第71話 噂
寛永八年 二月下旬
おれと徳松は、月仙の引率のもと、『鷹狩り』にきている。
あらためていうまでもないが、鷹狩りとは、訓練した鷹を使って、ウサギ、キジ、カモ、ガンなどを捕る狩猟法で、この時代の武士にとっては、アウトドア系レクリエーションであると同時に、勢子らに指示を出して獲物を追い詰める過程が軍隊を指揮する行為に通じるため、軍事調練をかねていたりもする。
そして、今日の狩場は、武蔵国鴻巣周辺。
ひろびろと広がる
じつは、この遠出には
ところが、兄貴は、大御所不参加と聞くやいなや、突如鷹狩り実施を決定し、おれたちがリザーブしていた鴻巣御殿を横取りしやがった。
鴻巣御殿は、鷹狩りマニアの家康が文禄二年(1593)に建てたもので、主殿・広間をはじめ、鷹の飼育小屋や狩り用のグッズをしまっておく道具部屋等三十以上の建物からなる広大な施設だ。
ジジイはここを拠点にして、たびたび北関東で放鷹していたが、御殿は基本将軍用。
今回は、利用者代表が親父だったから、おれたちも宿泊可能だったが、肝心の大御所がおらず、現役将軍が使用の意向を示したら、こちらは引くしかない。
―― まちがいなくイヤガラセだろう。
そんなこんなで、結局おれたちは、あっちより若干グレードの落ちる石戸の御茶屋に泊まることになった。
石戸御茶屋は、鴻巣の南・荒川左岸の石戸領に造られた休憩所で、家康もこのあたりで遊猟したときはここで休息を取り、夜は鴻巣に泊まったという。
とはいえ、ランクダウンしても、そこは腐っても将軍が利用する施設。
周囲には、幅6m・深さ3mほどの空堀をめぐらし、さらに内側には約2mの土塁と塀も築かれている。
出入り口は二カ所のみで、それぞれ枡形虎口という防御性の高い二重の門。
また、建物は、従者用宿舎である長屋や番所が塀に沿って連なり、敷地中央の主殿を囲むように配置されていて、セキュリティー面も万全だ。
だから、こっちでもそこそこ快適に泊まれるはずだったのだが…………。
さて、しつこいようだが、鷹狩りの獲物は、
では、なぜ、おれの眼前には、きれいに唐竹割りになった黒装束が十数体、転がっているのだろう?
狩猟用の鷹は、だいたいハシブトガラスくらいの大きさなので、当然、こんなサイズは対象外。
イノシシやシカなど大型動物を狩るときは、
「しばらく
必死に現実逃避するおれの傍らで、真剣に悩むオッサン。
「それにしても、拙僧もずいぶんと舐められたものよ。かようなザコを寄こすとは」
不満げに鼻を鳴らした忠輝は、刃に付着した血糊を、黒装束の端でていねいにふき取り、仕込み杖に納めた。
この杖は、例の極秘面談のあと、片倉小五郎の外祖父・伊達政宗からひそかに贈られた打刀をリメイクしたもので、オリジナルは『燭台切なんちゃら』とかいう、なにやらイワクありげな品だ。
「……叔父上」
いまさら『拙僧』なんて取りつくろっているが、坊主が賊を瞬殺 ―― これまで見て見ぬフリをしてきたけど……この人、本当に出家してるんだろうか?
それに、ひとこと言わせてもらえば、この暗殺団のターゲットは、たぶんおれ。
だから、アンタが舐められたわけじゃない。
「さすが、父上! 感服つかまつりました!」
遠い目でモヤモヤするおれとはうらはらに、ほほを紅潮させて叫ぶ徳松。
ハイテンションの従弟は、おもむろに刀をひと振りし、刀身にこびりついた鮮血を払った。
「わたしも精進して、父上のようなりっぱな武将になりとうございます!」
そうか。まぁ、がんばれ。
だが、おまえが、いま手にしているのは、先年、大御所さまから拝領した逸物で、表に倶利伽羅龍が、裏側には不動明王像が彫られたけっこう有名な刀。
たしか、のちに重要文化財に指定されるやつだから、そんなふうに雑に扱っちゃアカン。
ちなみに、叔父の剣術は『奥山新陰流』で、流祖は、新陰流四天王のひとり・
奥山は、七年ほど家康の剣術指南をつとめたことがあり、叔父はそのとき指南を受けた者から習ったらしく、その流儀は、現在、忠輝の子・徳松にしっかり伝授されつつあるようで…………おっと、また逃避してしまった。
「叔父上、これはやはり」
「ああ、何者かが差し向けた討手だろう」
まったり答えながら、遺体を広縁の外にサクサク蹴り出している。
「この茶屋もそれなりに守りは固いはずだが、こうも容易に侵入してきたところをみると、だれか手引きをした者がいるな」
「となると、将軍一行が急きょ鷹野にきたのも、たんなるイヤガラセだけではないと?」
「家光はともかく、おそらく随員の中に、この襲撃を命じた者がいるはずだ」
だるそうに分析した忠輝は、血まみれの主殿を見まわして、
「いちおう片づけはしたが、ここで寝るのはムリだな」とぼやく。
