第58話 乃可勢


 ひと悶着あったものの、どうにかこうにか許可をもぎ取って、意気揚々と帰宅する。

 この朗報に、お竹たちも狂喜乱舞すると思いきや ――



「イヤだ、イヤだ、イヤだっ!!!」


 号泣しながら襖を破壊する子どもと、その傍らで袖を目に当ててシクシク泣きだす母親。


(……徳松、おまえが破いたそれは、狩野探幽直筆の国宝級襖絵なんだけど?)


「国松さまは、われら母子がジャマになり、追い出すとおっしゃるのですか?」


「元服なんてしない! 国松のバカっ!」


 徳松はお竹にしがみついて、狂ったように泣きつづける。


 そんな修羅場を、ボロボロになった襖の向こうから、こっそりうかがうガキんちょ軍団。


「徳松が追い出される?」

「まさか、国松さまが!?」

「なに、それ? ひどい!」


 …………完全に極悪人を見る目だ。


(ジャマ? 追い出す? バカ?)

 

 どこの世界に、自分より多い禄を分けてやるイヤガラセがあるんだよ!?

 


「こら! 話は最後まで聞け!」


 めずらしく声を張り上げると、ふたりはピシリと硬直。


「徳松はわたしの分家として独立するが、今後もわたしの監督下に置かれるんだ。一生な!」


 徳松は、赤ん坊のときこそ「だぁだぁ」言いながら、おれの頭を柄杓でタコ殴りにしてくれたが、近ごろは孤児たちとケンカしても、ちゃんと「ごめんなさい」も言えるし、菜園の世話も進んでする。他のガキどものように、人のおかずをかっさらったりもしない。 

 幼少時から扶育した附家老さえ手を焼くほど、素行の悪かった忠輝とはキャラがちがうから、連帯責任で破滅する恐れはないだろう。


「それに、おまえたちの屋敷は、おれの屋敷地内に造られる。おまえたちが望むなら、当分は朝餉も夕餉もこちらで済ませて、自邸には寝に帰るだけでいい」


 これは、御前を辞したあと、大溜に時間差で戻ってきた土井から告げられたこと。

 徳松をしっかり見張るため、うちの西隣の森右近(忠政)邸を収公して、境の塀を取っ払い、再度屋敷を立て直すことになったそうな。


「(グスッ)では……今までどおり、こちらに通ってきても?」


 瞼を腫らしたブサイクなオバチャンがおそるおそる問いかけてくる。


「ああ。今だって部屋には、夜しか戻っていないだろう? それと同じだ」


 本当は、一日中謹慎所から出ちゃいけないんだけどね。


「寝に帰るだけ? それなら……」


 お竹の変化に、徳松もなにか感じるものがあったのか、ヒックヒックしゃくりあげながらも、徐々にクールダウンしていく。


「第一、今は茶阿の喪中だ。今日明日の話じゃない」


 今年六月、北の丸屋敷で療養していた忠輝の母・茶阿局が亡くなったため、元服のような祝い事は、喪が明けるまではできないのだ。


 では、なぜ城で「七つで元服!」と騒いだかというと、さっさと話を進めておかないと、本多のようにいろいろ言ってくるヤツが出てきて、土壇場で反故にされそうな気がしたからだ。


 だから、本人たちにも早めに知らせてやって、心の準備をさせておこうと思ったのに!


「ああ、そうか、元服はイヤか。なんだ、残念だな。元服祝いに馬を贈るつもりだったんだが、元服しないなら無しだな」


 大身旗本のおれは、屋敷から城までの近距離を、馬で通勤している。

 徳松には、それがすごくかっこよく見えるようで、ずっと乗馬に憧れているのだが、うちは空きスペースは全部菜園だから、馬場を設ける余地がないのだ。


「え、馬っ!?」


 ねらいどおり、速攻食いつくチビ。


「うまく乗れるようになったら、浜遊びに連れて行こうと思ったのになぁ。でも、そんなにイヤがっているのに、無理強いしたらかわいそう――」

「浜遊び、したい! 馬、ほしい! 元服する!」


 ……チョロいぜ。 



 ところで、浜遊びというのは潮干狩りのこと。

 このころは芝浦、高輪、品川、深川あたりに行けば、アサリやハマグリがザクザク、運がよければ干潮に乗りおくれたヒラメやタコまで獲れる。


 徳松は、孤児たちから、上野の親王の浜遊びの話を聞いて以来、行きたくてたまらないらしい。


 皇子たちは、京都にいるときはもちろん、江戸に下向するときも、中山道を通ってきたので、生まれてから一度も海を見たことがない。

 今回の下向では、琵琶湖の側を通ったとき、供のひとりが「潮海しおうみ淡海おうみの海よりもデカい」などと余計なことをほざいてくれたおかげで、上野で拝謁した早々、皇子たちから「潮海が見たい」とねだられたのだ。

 

 しかたなく近くの浜辺に連れて行き、そのうち見るだけじゃつまらないだろうと、引き潮の浜に駕籠を乗り入れて、

「これが貝合わせに使うハマグリです~」と、たまたま足元にいたハマグリをあげたら、

「おもうさまに、オリジナル貝合わせセットをプレゼントするのじゃ!」と盛り上がり、しょっちゅうつきあわされるハメになってしまった。


 といっても、宮さま自ら獲るわけではなく、作業するのはおれがサポート要員として連れていく孤児軍団。

 宮さまがたは、そのようすを豪華な駕籠の中から見ているだけなのだが、都では室内に引きこもっていた青白い陰キャラ兄弟が、引き戸を開けて見物しているせいか、最近は小麦色に焼けて、この上なく健康そうだ。


