第76話 陣屋


 ―― いや、当然といえば当然か。


「わが子を将軍に!」と、願うお亀にとって、長丸や叔父たちはまさに目の上のコブ。

 なんとしてでも排除しようと考えただろう。


 お亀は、家康との最初の子・仙千代を六歳で亡くしている。

 その死の十か月後に生まれたのが義直だった。


 側室にとって、子のあるなしは大きい。

 失意のどん底から一転、ふたたび男子を授かったお亀は、「今度こそ丈夫に育てあげ、かなうならば武家の頂点に!」と決意したにちがいない。


 義直が生まれた慶長五年は、関ケ原の戦いがあった年。

 当時、家康はまだ征夷大将軍になってはいなかったが、天下を取ったも同然だった。

 そんな男が、自分の産んだ子を溺愛する姿に、お亀はある種の希望を持っただろう。


「となると、幸松たちの命を狙っていたのは……」


「ああ、お亀やそこにいる女子どもよ」


 親父は昏いまなざしで養母たちを見すえる。


「もしや、お亀がお福の子を中継ぎにしたのは、二代将軍に男児が誕生した際の備えだけではなく、同時に秀康伯父上を牽制する意図もあったのでしょうか?」


 義直が生まれたとき、結城秀康にはすでに息子が三人いた。

 二代将軍に男児が誕生しなかった場合、その後継者候補は、次兄の秀康か同母弟の忠吉にしぼられる。


 このふたりについては、関ヶ原合戦後、遅参した秀忠の後継者としての資質が問題となり、家康の懐刀・本多正信は武勇知略にすぐれた結城秀康を推し、井伊直政は関ヶ原の最前線で功をたてた婿の松平忠吉を猛プッシュしたという。


 お亀にとって、子のいない忠吉ならともかく、三人も息子のいる秀康に将軍位がわたってしまったら、義直が武家の棟梁になる可能性はゼロだ。


 では、どうすればいいか?


 そう、正室が産んだ嫡男(偽)にしばらく将軍の座をあたためさせて時間を稼ぎ、義直が成人するのを待ちつつ、ひとりずつジャマ者をかたづけていけば……。


 そんな大掃除中に、愛妻家として知られる秀忠が庶子をもうけたのは想定外だったはずで、幸松も即粛清者リスト入りしただろう。


 定説では、秀忠の正室・お江が幸松母子の暗殺をたくらんだといわれているが、嫡出の男児をふたり(ひとりは偽者だが)も産んでいるおふくろが、夫の勘気をこうむるリスクを冒してまで手を汚すメリットはない。


 と、


「国松はものがよく見えているようで、案外鈍いのだな」


 あきれたように見やる忠輝。


「鈍い???」


「そうではないか。幸松暗殺の背後を見抜きながら、なぜおのれ自身の危うさに気づかぬ?」


 へ!?


「庶子に刺客が送られたのだ。唯一の嫡男が、ねらわれぬわけがあるか!」


「あっ!」


 忠輝は、呆然とする甥から視線を転じ、


「利勝、おまえの献身に、当の国松はつゆほども気づいておらぬようだぞ」


「なんの。気取られてしまっては、元も子もございませぬ」


 オババたちの後ろで気配を消していた土井大炊頭利勝がはじめて声を発した。


「大炊……頭?」


「考えてみろ。おまえの乳母はだれだ?」


「朝倉局は……大炊頭の義妹……」


「おまえは生まれたその瞬間から、命が脅かされていたゆえ、兄上は細心の注意を払って、守り続けていたのだ」


 マジで!?


 忠輝が配流先から駿府に入ったとき、親父は「国松は、誕生以来ずっと命を狙われている。わしに代わって、近くで守ってほしい」と、手をついて懇願し、いままで反目しあっていた異母弟を丸めこむのに成功した。

 あれは、同情を買うための作り話だとばかり思ってたけど、本当のことだったのか!?


 そして、得体のしれない不気味なオッサンだと警戒していたヤツが、ずっとおれを守っていてくれていた!?


