第68話 柳生兄弟
年が明けて早々、おれは阿茶らに対する暴行 ―― 立ちふさがるオババどもを押しのけた行為 ―― を咎められて、一ヶ月の謹慎処分を食らった。
これは、江戸に戻った親父に、お局どもが事実を盛りに盛って騒ぎたてた結果で、オリジナルのボンボン国松だったら、これを気に病んで壊れはじめたかもしれないが、おれは前世で挫折・絶望・恥辱その他もろもろをイヤというほど味わっている。このていどの讒言など屁でもない。
ただ気になるのは、あっちの世界の忠長も、こんなふうにジワジワと『忠長発狂』のウワサを広げられたんじゃないかという懸念。
だとすると、今後も事実無根の悪評が流される可能性がある。要警戒だ。
今回の処分については、千姫もおれを擁護してくれたが、阿茶は親父の養母。
養母の顔も立てなければならない大御所は、苦渋の決断で、おれを罰をした。
さらに姉貴は、おふくろの死にお福が関与していると告発したが、お福は、
「城門閉鎖は、大御台さまがしずかに療養できるよう配慮しただけ」
「毒殺? なんのことだかサッパリ。怪しいのは投薬した御殿医」と言い逃れた。
実際、お福が一服盛った現場を目撃したやつはいないし、キーパーソンである医者は死んでいる。
将軍御乳母を断罪するには、だれが見ても『黒』とわかる証拠が必要なのだ。
親父が調べたところによると、西ノ丸のスタッフは、おれたちが江戸を離れた直後から、まずは下働きの者が。そして、徐々に上位の女中たちが入れ替えられ、おふくろが亡くなる半月前には傍仕えの
この異動には阿茶や英勝院ら、かつて家康のもとで家政を担った元側室が深くかかわっていたようだが、使用人の入れ替えイコール要人暗殺と断ずるにはムリがあり、結局、大御台逝去は
おふくろの葬儀をバックレた親父は、あれ以来、本拠を駿府に移し、西ノ丸には用事があるときにしか帰らなくなった。
どうやら、お福や養母らがいる江戸を離れて、水面下でなにやらコソコソやっているようだが、おれにはほとんど教えてくれない。
だが、おれの処分とほぼ同時にはじまった御殿建設については、その意図を明かしてくれた。
新御殿は、本丸と西ノ丸の間、広芝とよばれる場所に造られ、落成したそれは『中ノ丸』と名づけられた。
親父は、家光の正室・鷹司孝子をここに転居させ、以後、孝子は御台所ではなく『中ノ丸どの』と呼ばれるようになる。
これは、あっちの世界と同じ展開で、名ばかりのトップがいなくなった本丸奥は、名実ともにお福の天下となり、家光は嬉々として『オトコの園』を満喫している。
表面的には、徳川が孝子を見捨てたようにも見えるが、実際は、大御台毒殺に危機感を抱いた親父が、義娘を守るために講じた措置なのだ。
というわけで、新御殿の使用人には、おれが育成した孤児たち(女子部含む)が採用され、孝子の身辺にお福の手が伸びる恐れはなくなった。
道三Ⅱからおふくろの死因について報告を受けた親父は、京都滞在中に孝子の実家・鷹司家や、婿の九條幸家らと協議し、幕朝関係上、離婚はさせられないが、なんとか円満に別居させ、里帰りを期にそのまま京に置いて、朝廷担当駐在員にすることにしたようだ。
ただし、この計画は、江戸では孝子本人とおれにしか明かしていないので、妻の昌子やお竹たちは、なぜ御台所がいきなり冷遇されるのか理解できず、おれのいないところで親父をボロクソにこきおろしているらしい。
寛永四年九月
その日は、めずらしく親父が江戸に滞在中で、「孫に会いたい」という打診があった。
そんなわけで、妻の昌子と長丸、乳母のお竹とボディーガード役の徳松は、朝から西ノ丸に出かけている。
じつは、この対面には義姉の孝子も同席しているのだが、特殊メイクをほどこし、奥女中姿で親父の後ろに控えているので、たぶん妻たちは気づかないだろう。
いくら信用できる身内とはいえ、今後の計画のためには『将軍家に疎まれて軟禁されている』孝子が、チョロチョロ出歩いているとバレてはマズい。
