第51話 元和五年 四月


「武蔵、これを至急目付に」


「はっ」


 老中から受け取った文箱を捧げ持ち、部屋を出ようとすると、


「ああ、戻ってくる折に、白湯を一杯頼む」


 無造作に雑用を追加するヒゲ面オヤジ。


「承知いたしました」


「グズグズするな。早う行け!」


「はっ!」


 理不尽な叱責を受け、許容されるギリギリのスピードで飛び出す。

 殿中を疾駆する継裃のガキに、周囲のオッサンたちは心得顔で進路を開けてくれる。



 あの人事発令から二年弱。

 

「将来は老中の下で政の実務を担うことになるから、いまからその経験を積んでおけ」との下命により、土井に預られたはずなのに、日々おれを酷使するのは土井ではなく同僚のヒゲ面オヤジ ―― 常陸江戸崎藩主・青山伯耆守忠俊だけ。


 当の土井や本多正純、酒井忠世など他の老中たちは、さすがに将軍実子をパシリにはできないのか、従来どおり御坊主を使役しているが、青山はおれにばかり用を言いつけ、

「実の兄弟とはいえ、将来公方さまとなられる竹千代君とおぬしとは主従の間柄。分をわきまえ、よき臣となれるよう精進いたせ!」と、事あるごとにクドクド説教を垂れてくる。


 かくいう青山は、十年前から兄貴の傅役を務めており、最近アブノーマルな性癖に目覚め、男同士でイチャイチャしたり、若衆歌舞伎にハマって奇抜なメイク&ド派手なコスプレでしなを作る家光に対して、「武家の棟梁となる御方が軟弱な!」だの、「なんですか、その姿ナリは? みっともない!」だの、「わしの言がご不満なら、この首をねてからなさるがいい!」だの、顔を合わすたびにガミガミやるため、兄貴から蛇蝎のごとく嫌われている。

 このままでは、あっちの世界と同じように、老中罷免のうえ大減封で左遷されるのも時間の問題だろう。


 

 ―― そんなパシリ生活にもようやく慣れてきた今日この頃。


 老中たちが詰める『大溜おおだまり』から各部屋へのルートを完全に把握済みのおれは、最短距離を通って目付のもとにたどり着き、書類を渡すやいなや踵を返し、今度は白湯を求めて台所へ。

 このあとは、老中連中が奉書をしたためるというので、大量に墨を磨らなければならない。


 茶碗の載った盆を持って大急ぎで戻ると、


「遅い!」


 部屋に入ったとたん、とどろく怒号。


「先ほど公方さまのもとに呼ばれたゆえ、これを運べ!」


 茶碗をかっさらって一気飲みしたヒゲオヤジは、問答無用で書類の束を押しつけ、


「大炊殿らは先に参られた。行くぞ!」


 ドスドスと大股で歩み去る。

 

 

「来たか」


 青山の後を必死に追いかけ、大溜から将軍居室『御座之間』に移動すると、次之間にはすでに老中連中が勢ぞろい。


 この頃の幕閣は将軍のすぐ隣の部屋に常駐しており、上段之間にいる将軍から直接指示を受けながら執務をする。

 こうした形態が変わったのは、約七十年後の貞享元年(1684)に大老・堀田正俊が若年寄・稲葉正休に大溜で刺殺される事件が起こり、将軍に万が一のことがあってはいけないということで、以後、御用部屋は御座之間から遠ざけられた。


 青山に託された書類を土井の横に置いて退出しようとすると、


「よい、そなたも残れ」


 上段之間の親父秀忠が、目線で下座に座るよう指示を出す。


 こんなめんどうくさそうな会議に陪席したくはないが、台命とあらばしかたない。

 しぶしぶ上座から一番遠い部屋の隅に腰を下ろす。


「さて、みなそろいましたゆえ、はじめたいと存じます」


 土井は、上段之間をうかがうように見やってから、おもむろに口火を切った。


「上さまにおかれましては、左衛門大夫のふるまい、看過できぬとのおおせにございます」


「さよう。その儀、捨て置くわけにはまいらぬ」


 左衛門大夫 ―― 安芸広島藩主・福島正則。

 そう、今、親父たちが話し合っているのは、福島がおこなった広島城修復工事の件なのだ。


 福島正則は秀吉の縁戚で、『賤ヶ岳七本槍』筆頭に名が上がるほどの猛将だったが、関ヶ原合戦では石田三成に対する敵愾心から東軍につき、家康の覇業に大きく貢献した。

 そのため、福島は豊臣恩顧の大名だったにもかかわらず、徳川からの信頼も篤く、二年前の秀忠の上洛に供奉したり、体調不良で隠居を願い出ても、「これからもわれらに力を貸してくれ」と慰留されたりと、これまで両者の関係は良好だった。