「おじいさまは、一連の陰謀にどこまで関与しておられたのですか?」


 信長の大甥のおれや、幼少期から疎んじていた秀康はともかく、忠吉はジジイのお気に入りだった。

 お亀にとっては目障りな存在でも、家康が忠吉の暗殺を命じるとは思えない。


「ほとんどは事後に知らされたようだ。さすがの父上も、そこまで非道な御方ではない。晩年は対豊臣に腐心しておられたゆえ、奥向きのことは阿茶らに任せきりであったからな」


「とはいえ、お亀の暗躍を阻止することもなかったのですよね?」


 そう糾したのは、千姫だった。


「奥の主宰者であったはずの母上は、ずいぶんと肩身がせまそうでした」


 親父が襲職し、おふくろはファーストレディとなったが、奥は、家康の側室たちに支配されたまま、将軍御台所という肩書も有名無実。その後も権限委譲はなされなかった。

 千姫は、幼いながらも、母親の苦衷を感じ取っていたらしい。


「実際におじいさまが命じずとも、そのおこないを咎めず、罰しなければ、それは黙認したも同じ。ゆえに、側室どもはおじいさまのお気持ちを忖度するという口実で、身内を害しつづけたのではありませぬか?」


 姉ちゃんの言うとおりだ。

 お亀たちの暴走を止めることができたのは、天下人・家康ただひとり。

 だが、ジジイはこいつらを放置していた。

 

「そなたの申すとおりだ」


 親父が苦し気につぶやく。


「しかも、わしはこのとおり余命いくばくもない身。これ以上、そなたたちを守ってやることもできぬ」


「「……父上……」」


 秀忠の命脈がつきかけているのは、誰の目から見ても明らか。

 この期におよんでは、もはや気休めの言葉をかけることもできず、おれと千姉ちゃんは親父を凝視しながらほほを濡らすのみ。


 だから、油断した。


「ゆえに、国松、そなたに駿府の陣屋をあたえる」


「お待ちください。駿府に陣屋などあったでしょうか?」


 ま、まさか?


「あるではないか。そなたの祖父が終の棲家としたアレだ」


 やっぱり、アレ ―― 駿府城のことか!


「父上、アレは陣屋ではなく城です! この徳川本城よりも巨大な七層の天守をもつ城塞を、陣屋とは呼びません!」


 陣屋というのは、城を持てない小大名が領地に置く屋敷や、幕領の郡代・代官が詰める役所のことだ。

 三重の堀とバカでかい天守を持つ平城のことじゃない!


「いや、陣屋だ」


「叔父上、なんとか言ってください」


 かたくなな病人に辟易し、傍らの坊主に助けを求めるが、


「陣屋だ」


「は?」


「陣屋だな」


「……叔父上まで」


「国松、六十二万石の尾張勢に攻められたら、一万石にも満たない旗本などひとたまりもない。援軍がくるまで持ちこたえられる強固な居所を与えたいという親心をわかってやらぬか」


「そうはいっても、わたしには、あんな大きな城を維持するほどの家臣はいません」


 妙に強い口調で諭されて、恨みがましく反抗すると、


「案ずるな。駿府はほかの旗本らに交代で警備させる」


 え、それって、後年できる駿府在番のこと?


 あっちの世界では、駿府の領主だった徳川忠長が改易されたあと、駿府は幕領になった。

 東海道に面する駿府城は、軍事的要地。

 そこで、幕府は駿府城代を置き、その下に実働部隊である駿府在番を設置した。

 はじめのころは、大番が派遣されていたが、のちに書院番が担当することになる。


「おまえは三河者から慕われておるゆえ、みなよろこんで務めてくれるはずだ」


 親父の干からびた手が頭に載せられ、おれは不覚にもうなずいてしまった。


 刹那、


「「「亡き大御所さまの御城を一旗本に下賜するなど、ありえませぬ!」」」


 三ババが一斉に吠えた。


 


 



 



 

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