第60話 襲職


 元和九年 七月二十七日 

 父・秀忠とともに上洛した徳川家光は、伏見城において、将軍宣下をおこなった。


 今回、同行を命じられなかったおれは、将軍襲職のおこぼれで五千石の加増となり、めでたく元の九千九百九十九石に戻った。



 それにくわえ ―― 

 新体制発足にともなう組織改編で、おれは扶持米三十万人分の裁量を任されることになった。

 おれはこの膨大な基金をもとに、新規採用担当 ―― つまり、人事権を握ったのだ!


 じつは、これこそが、「家光が将軍になると、ちょっとヤバいから、おまえ、将軍になれ」という脅迫に対してブチ上げた秘策なのである。



 ところで、扶持米というのは、奉公人一名に対し、玄米五合/日を支給するもので、一人扶持は一年で一石八斗(俵換算すると米五俵)になる。


 よって、扶持米三十万人分は、石高換算すると五十四万石相当。

 くしくも、あっちの世界の忠長の家禄、駿河遠江五十五万石とほぼ同額!

 おそるべし、歴史の復元力っ!




 一年前のあの日 ―――― 



「…………父上、又一は、二千五百でした」


 おれは、めちゃくちゃもったいぶって、切りだした。


「なんだと?」


 虚を突かれ、目をしばたく親父。


「どの戦場でも、つねに真っ先に敵中に駆け入り、最期は大坂の役の銃創がもとで亡くなった小栗又一は、二千五百石でした。

 それに対し、兄上の近習・稲葉正勝は五千石を与えられていますが、稲葉はどのような功により、又一に倍する禄をたまわっているのでしょうか?」


「正勝は、お福の息子だ」


「おや? 先ほど父上は『お福は恐ろしい女子だ』とおっしゃっていませんでしたか?

 それなのに、めざましい功績があったわけでもない若侍に、乳母の身内というだけで高禄を与えているのですか?」


「乳母の一族を取り立ててやるのは、昔からの慣例ゆえ」


 揶揄するような詰問に、親父は顔をしかめた。


「こたびもそうですが、以前もお福は讒言を弄し、おじいさまにわたしを処分させようと謀りました。

 そのような毒婦の親族を優遇すれば、ますますあの者の力を強めてしまいます。

 これで兄上が襲職されたあかつきには、『完全にお福の言いなりになっている』将軍の乳母は、天下人も同然です。

 奸臣の権勢を後押しする挙用をしておきながら、わたしの身が案じられるとおっしゃるのは矛盾していませんか?」


「……っ……」


 情け容赦なく畳みかけると、親父の眉間のシワがますます深くなった。


「あらためておうかがいいたしますが、父上は、こののち徳川の天下をどうしようとお考えなのですか?」


「どういう意味だ?」


 親父は、不愉快そうにおれをねめつけた。


「慣例だからといって、乳母の親族や近習に高禄を与えつづけていたら、徳川の領地は目減りする一方です。

 かといって、天下平定がなった今、所領を増やすとしたら、大名を改易し、その土地を奪うしかありません。

 しかし、そのようなことをすれば、諸侯から猛反発をくらい、国中に主家を失った牢人どもがあふれ、ようやく訪れた静謐も揺らいでしまいます」


「では、どうせよと?」


「徳川の覇業に貢献した又一ら直参は、命がけで五十石、百石と積みあげ、現在の地位を築きました。

 その者たちには末永く身分を保証してやってもよいと存じますが、今後は新参者をいきなり譜代として召し抱えるのではなく、ひとまず抱席かかえせきで雇い入れ、その後の働きぶりを見たうえで、譜代にするか否かを判断してはどうでしょうか?」

 

『抱席』というのは、世襲ではない一代限りの奉公人のことで、原則その身分や家禄は、子孫に受け継がれない。いわば、有期の非正規雇用で、『譜代』は子孫の代まで雇用を約束する正規雇用だ。


