第59話 器


「生前、茶阿は、忠輝に何度か文を送っていたのだ」


 しばらく無言でにらみ合ったが、先に根負けしたのはオヤジのほう。


「茶阿殿が?」


「以前、茶阿がそなたの屋敷に行ったことがあったであろう?」


「……ああ、そういえば」


 たしか五年くらい前、茶阿局がおれの留守中に突撃してきて、なんだかんだイチャモンをつけたので、お竹がガチギレして叩き出したというアレか?


 お竹が忠輝の側室になったきっかけは、忠輝が母親のもとに出入りしているうちに傍仕えの侍女に手をつけたという、よくありがちなナレソメ。


 オヤジによると、仲を取り持ってやった元使用人がおれの肩を持ち、孫も自分にまったくなつかなかったため、いちじるしくプライドを傷つけられた茶阿は、おれを逆恨みするようになったらしい。


 家康の死後、茶阿局はほかの側室数人と北ノ丸の比丘尼屋敷グループホームで暮らしていたが、兄貴の乳母・お福は入所者のひとり英勝院(お梶)と仲がよく、屋敷に足しげく通ってきては、オババどもにおれの悪口をせっせと吹きこんでいたそうな。


 茶阿は、お福から仕入れたネタを配所にいる息子に書き送り、それを信じた忠輝は会ったこともないおれに憎悪をつのらせていたという。


 そこへ青山から徳松元服の報告が届き、これまで聞いていた話との乖離に違和感をおぼえた忠輝は、母からもらった手紙を再度読み直してみた。


 すると、そのすべてが「お福がこう言った」「お福によると」という前置きからはじまり、おれが、父親の片腕として活躍している家光に嫉妬して、兄の腹案を盗んで手柄を立てただの、強引に引き取った徳松親子に満足に食事を与えず、毎日暴行をくわえて甚振いたぶっているだの、極めつけは街で拾ってきた孤児を生きたまま唐犬に食わせて楽しんでいるといった悪逆無道のオンパレード。

 

 一方、青山の手紙には、徳松の元服と預の解除を願い出た経緯がたんたんと綴られており、家光の傅役であり幕府重鎮の青山は、家光寄りの人間であるにもかかわらず、おれが家光の手柄だとされていた功績と引き換えに、新家を立てる許可を得たと明記してあった。


 母からの注進に疑問を持った忠輝は、預かり先の金森重頼からも情報を収集し、真相にたどり着いた。


「しばらく俗世を離れ、己を見つめなおす機会を得たおかげか、忠輝も多少ものが見えるようになったらしい」

  

「もしや、父上は叔父上を試したのですか?」


 お竹たちは『預』(拘禁刑)に処せられ、外部と連絡を取ることは禁じられていたのに、妻子よりガッツリ〆られるべき製造物責任者(茶阿局)は手紙だけでなく、自由に外出できたのは、どう考えてもおかしい。

 

 罪人への手紙は当然検閲されているはずで、おそらくオヤジたち首脳部は、この讒言で忠輝がどう動くか、ずっと動向を見守っていたのだろう。

 そして、忠輝は予想外の行動を取った ―― 『乃可勢』をおれに贈ってきたのだ。


「では、こたびの屋敷改築で、撤去されると思っていた謹慎所を残したのは……」


「くくく、いつもながら敏いのう」


 凶悪なその笑顔に、おれの想像が正鵠を射たと悟る。

 

 今回、うちは再度大規模リフォームをおこなった。

 その際、今までお竹親子が寝起きしていた謹慎所は取り壊されると思っていたが、予想に反してそこはそのまま残され、謹慎所側の建物が徳松の屋敷とされた。


 ということは、天下人の証である名笛を差しだした叔父は ―― 簒奪の野心がないことを示した忠輝は、いずれ配所から出され、息子の屋敷内謹慎所に移されるのだろう。


「忠輝とて、父上から譲られた大事な遺品を、むざむざわしに奪われたら業腹であろう。乃可勢は忠輝の精いっぱいの謝意だ。遠慮せず、受け取ってやれ」


 遠回しにさっきの質問に答えたオヤジは、


「家光が西ノ丸に移ってから五年。次の将軍は家光だと周知されているが、そなたが徳川姓に復し、祖父の亡骸が眠る久能山の守護者となり、さらに天下人の笛を所持しているとなれば、形勢は逆転する。ゆえに、駿河を取れと言うておるのだ」


「なぜ、そこまで、わたしにこだわるのですか? この期におよんで世継ぎを変えては、少なからぬ混乱が生じましょう」


 将軍世子の異名としても使われる『西ノ丸』。

 そこに五年も住んでいる兄貴の対抗馬として、おれを後継者レースに復帰させたら、幕府内が真っ二つに分裂しかねない。

 

 ヤバそうな未来図にウンザリしていると、


「あのような愚物を、将軍にするわけにはゆかぬ」


 苦々しく吐き捨てるオヤジ。


「ち、父上……?」 


「徳川が天下を取ったとはいえ、豊臣に与した牢人やその残党、いまだわれらに遺恨を抱く外様大名、冷害・風水害等による凶作、潜伏するキリシタンども……公儀の足元はけっして盤石ではない。アレは、さように難しき執政を担えるほどの器ではない」


 その苛立たしげな口調に、思わず息を飲む。


 たしかに兄貴には、ジジイやオヤジとはちがい、先頭に立って下を引っ張っていく識見もリーダーシップもない。

 でも、そんなヤツを後継者指名したのは、開闢の英雄・家康だ。

 もう決まったことを、今さらグチグチ言ったって……。


「……わしは、そなたの身が心配なのだ」


 白ける気持ちを見透かすように、オヤジがポツリとつぶやいた。


「わたしの?」


「家光が世継ぎに決まったのは、大坂の役後。当時、父上とわしは上方におることが多く、お福はその時も竹千代の言動を飾り立て、そなたについては悪しざまに報告してきたのだ」


 なんだって!?

 

 あっちの世界でもこっちでも、家康は兄貴をひいきにして、忠長おれには冷淡だったが、それはお福が情報操作して、ジジイを誘導していたから?


 あのババア、そんなに前からネガティブキャンペーンを張ってたのか!



 言われてみれば、慶長十九年正月、おれは江戸城本丸で開催された『式楽』で、能の三番叟を勤めた。

 式楽というのは、幕府の公式行事で能を演じることで、正月に能を催す『謡初うたいぞめ』は足利将軍家にならったもの。

 ようするに、公的な祝宴で大役を任せられるほど、おれは重んじられ、次期将軍候補として認識されていたのだ。


「お福は恐ろしい女子だ。そして、家光は、完全にお福の言いなりになっておる。

 わしが存命のうちはよいが、旗本のままでは、わしの死後、あらぬ罪を着せられ、処断されるであろう。

 それに抗するには、そなた自身が将軍となるしかない」


 オヤジが危惧するのはもっともだ。

 あっちの世界でも、秀忠が亡くなった九ヶ月後に忠長は改易となり、翌年切腹させられるのだから。


 かと言って、せっかく築きあげてきたライフプランを、かんたんに放棄するのは……。

 

「では、父上、こうしてはいかがでしょうか?」


 

 今後起こるであろう諸問題と、おれの救命両方がかなうとっておきの策をご披露しましょう!




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