第54話 義兄


 藤堂の指導を受けて作成した草案は、親父と老中たちの審査もパスし、武家諸法度に殉死禁止令が盛りこまれることとなった。


 各家への周知は、ちょうど年始で多くの大名が年頭之御祝儀拝賀で江戸に集まっていたため、すんなりと行えたが、さすがに法の遡及適用はできず、十三人もの殉死者を出した島津を潰すことはできなかった。

 ここでジャマな薩摩を消しておけば、あとあと楽だったのに……ちぇっ。


 

 ということで、藤堂高虎との師弟関係は終わったはずなのだが、おれはいまだに大炊橋門(※ のちの神田橋御門)近くにある津藩上屋敷に通いつづけている。

 親父から「藤堂が存命なうちに、いろいろ学んでこい」と命じられたからだ。


 かくして、おれは『歩く戦国サバイバル辞典』から、

『落ちない城の造り方』

 だの、 

『仕えてはいけない主君の見極め方』

 だの、

『いつでも奉公替えができる侍になるキャリアアップ三十の知恵』

 だの、

『はじめてでも怖くない 効率的かつ正確な首実検法』

 だの、

『信頼される上司になる二百の鉄則(副題:高山公遺訓二百ヶ条)』

 だのを、やつの嫡子(高次)や重臣子弟らとともに拝聴するハメになっている。



 新しい師ができたかと思えば、かつての師との別れも。


 元和六年四月九日、元槍術指南役 渡辺盛綱 永逝。享年七十九。

 

 当代一の槍の名手の座をめぐって、小栗又一と熾烈なバトルを繰り広げた渡辺だが、その好敵手が亡くなると、なぜか渡辺も指南役を辞してしまい、徳川義直の付家老として尾張に下り、その地で生涯を閉じた。


 そして、もうひとり。

 家康の外交顧問だった三浦按針あんじんことウィリアム・アダムスも、同月二十四日、母国から遠く離れた平戸で亡くなった。享年五十五。


 家康の死後、外交方針が大きく転換したあおりをくらって、晩年は不遇だったが、おれにとっては平戸のイギリス商館からイモの苗を取り寄せてもらった大恩人。

 せめて、今後、三浦の遺児たちが不自由なく暮らせるよう、陰ながら助力することで、恩を返したいと思う。


 三浦が調達してくれたイモの試験栽培は、正太たちがきっちり管理できるようになったので、最近はやつらに任せきりだが、順調に株数を増やしている。


 ―― 孤児といえば……どうやら、あいつらは、おれにナイショで剣術を習っているらしい。


 おれの屋敷の使用人は全員柳生の門弟。どうも、かなり前から邸内の道場で、家人たちが孤児たちに稽古をつけているようなのだ。

 それどころか、子どもたちを何人かずつ組み分けして、ローテーションで伊賀組同心のもとに通わせて、そっちでもなにやらコソコソ訓練させている気配も……。

 まさか、またなにか企んでるのか、親父!?


 

 そうこうしているうちに、妹・和子の入内が近づき、同行する藤堂の講座は長期休講となった。


 藤堂ゼミがなくなったとはいえ、毎日仕事はあるし、三年前、上野にできた元和寺(※ あっちの世界の寛永寺)本坊に顔を出して、宮さまがたの話し相手を勤めなければならないしで、それなりに忙しく過ごしているうちに、新帝とのロイヤルウェディングは無事挙行された。


 徳川にとって最大かつ最重要イベントをやり遂げた親父とおふくろは、三ヶ月ぶりに江戸に戻ったが、藤堂は長らく留守にしていた領国に寄ってから帰るとかで、藩邸通いは中断したまま年を越した。


  

 明くる元和七年。


 一月下旬、尾張藩邸を火元とする大火により桜田一帯が焼け、二十余の大名屋敷が類焼する。


 江戸は、広大な葦原・萱原を、山の手の台地を切り崩した土砂で埋め立てた土地。

 井戸を掘っても、今の技術では、出てくるのは塩の混じった濁水ばかりで、上質な飲料水を得るのは難しい。


 そのため家康は入国早々、大久保藤五郎に命じて小石川上水を整備させ、これがのちの神田上水になるのだが、いかんせん一府すべてをカバーできるほどの水量はない。


 現在、城周辺の飲料水は赤坂の溜池から取っているが、今後参勤交代が制度化されると人口爆発が起きて、水不足におちいるのは必至。


 だとしたら、三十年くらい前倒しで玉川上水を開削すれば、飲料水確保はもちろんのこと、大火対策にも有効ではないか。


 よし、親父に相談してみよう! 



