第61話 攻防


「伊豆守、何度西ノ丸にご足労いただいても、答えは『いな』です」


 

 元和九年九月下旬


 新将軍・家光と大御所・秀忠は、それぞれの居城を交換し、本格的に三代将軍の御代となった。



 引っ越しのゴタゴタも一段落した西ノ丸実家には、今日も伊豆守 ―― 家光の将軍宣下後、従五位下伊豆守に叙位任官された松平信綱三十郎が、出張ってきている。



「なれど、この儀、公方さまから『今日こそは、色よき返事を持ち帰れ』と厳命されておりまして……」


 日に日に歯切れと顔色が悪くなる三十郎さん。

 

「そう言われましても、特別あつかいはできかねます」


「そこを曲げて、なにとぞ……堀田三四郎お取り立てについては、公方さまの強い御意にございますれば……」 


「ですから、元服したばかりの青侍に、なぜ七百石もの禄を与えなければならないのかを、しかとご説明いただかねば、こちらとしても再考の余地はございません」


 すっかり耳ダコになったフレーズに、こちらも再度同じセリフを投げ返す。


「伊豆守、希代の知恵者たる貴兄なら、当然ご存知のこととは思いますが、鳥居強右衛門とりいすねえもん勝商かつあきが磔刑になったあと、その遺児・信商のぶあきがたまわった禄は、わずか百石。

 また、信商自身も関ヶ原の戦いにおいて、西軍首脳のひとり、安国寺恵瓊えけいを捕らえる大手柄を挙げましたが、それに対する恩賞は二百石でした。

 それを踏まえてお聞きしますが、七百石を与えられる堀田三四郎は、どのような大功を立てたのでしょう? 寡聞にして存じあげないので、ぜひともお教えください」


「……ぐぅ……」


 完全にルーティン化したやり取り。

 そして、今日も知恵伊豆から、明確な回答は返ってこない。


 

 ちなみに、鳥居強右衛門は、五十年ほど前、長篠の戦いの前哨戦・長篠城攻囲戦で落命した足軽。

 三河の国衆・奥平貞昌は、もとは武田の傘下にいたが、信玄が死んだとたん、コロッと徳川方に寝返ったため、武田勝頼率いる大軍に城を取り囲まれた。

 奥平の家臣だった強右衛門は、岡崎にいる家康のもとに援軍を乞う使者に立ち、任務を果たして帰る途中、武田軍に捕らえられてしまう。

 

 武田は、「『徳川の援軍はこない。降伏しろ』と城内に呼びかければ、命を助けるうえに、その後も保証する」と持ちかけ、強右衛門はこの取引に応じた。


 ところが、城門前に引き出されるやいなや、強右衛門は、


「すぐに援軍がくる! 二、三日の辛抱だ!」と叫び、ブチ切れた勝頼によって、即日はりつけとなった。


 援軍の報に奥平勢は勇気づけられ、二日後に徳川軍が到着するまで、城を守り抜いたのだが、この長篠城が落城しなかったことが、長篠の戦いの大勝利につながったといわれている。


 鳥居強右衛門は、陪臣の、しかも足軽の身ながら、徳川の天下取りに大きく貢献し、さらに、その壮烈な最期は、三河武士の鑑と称えられた。


 それと同時に、死をも恐れず味方を鼓舞した強右衛門をサクッと処刑したことで、勝頼は、

「ふつう将帥レベルなら、みごとなふるまいを見せた武士もののふに対しては、敵味方関係なく称賛するものじゃない? なのに、うちの殿ったら……」

 と、家臣たちの心が離れ、その後の武田氏滅亡の遠因になったとか。


 間接的ながら、戦国最強軍団崩壊の立役者となった英雄の死の対価が百石。

 その遺児が、関ヶ原の戦いで立てた戦功は二百石 ―― トータル三百。

 なのに、兄貴にケツを差し出しているだけの堀田が、七百ぅ?


 ざけんじゃねーよ!



「しかし、鳥居の場合は五十年ちかく前……現在とは、かなり状況も異なり……」


 ふーん、そうきたか。


「では、伊豆守自身と比較してみましょう。

 たしか、初出仕に際しての禄は、合力米ごうりょくまい三人扶持でしたね?

