、さあっと秋風が通り過ぎていく。紅葉が乱れ舞うその風景が過去を呼び起こして、燎月は我知らず笑った。


「どうしたの?」


 ちょうど一曲吹き終えたみぎわの目に留まったらしい。首を傾げている彼女に、燎月はなぁにとさらりと答えた。


「まさか汝とこうして相見え、穏やかに話すときが来ようとはな、と思うただけよ。刃を交えた相手と酒をも酌み交わすこともあるが、これはこれでまた珍しい」

「私だって思いもしなかったわよ」


 細い肩をすくめて言うみぎわがおかしくて、燎月は笑みを広げた。

 ――今は乱世。度重なるいくさで、人の世は血と暴力と死で満ちている。

 それらは下手な酒よりも強くあやかしを酔わせ、残虐非道へと駆り立てる。燎月も青葉山に棲まう鬼を率いて、周辺を荒らし回った。

 だがあるとき、このみぎわが燎月たちの前に現われて、村を守らんと立ち塞がった。

 百年に一度という強い霊力を持った女子おなごが産まれた。その者は神託によって神社にて巫女として大切に育てられている。風の噂でそう聞いていたが、それが彼女だったのだ。みぎわは神降ろしという術で祭神たる御汲守龍王おくみもりりゅうおうを身に宿し、その神力で燎月たち鬼に対抗した。

 神霊を宿らせたみぎわの姿を、燎月は今でもありありと思い出せる。

 紅蓮の炎の中で涼しげに立ち、髪を雪のような純白に瞳を龍の金色に染めて、圧倒的な神気を全身から放っていた。

 妖気はらんだ炎を神気で打ち消し、降りかかる刃と爪を水の気で受け流し、そして神力の具現である雷の矛で反撃してきた。

 気ままに笛を吹くこの女人が、鬼たち相手にたった一人で、しかも鬼すらも鬼神と恐れるような戦いぶりをしたとは、にわかには信じられまい。だが、本当のことだ。

 燎月とみぎわは幾度か戦ったが、勝敗はつかなかった。互いに引き際を心得ていて、追い打ちもしなかったこともあるだろう。結果、当然のごとく鬼と人はにらみ合ったまま動けなくなったが、あるときみぎわから予想外の提案がなされた。

 年に一度供物を捧げるゆえ、互いに互いを侵さぬという約定を結ばぬか、と。


「――一つ、前からいてみたかったのだが」

 笛の音がふっと止んだ。いぶかしげなみぎわの瞳を見返して、燎月は続けた。


何故なにゆえ、我に約定を持ち出した?」


 世間話のように切り出した燎月に対し、みぎわの表情が強張った。見つめる目が鬼の真意を探るように鋭くなる。


「なら、私も訊かせてもらうけど、あなたはなぜあの約定を呑んだの?」

「先に問うたのは我ぞ。汝がまず答えよ」

「……」


 みぎわが重々しく息を吐く。どこまで打ち明けて良いものやら悩んでいるのがすぐにわかった。

 これではらちが明かぬな、と燎月はため息をついた。


「……約定を結ばぬかと言われて、まず我は驚いた」


 不意を突かれたように、みぎわが面を上げる。気にせず燎月は続けた。


「次に面白いと思うた。鬼であり人の道理が通じぬ我らに、あえて約定を持ち出すとはまことおかしなやつだ、と」


 そのときの感情が蘇ってきて、くくっと燎月は喉で笑った。人同士でさえ約束を守らずたがえ裏切ることが多いこの世の中で、人外の鬼を信用して約定を結ぼうとは。


「そして、悪い話ではない、と思うた。我としては汝と雌雄しゆうを決したかったが、我らの縄張りをおびやかす敵が一つ消え、最低限の食料が手に入るという利は確かにあったからな」

