第56話 参勤交代


「わたしが危惧するのは、下城後、犬千代殿に異変が起きた場合、われらにあらぬ疑いをかけられることです」


「前田の大事な世継ぎに、徳川が一服盛ったと?」


「さようにございます」


 おれが考えたのは、『さっきの毒味は犬千代のためではなく、徳川が毒を盛っていないことを示す行為』だったことにして煙に巻き、オヤジの怒りの矛先をかわす作戦。 



 福島正則が改易されて以来、豊臣恩顧の諸大名たちは警戒心を募らせている。


 もし、秀吉の盟友・前田利家の孫が、将軍と対面した直後に急死したら、「徳川が、前田の世継ぎを毒殺した!」と倒幕機運をあおるために利用されかねない。


 だから、おれは甥と菓子を分け合った。

 これなら、たとえ犬千代になにかあっても、同じものを食べたおれがピンピンしている以上、徳川による謀殺を主張できなくなる。

 しかも、目撃者は前田自身。

 徳川おれたちに冤罪を着せたくても、着せられるわけがない!

 おれは、徳川を守るため、あのような行動を取ったんだ!!


 ―― という諭旨で、オヤジを丸めこむのだ。


 そして、このこじつけには、それなりの根拠がある。


 たしかに、犬千代は徳松とちがって、大事に育てられた。

 しかし、彼の幸福な日常は、敵対関係にある徳川・前田の危ういバランスの上に成り立っている。

 いわば、犬千代の健やかな成長は、両家の友好の証。

 ということは、緊張が高まれば、逆に双方から命をねらわれる危険性がある。

 

 その証拠に、前田光高の変死については、幕府暗殺説と同時に内部犯行説も有力で、しかも、その黒幕は実父・利光利常だという。


 光高はじめ利常の子どもたちは、金沢城の『奥』で育てられた。

 奥は殿さまのプライベート空間だが、当時は、珠姫に随行してきた徳川家臣団の支配下に置かれていた。

 幼少期から洗脳されつづけた次世代が、徳川シンパとなるのは必然だった。


 しかも、光高は家光の衆道モ~ホ~相手だったともいわれ、徳川の魔手から必死に家を守ろうとしている利常ら反徳川派にとって、光高は獅子身中の虫になっていたようで、あえて大老臨席の宴で始末したのは、内部犯行を疑われないための工作だったのかもしれない。


 ともあれ、それは不確定な未来の話。

 まだ『光高』になっていない今の犬千代は、前田の秘蔵っ子なわけで……。


「これは異なことをうけたまわる」


 案の定、真っ向から襲来するすさまじい仇視。


「忠長殿は、私が将軍家に冤罪を着せるため、実の息子に毒を盛るとおっしゃるのか?」


「いえ、輿入れ以来、姉上をいつくしんでくださっている義兄上が、そのようなマネをなさるとは思いません。しかし ―― 」


 あちらオヤジを立てれば、こちら前田が立たないのは織りこみ済み。


「ご家中に徳川の下風につくをよしとせぬ者が、ひとりもおらぬと断言できますか?」


「むろん、わが家中にさような不心得者はおりませぬ!」


 断固として否定する義兄。

 大柄な武人の怒りオーラに、本能的な恐怖がこみあげてくるが、ここが頑張りどころ。


「聞くところによりますと、義兄上の父君・利家公は、生涯わが祖父を仮想敵と見なし、先代・利長さまは最期まで、豊臣と徳川の間で苦悩しつづけたとか。

 だとすると、そちらのご家中には徳川に恨みを持つ者が少なくないと思ったのですが」


 前田の迫力に、内心ガクブルしながら、シナリオを進める。


「でも、考えてみれば、義兄上は、おじいさまが亡くなられる直前、その枕頭に呼ばれるほど、篤く信頼されていた御方。たとえ、ご家中に不穏な気配があっても、善処してくださるにちがいありません」


 「 ―――― 」


 おれの言葉に、顔色をなくす利光。



(よし! 狙いどおり!)



 家康は死の間際、前田利光、福島正則、加藤忠広の三人を病室に招き入れた。


 ただし、それは三人を特別に信頼していたからではなく、むしろ逆 ―― 諸侯の中でも特に豊臣寄りの有力大名を、最後にガッツリ〆ておくためだった。


 そのとき、ジジイは、前田に対して、

「わしはもうじき死ぬ。後顧の憂いをなくすため、おまえを殺しておこうと思うたが、秀忠は婿のおまえをひいきにしているようで、助命してきおった。息子の頼みゆえ、しかたなく生かしておいてやるが、おまえが助かったのは、ひとえに秀忠のおかげだ。なにがあっても恩人に向かって、弓など引くなよ」と、クギを刺した。


 さらに、家康は、

「まぁ、やれると思うなら、(天下を)取ればいい。力ずくでな」と、挑発さえした。


 瀕死のジジイによる恫喝が効いたのか、三家は表面上は再度徳川に忠節を誓ったわけだが、このときの会話は義兄にとって、トラウマになっている可能性があり、おれの狙いはまさにソコなのだ。