 ―― といった、思いつきだけの墓穴発言により、さらに忙しさを増した五月のある日。


 いつものようにオッサンどもにパシられるおれの元に親父の近習がやってきた。


「え? 今すぐ奥へ?」


 勤務時間中にもかかわらず、将軍命令ということで、老中たちに快く(?)送り出されたおれは、本丸奥に拉致られる。


 そうして、たどり着いたのはおふくろの居室。



「武蔵にございます」


 鮮やかな牡丹の絵が描かれた襖を開け、敷居際で平伏する。

 以前はどこにでもズカズカ入っていたが、臣下に下った身なので、いちおう遠慮してみせる。


「入れ」


「はっ」


 親父の許可が下りたので、膝行で中に入り、再度平伏。


「ここは私的な場だ。楽にいたせ」


 そううながされて顔を上げると、上座の親父とおふくろの前に見慣れぬ人物がふたり。


「これなるは、前田利光とその嫡男犬千代。そなたの義兄と甥だ」


 前田利光 ―― 加賀藩二代藩主にして、次姉・珠姫の夫。

 だとすると、その隣のガキンチョは、後に三代藩主となる光高だろう。


「お久しゅうございます。といっても、お会いしたのはお小さいころゆえ、覚えておられぬかもしれませんが」


 こちらに向きなおったイケメンは、さわやかな笑顔で挨拶を述べた。


「犬千代にございまする」


 どことなくおふくろに似たチビも、小さな手をそろえて礼をする。


「申しわけございませぬ、たしかに記憶がおぼろにて……松平忠長にございます」


 答礼して頭を下げると、 


「いえ、無理もございませぬ。最後に会うたは大坂の役の前年、八年も前にございますれば」


 イケメン兄貴は涼やかな低音で、愛想よく答える。


「そんなに前でしたか……」


 挨拶を受けて、覚醒前の記憶を一生懸命探ったが、前田に関する情報はない。

 八年前というと、おれは数え年八つ。

 義兄の横からこっちをガン見してくるこの坊主くらいの歳だ。

 会ったといっても、親父たちといっしょにちょっと顔合わせをした程度だったのだろう。


「姉上はお元気でしょうか?」


 と、聞いてみたものの、珠姉ちゃんの記憶もまったくない。


「はい、壮健にございます。この一月には四女を産みましたが、母子ともにつつがなく過ごしております」


 珠姫は、慶長六年に数え年三歳で前田家に嫁入りしてから、一度も江戸に帰ってきていないので、慶長十一年生まれのおれは珠姉に会ったことがない。


 珠姫の輿入れは、前田利家の妻・松との人質交換だったため、あっちの世界では死ぬまで金沢を離れることができず、幼い頃に別れた両親と再会することもできぬまま早世してしまう。


(……早世……)

 

 そういえば珠姫の死因は、産後の肥立ちが悪くってやつじゃなかったっけ?

 今年四女を産んだというなら、時期的にもそろそろ……。


 前田利光と珠姫は、政略結婚だったにもかかわらずとても仲がよかった。

 その証拠に、慶長十八年に最初の子を産んで以降、ほぼ毎年のように出産し、三男五女をもうける。


 ところが、五女を産んだ後に体調を崩し、さらに追い打ちをかけるように、実家からついていった乳母が夫婦仲に亀裂が入るよう策動したため、心因的原因も加わって、珠姫は二十四歳という若さで衰弱死するのだ。


 なんせ、徳川から同行した家臣は全員スパイ。

 徳川にとって最大の仮想敵・前田と将軍の娘が懇意になりすぎて、こちらの情報が筒抜けになったら、元も子もない。

 乳母の行動は、徳川の家臣としてはまちがってはいない。

 

 だが、後にこの事実を知った利光はブチ切れて、この乳母をヘビ責めにして殺してしまう。


 ヘビ責めというのは、古代中国の暴君・殷の紂王が考案した処刑法で、罪人を全裸にして大量のヘビといっしょに樽の中に入れ、さらにそこに酒を注いで蓋をすると、興奮したヘビが体中にかみついたり、口などから体内に入って暴れ、やがて死に至る。

 あまりに残忍な殺され方をした乳母の怨念は、ずっと前田一族につきまとい、その姿がたびたび金沢城内で目撃されたそうな。



 つまり、珠姫亡き後、徳川と前田は緊張状態におちいるのだ。


 関ヶ原の勝利に大功のあった福島正則でさえ改易され、義兄・利光(後年、将軍家光と同じ『光』の字をはばかり、『利常』と改名)は藩を守るため、しだいに奇矯な行動を繰り返すようになる。

 わざと鼻毛を長く伸ばしたり、立ち小便禁止の立て札に向かって放尿したり……バカ殿キャラを演じて、幕府に警戒されないようふるまったのだ。


 それもこれも珠姫が亡くなってしまったせいで。


 

 だったら…………珠姉ちゃんが死なないようにすればいいんじゃないか?



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