「寝床の心配をする前に、今回の件について、叔父上の考えをお聞かせください」
「知れたことよ。大御所の不例を期に、魑魅魍魎どもが策動しはじめたのだ」
おれもそう思ったが、その動機がイマイチわからない。
たしかに、兄貴は柳生兄弟への強姦未遂事件で、親父から完全に見放されたっぽいが、その後も強制隠居させられたりはせず、将軍の座にすわりつづけている。
あっちの世界では、実弟・忠長が徳川姓を保持したまま、五十五万石の大々名として存在していたから、家光にとって最大の脅威だったが、おれはとっくの昔に徳川姓を捨て、家禄だって一万石以下。動員できる兵力だって、たかが知れている。
だとしたら、そんな小物をわざわざ手を汚してまで排除する必要はない。
ましてや、けむたい大御所は弱ってきているこの時期に。
「今後もこのようなことがつづくのでしょうか?」
「愚問だな」
徳松によく似たつりぎみの目がするどく光る。
「おまえが考えている以上に、闇は深い。つぎなる襲撃にそなえておけ」
そして、叔父の警告した襲撃は、予想とはちがった形でおれの身に降りかかってきたのであった。
その凶報をもたらしたのは、めずらしく顔を見せた柳生左門。
柳生家の次男坊は、あれから、ひんぱんに父・又右衛門とともに登城して、将軍の稽古相手をつとめているが、兄貴の好みから外れているおかげか、アヤシイお誘いを受けることもなく、無事に過ごしているらしい。
『らしい』というのは、例の一件で十兵衛と又十郎が江戸を離れてしまったので、左門が実家に呼び戻されて、あまり会えなくなっているからだ。
午後一でやってきた左門は、いつになく興奮したようすで、
「城内に、国兄さまの悪評がばらまかれております!」
それによると、先日の鷹狩りで、おれはささいなミスをした小姓を手討ちにしたあげく、刀の切れ味を試すため、バラバラに切り刻み、たまたま通りかかった野犬にソレを食わせたという。
ツッコミどころが満載すぎて、マジで目が点になるおれの横で、徳松は、
「はぁ!? 襲撃を受けた瞬間、腰をぬかしてへたりこんでいた国松が家臣を手討ちに!?」
「わしが即座に斬り捨ててやったのに、礼を言うどころか、その血を見て
「あの乱闘のさなか、一度も柄に手をかけることなく震えつづけていた御前さまが、バラバラの肉片を野犬に? いやいや、そもそも遺骸なんぞ怖くて触れるはずがございませぬ」
おい、藤吉、主君にむかってなんてことを言うんだ!?
おれだって、柄に手くらい…………あれ、どうだったっけ?
「笑いごとではありませぬ!」
色をなして抗議する左門。
左門、おまえだけがおれの味方だ!
「熟睡している赤子でさえ殺められそうもない国兄さまに、かような根も葉もないウワサが流されていることこそ問題なのです!」
……なんか、全然かばわれてる気がしないが。
「たしかにな」
ゲラゲラ笑っていた忠輝が、急に真顔にもどる。
「襲撃が失敗したゆえ、こたびはおまえの評判を落とし、長丸を将軍位から遠ざけようとしているのだろう」
「長丸を!?」
つまり、このまえの襲撃も、今回のネガティブキャンペーンも、すべて次期将軍の座をめぐる闘争だというのか!?
「しかし、叔父上、長丸はわたしの、宗家を離れた旗本の世継ぎ。将軍位とは無縁です!」
「なれど、家光は病弱なうえ、現在ひとりも子がおらず、今後ももうける気配すらない。長丸は、大御所の孫であり、御台の猶子でもある。ましてや、母方の血筋も申し分ない。野心をもつ者らにとって、長丸はすこぶる目障りな存在だが、たやすく害せる長丸の前に、まずおまえをつぶしておこうと考えたのであろう」
「そんな……」
おれを物理的に葬り去ることに失敗したから、今度は誹謗中傷で社会的に抹殺しようとしている?
考えてみれば、家臣手討ちのエピソードは、あっちの世界の忠長にもあったし、時期的にもちょうどこのころだ。
もし、このウワサに尾ひれがついて蔓延すれば、あっちと同じように『忠長発狂』のイメージが定着して、兄貴がそれを口実に改易を命じる恐れもある。
そのうえ、運の悪いことに……いや、あえてこのときを狙ったのかもしれないが、親父の体調は確実に悪化してきているし、あっちの世界と同じなら、約一年後にはこの世を去る。
つまり、いままでのような庇護は受けられなくなり、おれは家族と家臣を守るために、自力で戦わなくてはならないということだ。
(なんでだよ?)
十年前、生き残るために権力中枢から離れる決断をしたのに、なぜ、いまになって政治闘争の渦に巻きこまれるハメになるんだ!?
そして、この陰謀の裏に潜んでいるのは、いったいどの勢力なんだ……。
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