第63話 寛永二年 師走
元和十年二月三十日(グレゴリオ暦1624年4月17日)
『元和』の元号は、
ちなみに、讖緯説とは、古代中国の予言思想で、六十年ごとにめぐってくる『
わが国では、平安時代以降、甲子の年に改元されなかったのは、足利義輝と三好長慶の対立で京都が緊張状態におちいっていた永禄七年だけだった。
――その改元から二年目の冬。
長期出張を終え、三カ月ぶりにわが家に帰ったおれは、仏頂面の少年に出迎えられた。
「また来てるぞ」
式台の上の従弟は、ねぎらいの言葉もなく、いきなり不満をぶちまけた。
「またか。で、今日は何人だ?」
「三十。たぶん、青山のジジイが、おまえが帰府する日を触れ回ったんだろう」
「……おまえ、まさか客人に対して、失礼な態度を取っていないだろうな?」
いらだちを隠そうともしない態度に不安を覚え、思わず詰問すると、
「してねーし! 『なにがあっても、
「なら、いいが」
荒々しく返された抗弁に、おれはホッと胸をなでおろす。
彦左 ―― 大久保彦左衛門
では、なぜ、そんな有名人がこの屋敷にいるのかというと、すべてあのオッサン ―― 青山忠俊のせいなのだ。
傅役として耳に痛い忠言を繰り返していたことがアダとなり、将軍代替わりの直後、
その背景を探ったところ、どうやらオヤジの不用意なリークが発端だと判明した。
青山いわく、「『国松は
違う!
たしかに、おれは青山を『嫌いではない』と言ったが、好きとはひとことも言ってない!
荒ぶるおれの気持ちなどガン無視で、仲間にドヤ顔で自慢する青山。
全力でぶん殴ってやりたかったが、今後のこともあるので、必死に自制心をかき集めた。
なにしろ、青山はいちおうおれの採用活動を意識しているらしく、友人たちが帯同してくる息子孫世代は、それなりの人物ぞろい。
しかし、親世代の青山の友人たちは当然、開闢に功のあった旗本御家人 ―― いわゆる三河武士団。
かつて戦場を駆け回っていた侍どもはガサツで地声もデカいし、ちょっとしたことですぐにケンカがはじまり、怒鳴りあったり、つかみあったりと、じつに騒々しい。
生後まもなくうちに『預』られた徳松は、外部の人間との接触もほとんどなく、そういう人種に慣れていないせいか、毎回、無遠慮な客にイラついているのだ。
ところが皮肉なことに、ちょっとヤンチャな徳松は、どうも三河ジジイどもの琴線にふれるようで、
「おお、この童が
一目見るなり大いに盛りあがり、かわるがわる抱き上げて、頬ずりまでし、
「やめろ! クソジジイっ!」とはげしく抵抗する姿まで、逆に気に入られ、
「「「がっはっはっはっは。この鼻っ柱の強そうなところなど、上総介さまにうりふたつじゃな!」」」
と、完全にやつらのアイドルになってしまい、それからというもの、暑苦しいジイサン連中に構い倒され、ムリヤリ膝の上に座らされ、「いらない!」と拒否るそばから、強引に口に肴を突っこまれ……徳松にとっては、まさに受難の日々がつづいているのだ。
そんな招かれざる客のひとりが大久保彦左衛門で、彦左は青山の正室の叔父 ―― ようするに青山の義理の叔父にあたり、コンビを組む青山とともに毎回徳松にからんでくる。
初顔合わせのとき、徳松は酒臭い息を吐きかけながらハグしようとする彦左に切れ、
「なにするんだ! 放せ、ヘンタイ! 強制わいせつ! 小児愛好者!
口汚く罵倒し、蹴りをいれようとする徳松を高速で羽交い絞めにして、暴れるガキを拘束したまま座敷を飛び出した。
(それにしても、そんな言葉、どこで覚えた?)