「忠臣らの献身によって戦乱の世が終わったとたん、今度は、功績など一切関係なく、将軍の意向だけで五百石、千石と加増されるようになる。

 それを目にした古参の功臣たちはどう思うか……そうした配慮も必要ではありませんか?」


「なれど、幼きころより慣れ親しんだ近習を重臣となせば、容易に意思の疎通も図れ、何事もやりやすいのではないか?」


 まぁ、それも一理あるが、家光の場合は…………、


「兄上は、青山のような諍臣そうしんを疎んじ、阿諛追従にて取り入り、寵を競うような輩ばかりを厚遇なさいます。

 特段の才もなく、上におもねるだけの者に、正しき政がおこなえるのでしょうか?」


 諍臣というのは、主君のまちがいを諫める家臣のことだが、親父が『愚物』と評した兄貴は、耳に痛い言葉は徹底的に避ける。


「そなたも家光と同様に、青山を厭うていると思うていたが」


 おれが日々ヒゲオヤジにパシられ、しつこく説教をかまされている現状は、親父の耳にも届いているらしい。


「たしかに青山は、将軍の子であるわたしにも容赦なく当りますが、一方で、どんな軽輩であろうとも、けっして粗略にはあつかわず、真摯な態度で接しています。わたしは、裏表のないあの頑固者が嫌いではありません」


 青山忠俊は、相手が次期将軍であろうと遠慮なく諫言し、他方、自分よりはるかに身分の低い者でも、一度会った者の名は絶対に忘れず、二度目に会うときは必ず相手の名前を呼びかける。


 ある時、その理由を問われた青山は、

『人は上役や取引相手といった自分にとって益のある者の名は、一度会っただけで覚える。

 反対に、そうでない者の名をあっさり忘れてしまうのは、相手がザコだと侮っている証拠だ。

 だが、俺はどんな下位の者でも大切な人間だと考えているので、絶対に相手の名を忘れない』と答えた。


 いろいろムカつくことも多いが、そんなまっすぐなところは好感が持てるし、おれは又一や渡辺にしごかれていたので、このタイプにはもともと耐性がある。


「青山をはじめ、おじいさまを支えつづけた三河者は、阿諛追従どころか、主君にさえ苛烈な忠言を呈する一刻者ぞろい。

 そのような武辺者らを疎んじることなく、傍に置きつづけたおかげで、おじいさまは天下を取れたのではありませんか?」

 

「……うむ」


「ですから」


 複雑な表情で考えこむその姿に、手ごたえを感じ、一気に攻勢に転じる。


「もし、父上が駿遠五十万石をくださるおつもりなら、わたし個人の領地とするのではなく、御領五十万石分の使途を、わたしにお任せいただけないでしょうか?」

  

「使途?」


「はい。この五十万石をもとに、ご公儀にとって有為な人材を発掘するのです」


「己のためではなく、公儀のために使うと申すか」


 さすがの親父も、おれの提案には驚いたようだ。


「わたしは今の家禄で十分です。お預かりした五十万石は、泰平の世を永続させるために用立てるとお約束いたします」


「泰平の世、か……」


「さらに、この試みは牢人対策にも有効なのです」


「まことか!?」


「はい。ここ数年、安芸の福島正則、筑後の田中筑後守(忠政)など、立て続けに太守が改易となり、多くの牢人が出ております。

 この者たちを放置しておけば、改易を命じた徳川に対する怨嗟の念から、謀反をたくらむことも考えられます」


 家光の没後に起きた由井正雪の乱(慶安の変)はまさにそれで、関ヶ原の戦い・大坂の役・改易などで失業した牢人たちが、幕府転覆を企てたが、知恵伊豆らの働きで未然に防ぐことができたのだ。



 どの時代においても、失業者が激増すれば、大きな社会不安につながる。

 しかも、この時代の失業者は、常時武器を携帯している。

 ヤバくないわけがない!



「徳川が天下を取ったとはいえ、その政権基盤はいまだ脆弱。

 だからこそ、将来を悲観して暴発しかねない牢人を救う手立てを考えねばなりません」


「つまり、その五十万石で、牢人どもを召し抱えるのか?」


「すべてを救済することはできませんが、仕官の機会を与えてやるのです。たとえ、直参になれなくとも、われらが範を示すことで、他の大名たちも、才ある士を召し抱えようとするのではないでしょうか?」


「……なるほどな」


 うなる親父の目に、決意の光がともった。


「その儀、土井らと諮ってみよう」


「ありがたき幸せっ!」



(やったーーー!!!)