 ちなみに、宮さまがたにとって孤児たちは、あまりにも身分差がありすぎて人間として認識されておらず、むしろハマグリ・ヒラメ枠なので、御前をチョロチョロしても、不敬にはならないらしい。

 


 それはともあれ。


 元和八年七月、徳松は祖母の一周忌法要後に元服し、五千石の旗本・松平長辰ながときとなった。



 そのひと月後、おれはまたしても就業中にオヤジに呼び出された。


 今回通されたのは、中奥でオヤジの私室として使われている奥まった部屋。

 しかも、おれひとりだけで、つねに将軍の側に待機しているはずの奥小姓も、茶を置くなり、さっさと出て行ってしまった。


「さっそくだが、国松、そなたに渡したいものがある」


 唐突に切り出すオヤジ。

 

 そして、目の前に置かれたものは―――― 


「笛……ですか?」


 漆塗りの台に載せられた細長い金襴の袋には、一本の縦笛が入っていた。


乃可勢のかぜだ」


「 っ !」


 乃可勢(『野風』とも)は、一節切ひとよぎりの名笛。


 一節切とは、尺八より細めに作られた管楽器で、室町~江戸初期に、武家や上流階級層に愛好された。


 そして、この乃可勢は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康 ―― 歴代の天下人たちが所有してきた逸品なのだ!

 

 でも、この笛の現在の持ち主って……。


「これは、たしか、おじいさまが亡くなる直前に、茶阿殿を介して、忠輝叔父上に下賜されたものではありませんか?」


「そうだ。こたび、その忠輝からそなたにと、金森出雲守(重頼)を通じて贈られてきた」


 忠輝は、改易直後は伊勢の寺に送られたが、その二年後、飛騨高山藩に預替えとなり、藩主の金森が定期的に預り人のようすを報告してくるのだ。


「じつは、伯耆青山忠俊が、徳松元服の顛末を、忠輝に報せたようでな」


「伯耆守が?」


 そういえば、あのときあいつ、妙にウルってたもんな。

 けっこう感動秘話に弱いタイプ?


「では、礼として?」


「であろうな。そして、今ひとつ――」


 真顔で黙りこむオヤジから、妙な威圧感が噴出しはじめる。


 な、なに?

 なんで、そこで思わせぶりに溜めるの?


「そなたなら、この笛の持つ意味がわかるであろう?」


(ヒィィィィ~~~!)


 わかるけど、言いたくない!

 言ったら、終わりな気がする!


「昨秋、徳松の元服を懇願された折、わしが『禄をやることはできぬ』と言うたのを覚えておるか? その話にはつづきがあったのだが、それを口にする前にそなたが分知すると先走ったゆえ、言う機会を失うてしまった」


 やめてー! それ以上言わないでーーー!!


「ゆえに、あらためて命じる。国松、駿河を受け取れ」


 やっぱりぃーっ!


「乃可勢は、天下人の象徴だ。その名笛を父上が忠輝に与えた意味がわかるか?」


「……いえ、まったく」


 超ド級のムチャブリに縮こまる息子に、オヤジは疑惑のまなざしを向ける。


「忠輝は武芸に秀で、また、茶や絵画にも造詣が深い優秀な男だが、一方で、己の才をたのむあまり、傲岸不遜なところがあり、異見など一切容れぬ。

 おそらく父上はそのような気質を危惧なされたのであろう」


「つまり……今後、ご公儀の障りになりそうな叔父上を、おじいさまがあらかじめ排除したと?」


 沈痛な面持ちでうなずくオヤジ。


 言われてみれば、忠輝は気性が荒く直情径行なヤツだから、もし幕府の方針と自分の考えが大きく違ったら、たぶん面従腹背なんて器用なマネはできずに、真っ向から持論をぶつけてくるだろう。


 ―― 有力外様の娘婿である七十五万石の大守が、兄の施政に逆らう ―― 


 そんな姿がたびたび人目にさらされたら、将軍のメンツは丸つぶれだし、ヘタしたら忠輝をそそのかして倒幕をたくらむ大名すら出かねない。


「足利の二の舞はさせないということですね」


 室町幕府は、初代将軍・足利尊氏と弟・直義の間で起きた観応の擾乱以降も、やたら親族間での権力闘争が多かったため、治政もなかなか安定しなかったという。


「父上は心を鬼にして忠輝を切ったが、天下のために犠牲にした息子への贖罪の念から、形見として乃可勢を与えたのではないか」


「天下はやれぬが、せめて天下人の証を持たせてやろうと?」


「父上はなにもおっしゃらず逝かれたゆえ、すべては、わしの想像にすぎぬがな」

 

 親父はボソッとつぶやいて、ほろ苦い笑みをうかべた。


(いや、おそらくそういうことだろう)


 家康はよくも悪くも慎重な男だ。

 また、読書家で歴史についてもよく勉強していたから、室町幕府の弱点にも気づいていたはずだ。

 そんな家康が、徳川政権にとってのリスク要因を放置したまま逝くとは考えられない。

 だから、ジジイは豊臣氏が滅亡し、徳川の天下になったとたん、忠輝を政権中枢から遠ざけはじめたのだろう。

 

「でも、それなら乃可勢は、父上にこそふさわしいのではありませんか?」


 乃可勢が天下人の証なら、徳川宗家で相伝していくべきなんじゃないか?


「わしは、ちかぢか隠居しようと思うておる」


 おれの質問はガン無視で、いきなり爆弾宣言をかますオヤジ。


「よって、これが最後通告になる。国松、駿河遠江五十万石の主となり、徳川姓に復せ」


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