一方で、孝子は長丸に会いたいと切望していて、親父も事情があるにせよ、嫁を軟禁状態にしていることを心苦しく思っていたので、孝子発案のコッソリ透き見プランに協力したらしい。
そして、今回、おれが妻子に同行しなかったのには、ある事情があり……というか、親父はおれ以外の四人、とくに、お竹と徳松を屋敷から離すために、「乳母殿とわが甥・上総介(徳松)もともに」とわざわざ指名したうえで呼び寄せたのだ。
といっても、おれは不測の事態にそなえてスタンバってるだけなので、今日はひさしぶりに邸内の道場で、柳生兄弟に稽古をつけてもらう ―― はずだったのだが……。
ガラン。
袋竹刀が床に転がった。
「早く竹刀を拾え!」
「……なあ、おかしくないか?」
打たれた手の甲をさすりつつ、加害者を見やる。
「おれは、左門と又十郎に元立ちを頼んだのに、なんで、おまえが?」
「うまくなりたいなら、ヘタなやつに習うより、達人に手ほどきを受けたほうがいい」
一間(2メートル弱)ほどの距離から鋭い眼光をあびせてくる男は、真顔で豪語した。
オソロシイほどの自負心だ。
ちなみに『元立ち』とは、剣術の稽古のとき、打ちこみを受ける側のことで、相手より上級の者が務める。
「十兵衛」
脱力しながら竹刀を拾いあげ、
「左門と又十郎は、この歳にしてはかなりの使い手。けっしてヘタじゃない」
そう言って、道場の隅に目をやれば、ふたりはブンブンと大きく首を縦に振る。
「それに、いちおうおまえは謹慎中だろう? フラフラ出歩いていていいのか?」
柳生家の惣領・十兵衛
今春、その処分は撤回され、兄貴からは再出仕をうながす書状もきているらしいが、十兵衛は頑としてこれを拒み、自主的に謹慎をつづけている。
ご勘気を食らった理由については、とりなしてやるために何度か聞きだそうとしたが、十兵衛はムッツリ黙りこんだまま取りつく島もない。
しかたなく、それには極力触れないようにして、時おりフラッと遊びにくる(傷心の?)友人を生ぬるく見守っていたが、八つ当たりの犠牲になるつもりはない。
「ここは俺の屋敷も同然。だから問題ない」
「いや、いくら近所とはいえ、ここはおまえの屋敷じゃない。謹慎は自宅でやれ」
いまだにジンジンしびれる手で、シッシと帰宅をうながせば、無精ヒゲまみれの小汚い男が、捨てられた子犬のような眼で見返してくる。
「……なんで、そんなに意地の悪いことを?」
「おまえが弟たちにひどいことを言うからだ」
「むかしからそうだった。お国は、左近や又十郎ばかりかわいがっ――」
「ごっ、御前さまーっっ!!」
ジメジメ野郎のグチは、家人のけたたましい大音声にかき消された。
「ご門前に、くっ、公方さまがーっ!」
藤吉が必死に注進してきたのは、魂がぶっ飛ぶような緊急事態。
「「「はぁっ!?」」」
(けっして仲がいいとは言えない弟の屋敷に、なんで兄貴がアポなしで???)なんて、ノンビリ驚いている場合じゃない!
おれがここに残っていたのは、まさにこんな事態にそなえて ―― とはいえ、想定をはるかに超えた、最悪な状況だ。
「左門、至急離れに知らせを……」
緊急時の想定マニュアルどおりに指示しようと振り返ったとき、視界の端に異様な光景 ―― さっきまで威勢よく暴れていた大男が、蒼白な顔でガタガタふるえている姿 ―― が映った。
「十兵衛?」
「く、公方……さ……」
「左門! 十兵衛も連れていけ! 絶対あいつらに会わせるな!」
「承知っ!」
あまりの怯えぶりにミッションを追加すると、左門もなにか感じるものがあったのか、固まる兄の手をつかむやいなや、すばやく裏口から出て行った。
「又十郎、おれたちは侵入者を追い払いにいくぞ」
「はい!」
かくして、おれたちは、不吉な予感しかしない客を迎撃すべく、複数の怒声が交錯する前線に向かったのだった。
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