 翌年には五人扶持に増額されたものの、そのまま十五年間据え置きで、元和五年にようやく五百石の知行取りとなり、代わりに五人扶持はお取り上げ。

 今年、御小姓組番頭に任命された折に三百石を加えられ、十九年目にして、やっと八百石。

 勤続十九年の貴兄と、十三も年下の平小姓の初禄がほぼ同じというのは合点がゆきません」


 松平伊豆守信綱と、お福の息子・稲葉正勝は、どちらも慶長九年、兄貴の誕生直後に近習となったが、稲葉はとくに功績もないのに、どんどん加増されて五千石。

 かたや三十郎は、ずっと微禄のまま放置され、今年、やっと八百石になったばかり。

 どう考えても、貢献度的には、三十郎のほうが上だろう!?


 そして、今回問題になっている堀田三四郎は、かなり前から兄貴に近侍しているが、じつは正式な小姓ではなく、お福が、家光の話し相手として、連れてきている孫という設定タテマエなのだ。

 これは、お福の息子が、異例のスピード出世をしているので、さらに孫までとなると、(さすがに、周囲の目が……)というオトナの事情らしいが、兄貴の将軍就任と堀田の元服を機に、鳴り物入りで召し抱えようと、もくろんでいたようだ。


 ところが、新規採用人事権をおれに握られてしまったので、計画は大きく狂い、三十郎が西ノ丸に日参して懇願させられるハメになっているのだ。


 ざまぁ!




「ときに、伊豆」


 今までニヤニヤしながら見物していた親父が、突如、割って入った。


「今朝がた、伯耆青山忠俊が家光より、老中罷免と減封を言い渡されたそうだが、それについて、なにか聞きおよんでおるか?」


「なんですと!?」


 いきなりのカミングアウトに、思わずとなりのヒゲオヤジをガン見する。


 言われてみれば、いつもはムダにエネルギッシュな青山が、今日はやけにおとなしい。


「それで、今朝はこのように早くから、こちらに?」


 将軍が代わったとはいえ、秀忠時代の六人の老中はそのまま残留し、今までどおり本丸大溜で政務にあたり、同時に大御所となった親父の執務も手伝うことになっている。


 中でも青山は、おれの補佐役なので、午前中は本丸、午後は西ノ丸で仕事をしているのだが、今日は、はやばやと西ノ丸に出仕してきたので、(あれ?)と思っていたところだ。

 


「上さまの御意なれば、否やはございませぬ。これもひとえに、傅役たるそれがしが至らぬばかりに……」


 ヒゲオヤジが涙声で、ジメジメつぶやく。


「上さまが直言を厭われるのを知りながら、幼きころより今日まで繰り返し繰り返し……すべてそれがしの不徳のいたすところゆえ、甘んじて拝命つかまつります」



(やはり、ここでも、そうなったか)



 あっちの世界でも青山は、家光将軍襲職直後に老中を罷免され、武蔵岩槻藩五万五千石から、上総大多喜藩二万石に減転封され、さらにその二年後には除封じょほう ―― 領知・家禄・屋敷の没収と身分剥奪 ―― という重い処分を受けている。


 ちなみに、岩槻は、江戸からも近く、高力、青山、阿部、板倉、戸田、松平、小笠原、永井、大岡など、代々将軍の信頼が篤い譜代のエリートが領する要地で、藩主から何人も老中が出たことから、のちに『老中の城』と呼ばれるようになる。


 一方の大多喜は、外房に面した遠地にあり、青山除封で廃藩になったあとは、別藩の支藩あつかいになったり、コロコロ領主が代わったりと、それほど重視されていない土地だ。


 だから、今回の国替くにがえは、石高の大幅ダウンにくわえ、要所から追いやられるという、青山にとっては、二重の屈辱なのだ。




 傅役としての責務を全うしただけで、左遷…………家光あいつ、頭、腐ってるんじゃないか?







(※ 合力米とは、知行地の代わりに現物支給される米のこと。給料というより、お手当的なもの)



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