第70話 旅立ち


 深い眠りから徐々に覚めかけたものの、まぶたが重くて、なかなか目が開けられない。


 瞑目したまま、至近で交わされるやり取りに耳をすますと ―― どうやら、あの迷惑な御成から半日以上経っているらしい。



「奥方は落ちつかれたか?」


「ようやくに」


 叔父・月仙のものらしき問いかけに答えるのは、おふくろが亡くなって以来、なんとなくうちのホームドクター化した道三Ⅳの声。


「ずいぶんと取り乱しておられたが、腹の子に障りはないか?」


「しばらく安静を心がけていただければ、大事ないかと」


 そう、妻は現在、第二子妊娠中。


(身重の奥さんを不安にさせちゃったなぁ)と、こっそり反省していたら、 


「むしろ、お竹さまのほうが心配です」


 道三Ⅳのボヤキに、ぼんやりしていた意識も一気に覚醒。


「たしかに、お竹の狂乱ぶりはすさまじかったからな」


(狂乱!?)

 

 お竹! おまえも、妊婦だろうが!

 なにやってるんだよ!?



 じつは、目下、妻だけでなくお竹も妊娠中で、製造元はいうまでもなくそこにいる坊主。


 たしかに、酒はがぶ飲み、肉・ネギ・ニラ・ニンニク食い放題で、「『不許葷酒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさず』の戒律はどうした!?」なナマグサ坊主っぷりには、前々から首をかしげていたが、いくら元妻とはいえ、僧形の身で再会早々孕ませるか?


 しかし、まわりが祝福ムード一色なので、日光東照宮の三猿のごとく、目耳口をふさいでスルーすることにした。


 とはいえ、あとあと問題になる可能性大なので、お竹妊娠の件はいちおう親父にはこっそり報告しておいた。


 今回のお竹たちの西ノ丸への招待は、忠輝父子の対面中ふたりを屋敷から遠ざける口実ではあったが、一方で、おれの妻子の供というテイをよそおいつつ、大御所・秀忠が、徳松とお腹の子を徳川一族の者と認めていることを示すデモンストレーションでもあったのだ。


 そのお竹は、妻の昌子とほぼ同じころに出産予定なので、次の子どもの乳母はほぼ確定。

 まぁ、ある意味求人を出す手間が省けて助かったといえなくも…………


(あれ?)


 なんか、それどころじゃないヤバいアクシデントが……あったような、なかったような……?



