第69話 強奪
玄関の式台では、強引に上がりこんだと思しき一団が、おれの家臣ともめている。
さすがの新陰流門番も、将軍の侵入は阻止できなかったらしい。
「これはこれは公方さま、なにゆえこのような
闖入者の中心にいる小デブに、先制攻撃。
「先ぶれをいただいておりませぬゆえ、満足なおもてなしはできかねまする。なにとぞ、ご来駕は日を改めて」
「な、なっ!?」
いきなり露骨な門前払いを食らって、目を白黒させる兄貴。
「「「無礼であろう!」」」
案の定、
「では、なに用でお運びに?」
冷笑をたたえ、一行の前に立ちはだかる。
ここから先へは、絶対に立ち入らせるわけにはいかない。
おれの気迫にビビったのか、連中はヒソヒソ相談をはじめ、ややあって、
「客が、来ているようだな」
側近のひとり、酒井重澄が、エラそうにほざいた。
屋敷の陰に隠していた駕籠を目ざとく見つけたのだろう。
酒井重澄は、坂部五右衛門お手討ち事件後に出仕した男で、いまでは堀田正盛とともに『一双の寵臣』と称されるほど、家光に気に入られている。
こいつは酒井姓を名乗っているが、酒井一族との血縁はなく、実父は飛騨高山藩二代藩主・金森
兄貴は、寵臣に箔をつけるため、譜代の名門・雅楽頭酒井家の苗字をパクったのだ。
「ええ、来客中なのです。ですから、先ぶれもなく突然訪われて、たいそう困惑しています」
「客は、和泉守(藤堂高虎)だな。なに用か?」
ドヤ顔の酒井は、駕籠の家紋から客の正体を察したらしく、無遠慮にグイグイ突っこんでくる。
(先に『なんの用だ?』って聞いたのは、おれのほうだろうが、ボケナスめ!)という本音は、貼りつけた笑顔の下に隠し、
「わたしは、大御所さまの命により、以前から和泉守のもとで用兵・築城・武士の心得などを学んでいます。本日は、じきじきに剣術の手ほどきを」
想定問答にそって、そう答える。
これなら、おれが稽古着姿なのも不自然じゃない。
そして、当の藤堂は、非常用通路を使って、道場に移動中のはずだ。
「さて、そろそろ稽古にもどってもよろしいでしょうか? 師たるお方を待たせるわけにはまいりませぬゆえ」
一礼して、踵を返しかけると、
「ま、待て!」
あせったように兄貴が呼び止める。
『
「おまえ、『
刹那、全身が凍った。
「……それが、なにか?」
昨年末、おれは親父の命により、ひとりの坊主を預かった。
坊さんの名は月仙 ―― 俗名は、松平忠輝。つまり、徳松の父親だ。
わが武蔵守邸は、徳松の元服を期に三回目の大規模リフォームをおこなった。
完成後、西側に新築された建物はおれの屋敷になり、旧宅は徳松の居宅になった。
配流先から預け替えになった忠輝は、息子の屋敷の離れ(旧謹慎所)に入り、そこを私室として使っている。
問題の『乃可勢』は、もとは忠輝が父・家康から生前贈与されたもの。
いわば形見というべき大事な品を、叔父は、
そこで、月仙が来てすぐ、「気持ちはじゅうぶん受け取ったから、これは返したい」と申し出たところ、「一度手放したものを返されても困る」とかたくなに断られ、しばらく話し合った結果、複製品を作って、お互い一本ずつ手元に置き、オリジナルはわが家で大切に保管することで落着した。
その際、「できれば、わが子にも」と依頼されたため、五本のレプリカを作製し、叔父、おれ、徳松で一本ずつ、なぜか不仲の
五本目の笛を贈られるのは、片倉小五郎という十一歳の少年。
じつは、この子は、忠輝の正室・五郎八姫(伊達政宗嫡女)が、離縁後ひそかに産んだ隠し子なのだ。
罪人の子として生まれた男児は、一時期、奥多摩の寺にかくまわれていたが、二歳上の異母兄・徳松が旗本に取り立てられたのを機に還俗して、祖父の領国に移った。
仙台では、政宗の重臣・片倉重綱の庶子として育てられ、今回、大御所の勧めで、最初で最後の親子対面と相なったのだ。
(仮想敵の仙台藩には諜報網が張り巡らされている由)
忠輝がおれの屋敷に預けられている事実は、大々的に公表されてはいないものの、正式な手続きを経ているので、後ろ暗いところはまったくない。
それにくわえ、江戸への移送中に出家したため、罪一等を減じられ、行動制限なども一切受けておらず、ちょくちょく外出さえしている。
しかし、小五郎の場合、徳川家康と伊達政宗の孫という、反徳川勢力にとって、神輿として担ぐにはもってこいの血筋。
そんな政権をゆるがしかねない危険分子を黙認する条件が、陪臣の庶子として生を全うすること。
いままさに、一本の笛を介して悲しい親子関係を切る儀式が、
(叔父は、一連の心づかいに深謝して、希少なレプリカを
ということで、おれの役割は、親子対面を無事終わらせる警守係だったのだが、まさかもっとも知られたくないヤツが襲来するとは……。
しかも、乃可勢!?
