第55話 菓子


『珠姫の死亡フラグを折る』


 お気軽に決意したものの、事はそう簡単ではない。


 珠姫の死因は産褥死。

 もともと妊娠は、女性の体に大きな負担をかけるうえに、出産間隔が短いと、早産・未熟児・母子の死亡率上昇など、母親・新生児双方にとって健康リスクが高まる。


 珠姉の場合、数え年十五歳で長女を産み、その二年後から五年連続で出産、一年開けて今年一月に四女を、来年夏には五女を出産し、それが早世の引き金になる。

 ちなみに、この五女も、翌年数え年二歳で夭折する。

 母子ともに命を落としたのは、やはり連続出産の弊害だろう。


 産褥死を回避するなら、とりあえず妊娠しなければいい。

 とはいえ、おれより十二歳も年上の大名に、

「姉ちゃんの命にかかわるから、今後アッチの方は控えてくれ」なんて言えるわけがない。


 しかも、利光はガタイもよく、見るからに絶倫ぽい。

 愛妻といっしょに暮らしながら、ずっと禁欲生活を強いるのも酷な話だ。

 かといって、側室を勧めたりしたら、ダンナラブな姉ちゃんのメンタルがやられる。


 第一、改易されないよう必死な前田が、おれごときの進言で、徳川の姫を粗略にするだろうか?

 側室の話は、下手したら前田を潰す謀略の片棒を担いでいると邪推されかねない。

 じゃあ、いったいどうすれば……?



 考えこむおれの眼前では、


「さぁさ、犬千代、ばばさまのところへいらっしゃい」

 

「いや、わしの膝の上に座れ」


(……あんたまで?)


 みにくい争奪戦を繰り広げるジジババ。


 涙目になる孫をウザいほど構い倒すザマを見ているうち、胸の奥に苦い不快感が広がっていく。


(なんなんだよ、この差は?)


 甥の犬千代と従弟の徳松は、ともに元和元年生まれ。


 今回、祖父である将軍への初御目見おめみえのため、金沢から参府した犬千代は、一目で最高級品とわかるオーダーメードの裃を身にまとい、将来百万石の大藩を継ぐ世子として公式にデビューした。


 徳川と前田のハイブリッド種として大事に育てられた犬千代は、祖父母に旅の途中で目にした明媚な風景、めずらしい食べ物、不慣れな土地でやらかした失敗談などを、興奮ぎみに語っている。


 一方、徳松は、改易となった父親忠輝に連座させられ、生後まもなく謹慎所にぶちこまれて、旅どころか、おれの屋敷から一歩も出たことがない。


 徳松の祖母・茶阿局は、今年に入ってからずっと体調がすぐれず、最近は寝たきり状態らしいが、徳松は歩いて三十分もかからない北の丸屋敷に見舞いに行くことさえ許されていないのだ。


 また、正装して出かける機会もないため、正月におれのサイズアウトした小袖と袴を着るくらいで、あとは一年中、孤児たちと同じ麻の着物で過ごしている。


 どちらも天下人・家康の血を引いた子どもなのに、あまりに不公平じゃないか!


 なにもかも正反対のふたり。

 だが、ともにその最期は…………。



「お待ちください!」


 ぼんやり黙考していたおれは、ある光景を目にした瞬間、思わず叫んでいた。


「毒味が済んでおらぬものを、口に入れてはなりませぬっ!」


 叫ぶと同時に菓子を持つガキの手をむんずとつかんでひねりあげると、いままでホンワカしていた室内の空気が、一気に南極並みの冷気に変わった。


「ほぅ、そなたはわしが初めて会った孫に、毒を盛るような鬼畜だと申すか?」


 金蒔絵の高杯に積まれた餅菓子を前に、オヤジは絶対零度の笑みを浮かべた。


「この場に出された段階で、菓子も茶も、すべて毒味済みということは、そなたも存じておろう? それを踏まえたうえでの発言である以上、なにか含むところがあるのだな?」


「け、けっして、そのような……」


 大汗をかきながら取り繕おうとするが、オヤジは冷ややかな目で見すえるだけで、ニコリともしてくれない。


「どく?」


 空気を読まないガキがおふくろの膝から大声で復唱し、その父親は盛大に顔を引きつらせて、おれたちのやりとりを注視している。



 ひぇぇぇ~!