「あ゛あ゛ーーーっ!!!」


 ガバッと跳ね起きたとたん、猛烈なめまいに襲われて、頭をかかえる。


「国松!」

「急に動いてはなりませぬ!」


「でも、又十郎が!」


「頭を強く打ったのだ。おとなしく寝ていろ!」


 叔父にキレぎみに制止され、涙目でうなずく。


 オッサンたちによってふたたび布団の中に戻されたあと、ナマグサ坊主から説教つきの状況説明があり、意識喪失中の顛末を知ることができた。


 ――――――――――――――――――


 俺が堀田に足払いを食らって昏倒したあと、兄貴一行はあわてて城に帰った。


 やつらが立ち去るやいなや、月仙はすみやかに医者の手配および柳生家への緊急連絡、藤堂・片倉の撤収を指揮した。


 往診については、動顛した家人がいつものように曲直瀬家に行ってしまったが、道三一族は本道(内科医)。 

 そこで、道三Ⅳは懇意にしている金創医(外科医)を即手配して、いっしょに駆けつけてくれた。


 医者の診断によると、俺は頭部を打って脳震盪を起こしたらしい。

 ただし、こういう場合の意識消失は、短時間で回復することが多いのだが、おれはいつまで経っても目を覚まさず、周囲はかなり焦ったそうだ。

 CTやMRIがないこの時代では、それ以上の検査・診断は不可能。

 せっかく来てくれた外科医も、外傷の手当くらいしかできないのでいったん帰ってもらい、道三Ⅳが念のため残っていたのだ。


 結局、この昏睡は、このところ極秘対面の準備に忙殺されていたという証言もあって、単に疲労が蓄積しまくって爆睡しているだけと見立てられた。



 一方、ひと通りの手配を終えた叔父は、柳生家に行き、又十郎の父・又右衛門宗矩とともに西ノ丸の大御所のもとに急行した。


 かわゆい孫たちとほのぼの団欒していた親父は、月仙から報告をうけた瞬間、阿修羅と化した。


 おかげで、長丸は恐怖のあまりひきつけを起こすほど巨大なトラウマを植えつけられ、その母・昌子は、夫が昏睡状態と聞いて失神し、奥医師を招集する騒ぎとなった。

 その間、お竹は仁王立ちになって咆哮しつづけ、徳松は大御所さまから拝領したばかりの脇差を手に走り出した。


 親父たちは、ただならぬ殺気を放つ少年を追って、本丸に踏みこんだ。


 本丸では、蒼白な顔で立ちはだかる側近たちを、実戦経験豊富なオッサントリオが拳ひとつで薙ぎ払い、兄貴のプライベートゾーン・将軍御座所にあっさり突入。


 そこには、ローティーンのお子ちゃまには刺激的すぎる現場が……。


 真っ裸に剥かれ、号泣する又十郎。

 それに覆いかぶさっている同じくマッパな兄貴。

 親父は、無言のまま、そのだぶついた腹を蹴り上げ、月仙は抜刀寸前の徳松を羽交い絞めにした。


 部屋の隅まで吹き飛んだ三代将軍は白目をむいて気絶し、ギリギリで後ろの貞操を守られた又十郎もショックのあまり失禁。


 又右衛門は、魂の抜けた息子を回収して帰宅 ―― という流れだったそうな。



 今回、性犯罪の被害者となった十兵衛と又十郎は、強姦未遂魔がいる江戸を離れて、武者修行という名のセンチメンタル・ジャーニーに旅立つことになった。

 

 そして、将軍の稽古相手には、又右衛門の次男・左門が就任 ―― あっちの世界と同様に。


 左門はガチムチ好きの兄貴の嗜好から外れているとはいえ、だいじょうぶなのか?


 やはり……これは歴史の復元力なのだろうか? 




 出立の朝、おれは激やせしてしまった又十郎に頭をさげた。


「あのとき、おまえを守ってやれなくてすまなかった」


 おれのせいで、又十郎の心には一生残る傷をつけてしまった。

 