「なんでだよ! オレはまちがったことは言ってない!」
怒りに震える従弟におれは、
「いいか、徳松、彦左は、のちに『三河物語』という自伝を書く厄介な男だ。『
徳松はしばらくギャーギャー抗議していたが、最終的にはイヤイヤおれの言葉に従った。
そして、今日も今日とて、はた迷惑な客どもがうちの大広間を占拠しているという。
ちなみに、やつらがガブ飲みしている酒は自前のもので、それというのも、はじめに突撃された際、「親しく杯を交わしましょう!」と、ずうずうしく酒をねだるジジイどもに、「酒類の提供はいたしかねる!」と、青筋を立てて突っぱねたところ、きゃつらは、次回から酒肴持参で参集し、勝手におれの家で宴会を開くようになったのだ。
そもそも、柳生の門人たちによって厳重に警備されているはずのこの屋敷に、なぜやつらが容易に入りこめたかというと、メンバーの中に小栗又一の次男・仁右衛門がいたからだ。
仁右衛門は、以前から柳生新陰流に入門したかったらしいが、父・又一が、「剣術などやる必要はない! そんなヒマがあったら、槍の稽古をしろ!」と、一切聞く耳を持たなかったので、弟子入りはあきらめていたそうだ。
ところが、元和二年に又一が亡くなり、以前から父とともにうちに出入りしていた縁で既知となっていた木村助九郎(おれの剣術コーチ)の口利きにより入門がかなったという。
つまり、一行の中に柳生の門下生、しかも長年、おれの武術指南だった男がいたため、わが家の堅い守りをやすやすと突破できたわけだ。
くそ! 又一め!
やっとあの
「おい! 国松! 聞いてるのか!?」
いらだたし気な怒声にわれに返る。
どうも長旅の疲れで、いつのまにか放心していたようだ。
徳松とともに出迎えにきた藤吉に旅塵にまみれた足を洗われながら、地団太を踏む従弟をボーッと見やる。
「まぁ、その、なんだ、いろいろたいへんだったな」
とりあえず無難な言葉でなだめにかかると、
「なに悠長なこと言ってんだよ! あいつら、よりにもよって、『若君を一目』とかぬかしやがって、奥まで入りこんできてるんだぞ? おかげで、さっきから長丸が泣き止まない!」
「なに!? 長丸が!?」
「だから、いいかげんあいつらを出入り禁止にしろっ! こんなにしょっちゅう押しかけられたら、長丸がかわいそうだ!」
「おのれっ、あの
沸騰した怒りに駆られ、ビチョビチョに濡れた足ですっくと立ちあがる。
「長丸! いま、父が助けに行くぞ!」
「あ、待て! オレを置いていくな!」
かくして、おれと徳松は酔っ払いジジイどもから愛児を救出するため、奥めがけて突進したのであった。
―― そう。おれは、去年暮れに結婚したのだ。
そして、長丸というのは、今年九月に生まれたおれの長男。
その名の由来は、男子誕生に狂喜したオヤジが、自分の幼名である『長丸』を押しつけてきたのだ。
(当然、おれに拒否権などない)
おれとしては、一介の旗本の息子に、将軍の幼名などフラグ以外のなにものでもない気がしたのだが、長男出生直後に出張を命じられ、不在の間に定着してしまったものを、いまさら改名できようはずもない。
その長丸の生母、つまり、おれの正室となったのは、三千石の大身旗本・
嫁の祖父・吉良
義父となった義弥は、ずっと朝廷との折衝を担当しており、吉良家はのちに『高家』とよばれる朝幕間の取り次ぎ役・幕府内の儀式典礼を司る役目を家職とする家になる。
じつは、今回の出張も、来年、京の二条城に帝をお招きする行幸の打ち合わせのため、義父やその同僚・
吉良氏といえば、『忠臣蔵』の敵役・吉良
その証拠に、『御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ』と言われたくらいだ。
それにくわえ、義弥の実母は今川氏真の娘。
室町幕府内家格ナンバーワンの吉良と、ナンバーツーの今川の血を引くハイブリッド種であるうえに、義弥の正室は今川
「どれだけ、貴種てんこ盛りなんだ!?」というくらい血筋のよさを極めた娘との縁組を決めたのは、言うまでもなく徳川秀忠。
最初にオヤジからこの縁談を聞いたとき、おれは開いた口がふさがらなかった。
あまりに露骨な政略結婚 ―― オヤジの意図はバレバレだ。
手を変え品を変え、なんとかおれを宗家に戻し、将軍位をゆずろうと画策していたオヤジ。
ところが、それをおれがかたくなに拒みつづけ、取り付く島もなかったので、オヤジはターゲットを息子から孫へとシフトさせたのだ。
その結果、徳川嫡出の
とはいえ、本来なら兄貴の子が次の将軍になるはずだが、当の家光は男色家で、世継ぎが生まれる見込みは薄い。
だったら、血筋のいい甥を養子にさせて、実父のおれはその補佐役として政権内に取りこむ ―― オヤジの描く未来図はそんなところだろう。
でも、そのような変則技を使わなくても、将軍後継としては、尾張徳川家などの叔父たちもいる。
それなのに、なぜオヤジはおれに執着するのか?
相かわらずオヤジの心底はまったく読めない。
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