第57話 烏帽子名
前田父子と歓談した翌日、さっそくオヤジは老中を集めて、参勤交代の制度化に着手した。
発案者のおれも、執務室に呼ばれて意見を求められたので、
「まず、諸侯をふたつの集団に分け、参勤する年を交互に入れ替えてはどうでしょう。
そのとき留意すべき点は、島津と毛利など、叛意のありそうな外様同士を、同時期に下向させないことです」
未来知識をもとに、そう進言すれば、
「たしかに、ご公儀の目が届きにくい遠地で、謀反の密議をこらされてはかないませぬからな」
老中の酒井忠利が賛意を示してくれたので、ちょっと調子に乗って、
「同様に外様に対する抑えの譜代 ―― たとえば、福山の水野日向守(勝成)と姫路の本多美濃守(忠政)は、いずれも毛利ら西国外様の進軍路となる山陽道を守るお役目。両者が同時に領国から離れぬよう調整することが肝要かと存じます」
「すばらしい!」
「さすが東照権現さまの孫君!」
「まこと英邁でいらっしゃる!」
他の老中たちも口々に褒めちぎる。
おそらく、この程度のことはオヤジも考えているはずだが、せっかく花を持たせてくれるというなら、ありがたく乗っかろう。
いうまでもなく、参勤交代は、大名統制上とても有効だ。
大名 ―― 特に遠地に配された外様は、毎年、膨大な旅費がかかるため、軍事費にまわす金がなくなり、おかげで二百五十年もの間、倒幕をたくらむ藩は現れなかった。
また、物価の高い江戸に妻子常住を義務づけたことで、さらに財政負担が増し、中には米沢の上杉家のように借財がかさみ、領知返納寸前まで追い詰められたところさえある。
とはいえ、それは結果論。
幕府としては、最初から諸侯の弱体化を図ったわけではなく、定期的に将軍に伺候させて、徳川家の権威を視覚化しようとした政策が、タナボタ効果で長期政権につながっただけなのだ。
ヤル気満々の老中たちによって、法令はどんどん具体化していき、元和七年秋、武家諸法度に参勤交代制が追加された。
各大名家への通達も終わったある日、執務室にはこの件にかかわったメンバー全員が集められ、将軍からねぎらいの言葉がかけられた。
ひと通り慰労が済んだころ、
「武蔵、こたびの功により、褒美を取らせる。なにか望みはあるか?」
満座の中で、親父にいきなり下問された。
「褒美ですか?」
「なんでもよい。申してみよ」
将軍が鷹揚にうながすと、居並ぶオッサンたちの視線がおれに集中した。
「ならば、ひとつ……」
「なんだ、遠慮なく申せ」
「お言葉に甘えて申しあげます。当家で預かっている叔父・忠輝殿の妻子、お竹と徳松に対する
ずっと心の奥にわだかまっていた思いが、一気にほとばしり出た。
ちなみに『預』とは、罪がはっきり確定していない者を、牢屋ではなく大名屋敷などで拘禁する刑のことだ。
「忠輝の?」
「はい。徳松は叔父唯一の子とはいえ、生後すぐ父親と別れましたので、顔すら覚えておりません。
お竹もまた、夫と一切連絡を取っていないことは、わたしが保証いたします」
「……ふむ……」
しばし考えこんでいたオヤジは、ややあって、
「忠輝の処分は先代の遺命ゆえ、忠輝自身は赦免できぬが、その妻子なら……」
眉間にシワを寄せ、なにやらブツブツつぶやいていたが、
「とはいえ、徳松が咎人の子であることに変わりはない。容易に解き放つわけにもゆかぬ」
「なにゆえでございますかっ!?」
「まぁ、待て」
身を乗り出して喚くおれを、オヤジは苦笑まじりになだめ、
「生涯、そなたが責任をもって監督すると誓約いたせば ―― 」
「はい、誓約いたします!」
老中どもから横やりを入れられる前に、食い気味に宣言する。
「また、忠輝は改易になっているため、継ぐべき家もない。よって、新たに一家を立てることになるが、その家禄はどうする? 特段功績もない者に、公儀から禄を与えることはできぬぞ?」
なんだって!?