 それがなぜ苛烈な譴責を受ける事態になったかというと、ようするに危機感が足りなかったのだ。


 じつはここ数年、全国的に大雨による城の損壊が相次ぎ、広島藩だけでなく、小倉の細川なども風水害の被害を受けて、石垣の改修工事をおこなった。


 だが、細川家は事前に何度も老中の土井利勝に相談し、許可を得てから工事に着手した。

 一方、広島藩は、福島が江戸にいたこともあり、国元でチャチャっと修理してしまってから事後報告を入れ、福島自身もそれを問題視せず、ねぎらいの文を遣わした。


 慶長二十年に発布された武家諸法度では、

『居城を修補したら必ず報告するように。新規の築城は厳禁』と定められており、文言上では、城の修復については必ずしも事前報告しなければならないわけではないが、細川のようにリスク管理に長けた大名は、幕閣にウザいくらい確認して実行している。

 つまり、いくら条文に書いてないからといって、また、修理内容が小規模だからといって、そうした手順をおろそかにした福島は、ある意味慢心していたのだ。


 ―― その歴史的議題が、今まさに目の前で話し合われている。


 たぶんこの後は、あっちの歴史と同じように、福島がヘタを打って、改易となるだろう。


 福島の改易については、後年熊本の加藤家も改易になったことから、「徳川は豊臣恩顧の有力大名を難癖をつけて潰した」という印象を持たれているが、本当は福島自身のうかつさで自滅したにすぎない。


(加藤家の場合は、清正の跡を継いだ息子が相当ヤバいやつで、ご近所の細川家などはかなり以前から警戒していたらしく、こっちも自爆の線が濃厚)



「なれば、こたびの不始末については、左衛門大夫に問責の奉書を下し、城を割らせることといたす」


「ははっ」


 親父の裁定に、老中たちは平伏して受諾。

 おれもそれにならって這いつくばる。


「しかし、これで済みましょうか?」


 頭を上げた土井がさりげない口調で問いかける。


「ふむ。家中に多少目端の利く者がおれば無事しのげるが、これまでの対応を見るに、改易は免れぬであろうな」


「たしかに。おそらく城割でしくじりましょう」


 相かわらず視線のやりとりだけで通じ合うふたり。


「となれば、左衛門大夫の後に誰を充てますか?」


「広島は毛利の抑え。なまなかな者に任せるわけにはゆかぬぞ」


「御意」


(ぎょえ~~~!)


 親父と土井は、改易を前提にして、もう次の段階を考えてるらしい。



 ちなみに、『城割』というのは中世以降おこなわれてきた降伏の作法で、自ら城を壊してみせることで、恭順の姿勢を示すのだが、徳川は『城割』のスタンダードを大きく変えた。


 それまでは、負けた側は城を徹底的に壊す必要はなく、目立つ箇所 ―― 城門や櫓、石垣など一部を破壊するだけでよかった。


 しかし、徳川が敗者に求めた城割は、本丸以外のすべての建物を壊し、堀も埋め、非武装化させるというもの。つまり、大坂冬の陣で徳川が強行したアレだ。


 あっちの世界の広島藩は、服従の意を示すのに、昔の城割方法で済むと考え、本丸石垣の一部を壊しただけで、二の丸以下の建物には手をつけなかった。

 もし、これが細川家だったら、しつこいくらい老中に『報・連・相』をし、なおかつ、最近のモデルケースを詳細に分析して、きっちり徳川版城割をやってみせたにちがいない。


 このことは福島自身も後悔したらしく、

「今回の改易は、俺が古い人間で、新しい仕様に対応できなかったせいだ。己の不敏さゆえに、家臣のみんなには迷惑をかけてしまい、申しわけなかった」と、改易直後に反省している。


(おれなら……そして、今なら助けてやれる……)


 改易の原因となる城割は、まだ実施されていない。

 だから、今、おれがこっそりアドバイスしてやれば、改易は免れる。


 なにしろ、親父は豊臣恩顧の大名だから福島を潰そうとしているわけではない。

 徳川が招来した平和 ―― 元和偃武げんなえんぶ ―― が永続するように定めた『一国一城令』がどんなものか周知徹底させるため、たまたまスケープゴートになってしまっただけなのだから。

 

 だとしたら…………。


「武蔵」


 ドップリ思索にふけっていたおれを、聞きなれた声が覚醒させる。


「こたびの儀、そなたならどういたす?」


 投げかけられた問いに目を上げれば、そこには人の悪い笑みをうかべた親父がいた。


 






(※ 今回、福田千鶴教授著『城割の作法』(吉川弘文館発行)を参照させていただきました。

一国一城令の意義がよくわかるとてもすばらしい本です!)








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