編集済
徳川秀忠の享年は54歳(満52歳)か、人生50年の時代だから違和感はないけど、現代なら政治家として若手というか、これからの年齢ですね。
年齢を聞くとなんだか切ない。
この方は創業者の家康と時代劇でもよく出てくる家光の間で影が薄く、武将としては兄弟たちと比較され才能があるとは言えないが、政治家としては我慢強く冷徹で評価すべき方ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>徳川秀忠の享年は54歳(満52歳)か、人生50年の時代だから違和感はないけど、現代なら政治家として若手というか、これからの年齢ですね。
平均寿命的には、そこそこかもですが、弟の忠輝は92歳まで生き(ストレスのないスローライフのおかげ?)、家康も75歳(満73歳)だったことを思うと、やっぱりストレスフルな人生だったのかもしれませんね。
(ノД`)・゜・。
大御所さま、大掃除をやりきっての大往生す。
婆さんたちは片付いたが、問題山積み。
大御所が他界、将軍は廃人。
伊達はスペインと密通してたし、薩摩はアレだし、尾州、紀州は反抗的。
寛永飢饉、振り袖火事、天草etc.
幕府はどうなるのか?
まだ幼君というだけで最悪乱世に逆戻りしかねない。
秀頼という前例が大きい。
血筋、実績、人格、見識ともに主人公が継ぐのが一番おさまりがいいのですがどうなるのか?
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>血筋、実績、人格、見識ともに主人公が継ぐのが一番おさまりがいいのですがどうなるのか?
つましいけど、自由な生活を知ってしまった国松が、魔境にもどりたいかどうか。
とはいえ、これから問題山積の国事に対応できる人材はいるのか!?
すくなくとも、家光じゃムリそう……
(/ω\)
臣籍降下しながらも皇位に就いた宇多院の前例が有るから松平姓から再び徳川姓に戻って将軍というのもこの前例持ってくれば通る可能性高いんだよな(これを否定すると宇多院の直系である皇室にケチつける事になる)
後面白いのが宇多院を主人公に当てはめると家光が陽成院に当てはまるんですよね(歴代天皇唯一の暴君で廃帝になった人物)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>臣籍降下しながらも皇位に就いた宇多院の前例が有るから松平姓から再び徳川姓に戻って将軍というのもこの前例持ってくれば通る可能性高いんだよな
6代家宣は母親の身分が低かったから、『松平』どころか、家臣の養子にだされて『新見左近』なんて名乗らされていた時期もあったそうですし、松平から徳川は全然アリですね。
(*'ω'*)
編集済
家光を殺さないとしたら、史実の寿命まで生殺し状態かなあ。
長丸改め忠義を家光養嗣子を経て四代将軍にするとして、忠義の男系が絶えた場合は忠長次男の福松改め忠頼が継ぐ予定の駿河徳川、そこがダメなら忠長異母弟の保科正之を祖とする会津徳川(できれば正之から、無理なら息子の代から徳川を名乗らせるのがベター)、それもダメなら長辰(徳松)が祖の武蔵守分家松平(徳川を名乗らせる、大名格にするかどうかは徳松・忠輝次第?)を将軍継承順とする、新御三家結成・発表か?
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>家光を殺さないとしたら、史実の寿命まで生殺し状態かなあ。
……おぉ、、、
次話で、今後の家光の扱いが決まります。
>新御三家結成・発表か?
さて、どうなるか、お楽しみに~
( *´艸`)
編集済
秀忠さん、徳川に溜まった膿を出し切る果断な仕置きと後事を唯一の嫡男に託しての大往生( ;ω; )僕らの日本史では「幕府を創世した偉大すぎる父と鎖国と言う日本の進路を決定づけた3代目の狭間の中継ぎ」程度に軽く扱われる二代将軍がこの世界では「徳川宗家による幕藩体制を盤石にした傑物」として語られるのが確実な見事な終活の姿に泣ける。しかしこれほどの荒療治を秀忠さんが己の命の最期の灯火を犠牲にしてまで成し遂げたのはひとえに忠長さんが史実を超えた破格な大器に成長したからこそ、このまま放置していては自分亡き後にその大器が砕かれるとの懸念から全ての害悪と邪念を打ち砕かんと奮起した事は想像に難く無いですな(*´-`)だからこそ忠長さんの本当の望み──将軍家の継嗣など眼中に無くささやかな幸せだけを望んでいた──を知って上で今回の荒療治をやるかどうかをギリギリまで相当に悩んだと思うとお辛い板挟み、結局は『大掃除だけはやっておくが最後は国松お前がどうするのか好きにするがよい』と腹を括ったんでしょうね……さてそうなると忠長さんはどんな道を選ぶのか?(・Д・)読者としては自身が将軍になるも息子を将軍位に就けて大御所として実権を握るもそれ以外の道もどんと来い!ですが果たして如何なる大団円を迎えるのか次回以降も目が離せませんなこりゃ♪寒さも本格的になって来ましたがお体に気をつけて執筆頑張ってください岩槻先生( ᐛ )و九州の片隅からコタツに篭って応援してまーす☆
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>さてそうなると忠長さんはどんな道を選ぶのか?