「あいかわらず鈍いな」
フリーズするおれを煽る三浦重次。
「乃可勢は、歴代の天下人たちが所有した逸品。上さまにこそふさわしい」
「本来なら、公方さまが所望される前に、そちらから献上するのが筋だろう」
「わかったら、さっさともってこい!」
「お言葉ながら」
口々に勝手なことをほざくおホモだち軍団に、冷ややかな一瞥をくれ、
「乃可勢は、おじいさまが亡くなる直前、叔父・上総介(忠輝)どのに下賜された形見。叔父上は、その笛を、ご自分の妻子を保護した礼として、わたしに下さったのです。その際、大御所さまにはご宗家に献上すべきか否かおうかがいを立てており、大御所さまはわたしの手元に置くよう命じられました。となると、みなさまは大御所さまの判断がまちがっていたとおっしゃるのですね?」
超絶イヤミな口調でたたきつければ、兄貴は顔色を変え、
「ち、父上が? だ、だって、お福が、『乃可勢は天下人の笛。すなわち、将軍の財。即刻取り返すべき』って言うから……」
思いっきり口をすべらせた。
(なんだ、それ? ガキの使いかよ!?)
あきれると同時に、一気に緊張が解けた。
どうやら、こいつらの目的は天下人の証『乃可勢』の強奪で、例の密会がバレて、踏みこまれたわけではないようだ。
と、そこへ、
「国兄さま」
後ろから軽く袖を引かれてかえりみると、緊張した面持ちの又十郎がこっそり親指を立てた。
いっしょに道場を出た又十郎には、おれが玄関で兄貴たちを足止めしている間、玄関と道場を往復させて、伝令役をしてもらっていたのだ。
(よかった。藤堂たちは、無事に移動したようだな)
ホッと胸をなでおろしたつぎの瞬間、
「そなた、名は?」
上ずった誰何がとどろいた。
「「へっ?」」
音源をたどると、ほほを紅潮させた小デブがこちらを凝視している。
「もしや……それがしのことでしょうか?」
おそるおそるたずねる又十郎に、兄貴はぎらつく眼で鷹揚にうなずいた。
「そ、それがしは、柳生又右衛門が三男・又十郎にございます」
「おお、十兵衛の弟であったか! たしかに、あの者によう似ておる!」
喜色満面で盛りあがる将軍に、なぜか背筋が寒くなる。
「又十郎、おまえは道場に戻――「ならぬ!」
叫ぶやいなや、兄貴は又十郎の腕をわしづかみにし、
「じゅ、十兵衛がおらぬようになって、稽古相手に困っておるのだ。又右衛門のせがれなら、好都合。本日より、近習として余に仕えよ!」
「「……は?」」
「け、けっして、好みだからとかではないぞ! あくまでも、剣術の相手として適任だからだ!」
ヤケに言い訳がましい口上に固まっていると、又十郎はあっという間に側近たちに取り囲まれてしまった。
「この者、余がもらい受ける」
兄貴は高らかに宣言し、一行はいそいそと草履を履きはじめる。
(あ!)
蟄居について執拗に詮索したのに、けっして口を割らなかった十兵衛。
あいつの性格上、ちょっとしたミスで処罰されたくらいなら、こっちが聞く前に、むこうからくどくどグチってきたはずなのに、「聞くんじゃねぇ」オーラをバリバリ飛ばしながら、ずっとためこんでいた。
十兵衛は、兄貴に閨の相手を命じられて、それを拒みつづけたから罰せられたんじゃないのか!?
そういえば、兄貴は左門みたいな細マッチョより、十兵衛タイプ ―― ガチムチ好き。
ということは、十兵衛似の又十郎はど真ん中。
だとしたら、又十郎も……。
やばい! 貞操の危機だ!
「ちょ、お待ちをっ!」
必死に追いすがるが、多勢に無勢。あっさり振り払われるが、さらに食い下がり、
「ご容赦を! 又十郎はわたしの大事な弟。もてあそばれては困ります!」
あっちの世界では、左門が寵愛を受けていたが、この世界では左門じゃなくて又十郎が目をつけられた。
このまま連れて行かれたら、まずい!
「上さまの御意だ!」
稲葉正勝が行く手をはばみ、
「ジャマだていたすな!」
堀田正盛に足払いをくらったおれは、バランスをくずし、敷石に側頭部をしたたかに打ちつけた。
そして…………90°ひっくり返った世界は、またたく間に漆黒の闇と化した。
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