 とんでもない事態ことになっちまった~!



 それというのも、犬千代 ―― のちの光高の最期について思い返していたせいだ。

 だから、つい体が反応してしまって……。


 対照的な境遇の光高と徳松だが、その最期はどちらも悲劇的なものだった。


 監視役の阿部家の冷遇に抗議して、母とともに焼身自殺を図った徳松。

 それに対し、光高は無事大領を継いだものの、三十歳のとき、ある饗応の場で倒れて急逝してしまう。


 身体壮健な若い外様大名の死。

 当然、その死についてはいろいろな憶測を呼び、中でも毒殺説は当時からあちこちでささやかれていた。


 とはいうものの、光高が倒れたのは、自邸に大老・酒井忠勝を招いた茶会の席。

 幕府が、徳川にとって最大の仮想敵・前田の当主を暗殺したとするには、状況的にムリがある。

 では、ほかに動機を持つ者はというと…………。



(そうか……)


 アレに、アレを乗っけてしまえばいいんだ!


 突如訪れた天啓に、おれは大きく息を吐いた。


「父上、誤解です。むしろ、わたしは徳川が冤罪を着せられないよう、配慮しただけです」


「冤罪?」


 不穏な単語に、義兄の眼光が強くなる。


「はい。ですから、犬千代殿」


 そう言って、子どもの手から取り上げた菓子を懐紙に載せ、楊枝で二つに分ける。


「さぁ、お好きなほうをお取りください」


 目を点にするガキに笑顔で圧をかけて、ムリヤリ受け取らせ、


「では、毒味のため、わたしが先にいただきましょう」


 クソ甘い餅菓子を口に放りこみ、高速で咀嚼する。


「はい、もう召し上がってもよろしゅうございますよ」


 作り笑いでGOサインを出すと、ガキは父親のほうをうかがいながら、こわごわ口に入れる。


「他の菓子もご所望なら、その都度毒味をいたしますので、遠慮なくお申しつけください」


「……どういうつもりだ?」


 フレンドリーな叔父さんぶるおれを、オヤジは怒気を含んだ声音で問いただす。


「それは、のちほど」


 キレぎみの将軍さまを軽くいなして、甥が指さした菓子を数点取って分割する作業に没頭する。


 半分にした菓子を懐紙で個別に包んで、小さい手のひらに載せてやれば、


「江戸では、菓子は半分しか食べてはいけないのですか?」


 目をキラキラさせて問いかけるガキんちょ。


「いえ、そうではありません。おじじさま、おばばさま、そして犬千代殿の父君や犬千代殿ような身分の高い方々は、お命を狙われやすいのです。

 ですから、いかに信用できる方からいただいたものでも、毒味をせずに口にしてはなりません。

 また、たとえ一度毒味の済んだものでも、中座して戻った後には召し上がられますな。離席の間に、毒を盛られている恐れもございます。

 よいですか、犬千代殿、一瞬の油断が命取りになるのですぞ!」


 光高が急変したのは会食の席。

 客は幕府高官だし、毒味はきっちりやっていたはずだ。

 だとすると、途中で毒を混入された可能性もある。

 こんなふうに、子どものころから注意喚起しておけば、悲劇を回避できるかもしれない。



「母上、隣室で犬千代殿と貝合わせでもなさってはいかがでしょうか?」


 甥のフラグ対策を講じたおれは、いよいよ懸案を解消するため、おふくろにお子ちゃまの回収を依頼する。

 ここから先は、とても子どもには聞かせられないドロドロの神経戦になるのだ。


「そうだな。犬千代、おばばさまの道具を見せてもらうがいい。一見の価値がある逸品ぞ」


 おれの意を汲んだオヤジも、ふたりを追い出しにかかる。


「承知いたしました。ささ、犬千代、こちらへ」


 おふくろが孫をともなって退出するやいなや、


「では、さきほどの続きを聞かせてもらおうか」


 オヤジが為政者の顔で、こちらに向きなおった。


 



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