「義兄上、ご無礼の段、ひらにご容赦を」


 憮然とする前田に向きなおり、突如、平伏。


「しかしながら、やはりわたしは、微妙なお立場にいらっしゃる犬千代殿が心配でなりません」


「微妙?」


「犬千代殿は、前田からすれば、憎き徳川の血族。代々の忠臣の中には、敬愛する藩祖・利家公が苦労の末に築きあげた身代を乗っ取ろうと図る敵の一味、と考える者がいるのではとの懸念がどうしても払拭できず……」


「国松、なにか考えがあるのか?」


 ずっと沈黙を守っていたオヤジが、おもむろにうながす。

 どうやら、おれがなにか企んでいると察したらしい。


「はい。長年にわたる両家の軋轢を考えれば、姉上と御子たちを江戸屋敷に呼び寄せ、父上がお近くで後見なさるのが最も確実な警護方ではないかと」


「珠姫と子らを江戸に!?」


 いきなりのムチャブリに、唖然とする前田。


「たしか、姉上の輿入れは、江戸にお迎えした芳春院(利家正室・松)さまとの、いわば人質交換でしたが、その芳春院さまは四年前、金沢にてお亡くなりになられました。

 そこで、義兄上にお願いしたいのです。幼いころに実家を離れた姉に、なにとぞ里帰りの許しをいただけないでしょうか?」


「……里帰り?」

 

「ほほう、それはよいな。お江も、犬千代に会うたことで、幼いころに手放した珠のことを思い出し、恋しく思うておるはずだ」と、側面から強力な援護射撃。


「そんな……いくらなんでも一方的な……」


「一方的? いえ、一方的というなら、目下、徳川だけが一方的に、人質を差し出しているのです。

 それに、離縁せよと申しているのではありません。

 義兄上のお屋敷は御城の目の前、辰ノ口にございます。

 そちらなら、父上母上も姉や孫たちと容易に面会できますし、将軍家の庇護も受けやすくなります」


 このころの加賀藩邸は江戸城和田倉門外辰ノ口にあり、東大の象徴・赤門がある本郷には、もともと下屋敷があり、明暦の大火後、そちらに上屋敷が移ったのだ。

(※ 東大本郷キャンパスは、加賀藩上屋敷跡に造られた)


「なれど、その儀、家臣どもが納得するとは到底思えず……左衛門大夫福島正則の一件もございますれば……」


 徳川の勝手な言い分に、前田も必死に食い下がる。


「義兄上、なにか思い違いをなさっているのではありませんか? 

 左衛門大夫は、豊臣恩顧の大名だから改易されたのではなく、城修復において武家諸法度違反があり、さらに、その赦免の条件であった城割でしくじったため、改易となったのです」


 うそだと思うなら、信濃にいる福島に聞いてみろよ。

 あいつも、改易後、自分のやらかしに気づいて反省してるらしいし。



  ―― さて、そろそろ決着をつけるか。 


「そういえば、おじいさまは、先々のわざわいとなりそうな前田を潰すおつもりだったのを、父上が懸命にとりなして、どうにか改易をまぬがれたとか。 

 にもかかわらず、義兄上は姉上という人質を確保しておかなければ、父上に臣従できないとおっしゃるのですか?」


「けっしてそのような……。なれど、私は珠姫や子らを愛おしく思っており、当家のみ妻子と離されるのは、あまりに理不尽……」


 権力をかさにきて脅す旗本に、情であらがう外様大名。

 そして、その応酬をニヤニヤしながら楽しむ将軍。


「ご懸念にはおよびません。妻子を江戸に置くのは前田だけではなく、島津・毛利・上杉、また、井伊・榊原・本多など、外様譜代にかかわらず、すべての大名に命じるつもりです」


「はっはっは、なるほど、そうなれば、珠だけではなく千、勝、初、いつでもみなに会えるのう」


「おおせのとおりにございます。諸大名は江戸で一年、翌年は領国にて一年を過ごすことにより、将軍家への奉公と領知の仕置き、どちらも遺漏なく行うことができると愚考つかまつりました」


「国松、なかなかよいことを思いついたな。さすれば、わしも諸侯との意思疎通が図れ、さまざまな達示も浸透しやすくなる」


 オヤジは顎をなでながら、満足そうにうなずく。


「はい。この儀、『参覲交代』と名づけて、武家諸法度に盛りこんではいかがでしょうか?」


「参覲交代か。言い得て妙だな」




 こうして、ご機嫌の将軍からあっさりOKも出て、あっちの世界より若干早めに参勤交代制が実施されることになった。


 また、同時に、

「じゃあ、金沢に帰ったら、さっそく珠姉たちをこっちに送り出してね。

 その際は、慣れない長旅は体に負担がかかるから、まちがっても妊娠なんかさせちゃダメだよ?」と、放心する前田に厳重に念押しして、おれの珠姉ちゃん救済プランも、無事成就したのであった。


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