 ここまでさんざんキレイ事を吐き散らしてきたが、じつはコレ、家光の将軍襲職で権力を手に入れるはずのお福を無力化させるのが真の目的!



 以前、親父は『竹千代の近習はいずれ大名となり、幕閣として竹千代を輔弼することになる』と、言っていたが、お福の息子・稲葉正勝は、現時点ですでに五千石の大身旗本になっているし、お福の義理の孫・堀田三四郎は、坂部亡きあと、兄貴の【お気に入り】ナンバーワンの座をキープしつづけている。


 このままいけば、あっちの世界と同じように、稲葉は八万五千石の大名になり、「主君との男色関係で異例の出世をしたため、家光の死後殉死した」堀田(正盛)は、十万石の大領を得るだろう。


 ちなみに、このころ十万石以上の領地を持つ譜代大名は、井伊・酒井・本多・榊原など、天下取りに大功のあった四天王のみだったが、先日そこに水野勝成が加わり、五家となった。

 つまり、堀田に対する家光の厚遇ぶりは、破格かつ異常なのだ。



 また、お福の元夫・稲葉正成、同母兄・斎藤利宗としむね(斎藤利三三男)、異母兄・斎藤三存みつなが(利三五男)、その息子の三友みつとも等々。

 他の縁者たちも、将軍代替わりとともに、大名・大身旗本に引き上げられていくはずだ。


  

 戦乱の世は終わり、武士は戦功によって出世することができなくなった。

 今後、ランクアップを望むなら、権力者に取り入り、その引き立てによって這い上がるしかない。


 ただの寵童が、家康不遇の時代から、命がけで仕えてきた直参以上の知行を下賜される……堀田の出世譚は、まさに家光治世の象徴なのだ。



 そして、己の余慶で、親族の栄達を引き寄せたお福は、将軍に次ぐ実力者として認識され、ついには幕閣の私生活にまで介入するようになる。


 老中・井上正就などは、お福の圧力に屈して、まとまりかけていた嫡男の縁組を破談し、お福が勧める別の縁談を受けたため、メンツをつぶされた仲人の恨みを買い、殿中で刺殺されている。


 ほかにもお福は、京都でも問題を起こし、朝廷と幕府の間に大きな亀裂を入れている。

(無位無官で、本来なら御所に参内する資格がない女が強引に参内して、帝・中宮(和子)に拝謁、従三位の位と『春日局』の名をもぎ取った。朝廷のルールを無視したこの暴挙に、後水尾帝は激怒し、譲位してしまう)


 こんな傍若無人なふるまいや 僭賞濫罰せんしょうらんばつ(功罪に見あわない褒美や罰)を許していたら、当然、政権内は大混乱におちいる。

 

 では、ババアの無双状態を阻止するには、どうしたらいいか? 



 ―― そう、お福キツネが、その威を借りている将軍トラから、人事権権威を奪ってしまえばいいのだ!




 ―――― というやりとりがあった一年後。


 おれは、新規採用人事を任されることになった。


 扶持米三十万人分の裁量権を持ったことにより、この制度は、いつしか


『旗本八万騎 武蔵十万そつ


 と、喧伝されるようになる。



 本当は三十万なのに、十万……。


 実数より少なく流布されるのは、

『八万より多すぎると、幕府の権威に傷がつく!』

『三十万といいながら、ひとりで五十人、百人分もらうヤツがいて、扶持米イコール兵数じゃないから!』

 など諸説あるが、真相は不明だ。



 とにもかくにも、「これにて一件落着!」と思っていたら、親父は、復活加増となった五千石の中に、駿河久能山周辺の土地をぶっこんできやがった。



 あれ?


 徳川姓こそかろうじてパスしたものの、将軍候補条件のうちのふたつ、

『祖父の亡骸が眠る久能山の守護者』

『天下人の笛の所有者』


 なにげに、達成しちゃってるんだけど…………どういうこと?






(※) 堀田三四郎の母親は、稲葉正成の先妻の娘なので、正成の後妻・お福は、三四郎の義理の祖母にあたります。

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