ああ、そうかい! わかったよ!
「それでは、わたしの分家あつかいにしてください! わが家禄から五千石を与えます!」
「五千? それでは、そなたのほうが少なくなってしまうではないか」
「かまいませぬ! 徳松とて、東照権現さまの孫。あまりに少禄では、みなに侮られます!」
徳松に五千やっちまったら、おれは四千九百九十九石。
だが、米の相対的価値が下落した幕末でも、いちおう千石以上あれば、そこそこ生活できたみたいだから大丈夫だろう。
「そうまでして引き立ててやりたいか? ずいぶんとかわいがっているのだな?」
「赤子のときから預かっておりますゆえ、弟も同然にございまする!!」
からかうようなオヤジの態度にムカついて、思わず声を荒げる。
「…………弟か。ならば、聞いてやらねばならぬか。のう、大炊?」
「御意」
オヤジに振られた土井利勝が、感情の読めない顔で会釈を返したとき、
「さように重き決定を、かくも性急に進めるはいかがなものか」
上座に近い席から、いらだたしげな抗議が湧いた。
「ならぬと申すか、上野介?」
「御意」
ギロリと昏い一瞥をおれに投げつけた本多正純は、
「忠輝殿の処分は、東照権現さまの遺命。あだやおろそかになさるべきではありませぬ」
真っ向から異論を唱えるその口ぶりは、なぜか教導調。
「忠輝殿が改易となってから、まだ六年。幼な子をムリに元服させてまで、急ぎ家名を再興させる必要がございましょうか?」
「幼いと申されるが、わが叔父・
オヤジを生徒あつかいする態度にカッとして、思わず言い返せば、
「大御所さまの御子であられたおふたりと、流人の子を同列に語られますな!」
特大の敵意をこめて叱責された。
「そもそも、武蔵守は、なにゆえそこまで徳松とやらに入れこむのだ?
聞くところによると、卑しき孤児どもを引き取り、百姓商人どもと交わり、宮さまがたのもとに足しげく通い……なにかよからぬことでもたくらんでいるのではないか?」
「……は?」
こいつは、おれが兄貴を蹴落とすために、徳松を通じて忠輝の義父・伊達政宗とつなぎをつけ、大衆の人気取りをし、皇子たちを手なずけているとでも言いたいのか?
もしかすると、本多は、おれをハメようとしているのか?
じつは、それこそが、東照権現さまの真の遺命か?
くそ、あの粘着ジジイめ!
死んだあとまで祟りやがって!
「ゲスの勘繰りはやめていただきたい」
「ゲスとはなんだ!?」
「もうよい。ふたりともやめぬか!」
不快感もあらわな絶対権力者の制止に、場が凍る。
「上野介、わしが許すと言うておるのだ。控えよ」
「はっ」
本多は憎悪にゆがんだ顔を隠すように、深く平伏した。
「さて、武蔵。徳松らのことはすべてそなたに任せる。元服は、そなたが烏帽子親となって、取り計らえ。
烏帽子名は、さすがにわしの偏諱はやれぬゆえ、烏帽子親のそなたから一字与えてやるがよい」
「承知いたしました」
まぁ、そうだよな。
いくら家康の孫でも、父親の忠輝はいまだ配流の身。
罪人の子に、将軍偏諱『忠』はあげられないだろう。
「では、当家の分家ですので、『松平
「『とき』はいかなる字を?」
ウルウル眼の青山が聞いてきた。
「『辰』の字を。徳松は卯年の生まれですので、卯の方位・東の守護神『青龍』にちなみまして……」
長辰 ―― 『長』はいうまでもなく、俺の『忠長』から。
そして、『辰』は、徳松の父・忠輝の幼名『辰千代』から取ったのだが、いろいろ差しさわりがありそうなので、ムリヤリこじつけたのだ。
だが、それは全員が察しているはず。
オヤジたちは、わかったうえで黙認してくれるのだろう。
なぜなら、誰ひとり、「辰なら、東南東の方角だろ?」と、突っこんでこないのだから。
…………本多がなにも言わないのは、ちょっと不気味ではあるが。
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