 おれが、自分の保身のために又十郎たちを引き取ったせいで。

 おれが、『乃可勢』を持っていたせいで。

 おれが、兄貴の側近たちにすら、あなどられるような身分を選択したせいで。



「お国は悪くない。悪いのはあいつらだ!」


 又十郎の代わりに、旅装の十兵衛が吠える。


「俺たちは戻ってくる。いま以上に強くなってな」


 十兵衛の決意表明に、いまだに顔色のすぐれない又十郎も大きくうなずき、


「自分だけではなく、国兄さまのことを守れるくらい強くなってみせます」


「又十郎……」


 けなげな弟の言葉に、そっと目元をぬぐっていると、


「左門、あとは頼んだぞ!」


 妙にハイな十兵衛が、異母弟の肩をバシッとたたく。


「承知しました。例の件もあちらのほうもお任せください」


「例の件? あちら?」


 話が見えず、となりの美少年に目をやるが、左門はけぶるような笑みでごまかす。


「十兵衛、又十郎、使いものになるていどには腕を磨いてこいよ」


 いっしょに見送りに出た徳松が、悪態をつく。


「ふん、おまえこそ左門の足を引っ張るんじゃないぞ」


「使いもの? 足を引っ張る?」


 横に立つ従弟を凝視するが、こちらも薄ら笑いを浮かべたままダンマリ。


「じゃあ、行ってくるわ」 

「国兄さま、徳松、左門、行ってまいります」


 ふたりはそう言うと、十人ほどの門人とともに晩秋の朝霧の中に消えていった。



 このとき ―― いや、生涯、おれは気づかなかった。


 今度の事件を機に、柳生兄弟と徳松が、おれを守るために、ひそかに特殊部隊暗部を結成しようとしていたことを。

 大きな目標ができたおかげで、又十郎はメンタル崩壊の危機を脱したことを。

 江戸に残った左門は、家光たちを見張る役目を引き受けて、あえて稽古相手に名乗り出たことを。


 そして、この組織が、以後、百数十年にわたって、武蔵守家を陰から守る隠密軍団に成長する未来を。




 寛永四年十二月十五日、次男『福松丸』誕生。


 その二日後、お竹も男子を出産し、『松千代』と名づけられた。






 寛永五年五月

 おれたちの怨嗟が呪いとなって具現化されたのか、将軍・家光は『おこり』を患った。

(瘧は、マラリアに似た熱病)


 翌六月、病が癒えてまもなく、家光は脚気を発症し、毎月恒例の大名との対面行事すらこなせないほどの激痛に苦しんだ。

 痛みは七月には治まったが、この間、奥医師首座・半井成近なからいなりちか驢庵ろあんⅣ)と、奥医師・今大路親昌(道三Ⅳ)のふたりは、投薬の効果がないことを責められて罷免されている。

(のちに復帰)


 寛永六年二月下旬 家光はまたもや体調をくずす。

 同月三十日夜より顔に発疹が出はじめ、奥医師によって『痘瘡とうそう』(天然痘・疱瘡)と診断された。


 このころ痘瘡には有効な治療法もなく、致死率は40%。たとえ回復したとしても、失明や重い障害が残ったりする恐ろしい感染病だが、家光はなんとか持ち直し、翌閏二月十五日、痘瘡回復後の風習である『酒湯さかゆ』を浴びた。


(※ 『酒湯』とは、酒をまぜた湯(米のとぎ汁をくわえることも)のことで、この湯で体を洗い流せば、疱瘡でできたアバタが取れると信じられていた)


 八月二十一日、将軍御台所・鷹司孝子は、夫の病平癒祈願の御礼参りのため伊勢神宮に向かい、つづいて山城愛宕神社にも参詣した。


 九月八日、孝子は秀忠が京に建てた屋敷に入り、その後、江戸に戻ることはなかった。


 十月十日、孝子は疱瘡快復御礼言上のため参内。帝に拝謁し、従二位の位と御盃をたまわった。

 

 当初、家光はお福を上洛させて官位をもらい、愛する乳母どのに箔をつけようとたくらんでいたが、秀忠に、

「無位無官の女が上洛? なんのために? 帝への御礼言上なら、乳母ふぜいではなく、摂関家出身のれっきとした正室がいるのだから、里帰りがてら孝子を遣わすのが筋であろう」と、かるく論破されて、ひとことも言い返せなかった。


 もともと家光と孝子は、夫婦としての実態もないことから、別居になってもだれひとり困らず、今後は京都駐在員として働いてくれるはずだ。


 孝子の猶子である長丸は、いずれおれの後を継いで、高家の仕事をすることになる。

 舅の秀忠から、「高家なら、ひんぱんに上洛するし、かわいい息子の手助けもできる」と言われた義姉は、よろこんでこの計画に乗ったのだ。


 

 本来、伊勢詣 ☞ 上洛は、お福が春日局になるための必須イベント。

 

 お福は、遠い親戚(公家)の猶妹になるという裏技を使って、帝との拝謁にこぎつけ、従三位の位と『春日局』の号をもぎ取ったことで、奥女中の中でも抜きんでた存在となり、大奥でデカい顔ができたのだ。

(※ 三年後、再上洛し、従二位にランクアップする)


 つまり、帝のご威光をゲットするチャンスを逃した乳母どのは、一生無位無官のまま、『春日局』にもなれずに終わるわけだ。



    ―― ざまぁ ――


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