なかなかに悩ましいところです。
自分はやりたくないし、かわいいわが子を修羅場に送り出すのもイヤだし……となると、あの人しかいない!?
(@_@)
いつも応援ありがとうございます。
できれば、年内にもう1話アップしたいのですが、いけるかなぁ。
編集済
駿府
家康の最も縁がある土地だけでなく西日本からの江戸攻撃があった場合最終防衛ラインとなる地。
国松が相応に手を打っておけば幕府滅亡時であっても相応の海軍を維持しておけば川という外堀と艦砲射撃が可能な海からの距離というその地の利、江戸を中心に皇子たちを旗頭に持久戦も可能になり得る最重要な土地。
国松が生き残りのため歴史チート無双し、これ以後は自分と息子たちの未来の為動くだろうからこの世界での幕末はそれなりに変わった形になりそうだ。
そして、御三家のように家康の晩年の息子達でしかない一族として役にたったと言えない家と違い忠輝を後見とした徳松を新家を立てさせていくことで期待。
幕府の目付け役とするのもあり、幕府海軍を任せるもよし。
相応の関係を維持しておけば役にたたない御三家やごくつぶし御三卿などとまた違った家になってくれそう。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>家康の最も縁がある土地だけでなく西日本からの江戸攻撃があった場合最終防衛ラインとなる地。
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン
ここと甲府で食い止めていたら、もっと違った展開になったはずなのに!
東海道筋は、尾張が命じて薩長軍をサクッと通過させちゃったし、甲府方面も甲陽鎮撫隊以外は無抵抗だったので、あっという間に江戸入りされてしまいました。
(ノД`)・゜・。
思いだしたらムカムカしてきました。
(ガチガチの佐幕派なもので)
駿府の件は今川の縁も加味すれば無理ないかな?
家康に関しては今川質時代は婚姻も有り一門扱いもされてますから言われるほど悪い覚えは無いのかと。
それよりも三河衆の方の印象が悪いもある。
何せ祖父、父は家臣に殺され、本人は尾張に売られてますし。
長男信康の件も後方の岡崎、前線の浜松の家臣同士で対立してたって説も。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>家康に関しては今川質時代は婚姻も有り一門扱いもされてますから言われるほど悪い覚えは無いのかと。
そうなんです。
今川さんには案外よくしてもらっていたんじゃないかと思います。
でなければ、後年、氏真が訪ねてきたとき、バッサリやっているはずだし。
けっこう手厚く庇護しているところを見ると、相当恩があったような気もします。
更新お疲れ様でした!
そういえば、駿府は元々今川家の根城でしたね。
その関連性だけでも駿府の「陣屋」を与える理由付けになりそうですから、それであの縁組だったのかと合点がゆきました。
それにしても、通説では辛い人質生活だったはずの家康の今川家人質時代。
そんな嫌な思い出しか無さそうな場所を、終の棲家としたのは結構謎でしたね。
人質時代に嫌がらせをしてきた相手を後々に捕らえた際に問答無用で処刑した点を見ると、一種の意趣返しのつもりで居を構えたのか、あるいは、辛い人質生活ということ自体が家康を持ち上げるための虚偽で、案外結構いい生活をさせてもらえていたのか…
※当主の教育係であった太原雪斎を教育係にあてがうのは、どう考えても厚遇ですし
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>辛い人質生活ということ自体が家康を持ち上げるための虚偽で、案外結構いい生活をさせてもらえていたのか…
以前、人質時代に今川に作ってもらった甲冑を見たことがありますが、かなり手の込んだとてもいい品でした。
やはり、世話になった今川さんを裏切る形で織田方についたというのが後ろめたくて、事実をねじまげて後世に伝えている部分は多いんじゃないかと思ったりします。
年内に新しく読ませて頂いてありがとうございます。
秀忠公は私から見たらこの方が居たから15代まで持ちこたえただと思います。有能ではある先代が出来なかった後始末をして次に渡せる方は凄いのですよ。家宣公が同じに大変だったと思います。お疲れ様でした。名前を家に変えなかった4代は変えなかった理由を考えるとその方たちは恩義を大切にされたと思います。まぁ変えないと先代のままと思われるし。まぁ次が何になるのか楽しみです
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>秀忠公は私から見たらこの方が居たから15代まで持ちこたえただと思います。
そうなんです。秀忠って、あまり評価されていないんですよね。
あんなにがんばったのに。
家康の功績は偉大かもしれませんが、基礎固めもジミながら大変だったはずなんです。
この世界の秀忠は、忠輝との関係も悪くなく、忠長の不行状もないので、事後を任せて、安らかに旅立てました。
(@_@。