「……あなたならそう考える。そう思ったから、と言ったら?」


 風に吹かれて、枯れ葉がかさかさと音を立てる。みぎわの胸の内を代弁しているようだった。

 燎月は悠然と笑んで、酒杯を掲げて見せた。


「敵ながら天晴れ、と言うてやろう。汝は見る目がある」

「なら、わかってるでしょう? あの約定は私たちのほうに利がある。あのまま戦い続けてたら、私が先に力尽きてた。なのに――」

「確かに、あのまま戦っておれば我らが勝っていたであろうな」


 燎月の笑みが残忍な鬼のそれに変わる。尖った牙がちらりと見えた。


「汝が首を取り、汝が血肉を喰らい、我らの力は増して万々歳。邪魔者はいなくなり、我らは再び好き放題に暴れ回れる」


 くらよろこびに満ちた声音に、みぎわが横笛を握りしめる。だが、そこで言葉を切った燎月は両肩の力を抜いた。


「……とはならぬのが世の常よ」


 一転して憂いとも虚しさともとれる声の響きに、みぎわは目を丸くした。その様を尻目に、燎月は酒を注いでぐいっと飲んだ。


「汝が我が意を読んだように、我とて汝がさがを見抜いておる。汝は村を守るという己が役目を果たすためなら何でもする。我らが汝を殺そうとすれば、汝は相討ち覚悟で戦うであろう。我も我が配下もただでは済まぬ。汝の命で釣りが来るか、怪しいものだ」


 周りに言われるがまま、期待されるまま、担がれるままに村を守る巫女であれば、まだ付け入る隙があった。だが、みぎわは違った。それどころか、村を守るためなら祭神に己が命を捧げるのも躊躇ためらわない、苛烈な性を隠し持っている。彼女が捨て身になり激流のごとく神威を振るえば、配下の鬼どもはもちろんのこと燎月すらも命が危うくなるだろう。


「そして、汝との戦いで疲弊ひへいした我らを狙う者が必ず出よう」


 例えば、青葉山や燎月たちの命を狙う妖。

 もしくは、優れた巫女をたおし喰らった鬼たちを恐れ、調伏ちょうぶくせんとやってくる術者たち。

 それらを相手にどこまで抗えるか、燎月は見当がつかなかった。


「我らが敵は汝のみにあらず。まあ、汝が敵も我らだけではなかろうが」


 燎月たちでなくとも、村を襲う妖がいればみぎわは戦う。さらには、みぎわは人として天災や戦禍とも生きるために闘わねばならない。

 人とは本当に脆弱で、不自由かつ生きづらそうな生き物だ、と燎月はときどき思う。


「少々話が長くなったが、まあ、我が約定を呑んだのはそういうわけよ」


 鬱屈うっくつした気分を払うように、あえて軽く燎月はそう結んだ。真面目な話に疲れたためそろそろ笛の調べでも、とちらりとみぎわを見たが、彼女は神妙な顔を崩さない。

 まったく、と内心苦笑して、燎月は己が膝に頬杖をついた。


「で? 汝が約定を持ち出した理由は己が保身のためであったか」

「……その通りだけど、何だか気に食わないわね、その言い方」


 むっと唇を尖らせる巫女に、鬼はくっくっと笑った。


「ああ、そうだ。己が保身のみならず、時間稼ぎでもあったな。この間にも、己のあとを継ぐ者を探し育てようとしておるのであろう?」


 みぎわが渋面になった。答えはそれだけで充分だった。巫女としての彼女は冷厳そのものだが、みぎわ自身は表情豊かで考えていることがわかりやすく、実に面白い。


「せいぜい励むことだな。次代が腑抜けでは約定もどうなることやら」

「ええ、わかってるわ」


 仏頂面で答えるみぎわに目を細めて、燎月はさかずきを口にする。酒が長話で乾いた喉を潤し、凝り固まった頭をほぐしてくれる。ふわりと身の浮くような酔いに任せ、せわしなく飛ぶ蜻蛉とんぼに目を移してぼうっと眺めた。

 ふと刺さるものを感じて振り返れば、複雑な表情をしたみぎわの目と合った。


「……あなたは恐ろしい鬼ね。さといだけに他の妖よりよほど厄介だわ」


 笑いが込み上げてきた。燎月は巫女に高々と酒杯を掲げる。


「褒め言葉とありがたく受け取ろう。我が宿敵にして聡明なる巫女、玲瓏れいろうなる調べを奏でる奏者、みぎわよ」


 喉をつまらせたような表情で、みぎわが固まる。その様子を肴に、くつくつ喉を鳴らしながら燎月はまた酒を一口飲んだ。

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