第52話 転封
「ど、どうとおっしゃられましても……」
いきなり振られて口ごもるおれを、オッサンたちがガン見する。
「そなたならば、なにか良き知恵があろう? 大功ある大名を救ってやりたいとは思わぬか?」
親父はニヤニヤしながら追い打ちをかける。
(おまえなら、助けてやれるだろう?)
それは、まさに今、考えていたこと。
まるで頭の中を覗かれたような気持ち悪さに冷や汗が噴きだす。
福島を助けるのは簡単だ。
ひそかにアドバイスを与え、徳川基準の城割を完璧に遂行させればいい。
だが、親父は、本当に福島を助けたいと思っているのか?
もしかすると……おれは、試されているのかもしれない。
親父には、多くの
長兄・信康は、親父が生まれる五ヶ月前に切腹したものの、五歳年上の次兄・秀康、一歳年下の同母弟・忠吉はどちらも武勇に優れ、カリスマ性もあった。
また、十三歳下の忠輝は問題児ながら、剣術絶倫と賞され、文化面にも秀でていた。
そこへいくと親父は、関ヶ原合戦での大遅刻、大坂の陣では窮鼠と化した豊臣方に総本陣を突かれて、あやうく討ち取られそうになったりと、軍事面では見るべき功績はない。
なのに、家康は親父を後継者から外そうとはしなかった。
それは、なぜか?
親父に、他の兄弟たちにはない才能 ―― 創業より難しいといわれる守成のリーダーとしてふさわしかったからではないか?
わが子でも、国のためにならないと判断したら、あっさり切り捨てることができる非情さ(異母弟・幸松は父親に一度も会ったことがない)、長年忠実に仕えてくれた家臣さえ躊躇なく処分する峻厳さ(大久保忠隣の改易)、そういう気質が家康に評価され、二代将軍となったのではないか。
その証拠に、兄貴を『暗愚』と吐き捨てた時の、あの容赦ない口調。
そして、姉たちのあまり幸せではない結婚生活。
徳川秀忠は、優しい父親ではあるが、それはプライベートな場においてのみ。
公人としての秀忠は、冷徹な政治家だ。
―― だとしたら、秀忠に合格点がもらえる回答は? ――
「わたしは……上さまの御意のままにいたすべきかと」
「ほぅ、徳川の覇業に資した左衛門大夫を見捨てると申すか?」
秀麗な顔に浮かぶ謎めいた笑み。
「見捨てるわけではありません。ご公儀が定めた法度は、すべての大名に等しく示されております。にもかかわらず、左衛門大夫が法度を遵守しなければ、それはかの者の不心得によるもの。こちらが先回りして導いてやったり、しりぬぐいをしてやる義理はないでしょう」
「そなたは意外に冷たいのう」
はじけるように哄笑する武家の棟梁。
よかった。正解だったようだ。
「どうだ、上野介、武蔵はそなたとは異なる意見のようだぞ?」
愉悦に満ちた視線を向けられたのは、下野国小山藩主・本多正純。
「……若年ながら、その慧眼、まさに上さまゆずりにございますな」
最年長老中は、わずかに苦さがにじむ顔で答えた。
たしかあっちの世界では、本多正純は福島の改易に反対したせいで失脚したはず。
だとすると、こっちの世界でも、本多は福島を助けようとして……?
本多正純は、家康存命中は父・正信とともに重用されていたが、ふたりが相次いで亡くなると、徐々に疎んじられていく。
おそらく、本多は、土井ら側近あがりの老中たちと違って、秀忠の意を汲み取るのが不得手なのだろう。
それに、家康は敵に囲まれた環境に長くいたせいか、ひとたび敵対しても、投降すればそれを許し、できるだけ多くの味方を作ろうとしていたので、家康流に慣れた正純は、福島を切ることにためらいがあるのかもしれない。
だが、時代は変わった。
豊臣亡き今、もはや正面きって徳川に反抗できる勢力はなく、いくら福島が影響力の強い男だとしても、諸将を糾合するほどの求心力はない。
反対に、福島正則の改易は大名統制上、大きな意味を持つ。
そして、徳川の下で生き残るためには、細川のように細心の注意を払って行動し、まちがっても謀反を疑われるスキなど絶対に見せてはならないと、諸大名の心胆に刷りこむことができるのだ。
それに、福島はこの改易で、命までは取られない。
たしかに、安芸五十万石は没収されるが、信濃越後に四万五千石を与えられ、その地で病死する。
イビられて自害に追いこまれた駿河大納言忠長や徳松に比べると、まだマシな死に方ではないか。
(……毒殺説もないではないが)
だったら、福島には、世界史上まれな長期政権 ――
本多に注がれる冷視に、同僚たちからの援護はなく、気まずい空気が場を支配する。
ややあって、
「武蔵」
沈黙を破ったのは、やはり最上位者。
「もし、そなたが将軍なら、福島の後にだれを据える?」
……こりゃまた、イヤな質問を。
たぶん親父は、福島の後釜に和歌山藩主・浅野
だが、そこまで親父に追従するのもおもしろくない。
(ちょっと意表をついてみるか?)
「わたしなら、長州の毛利を充てます」
「「「毛利を!?」」」
ガキんちょの爆弾発言に、唖然とするオッサンたち。
「なにゆえ毛利を?」
身を乗り出して、うながす親父。
「もともと広島は毛利の本拠でしたが、関ヶ原の敗戦で、百十二万石から防長二ヵ国三十万石に落とされました」
これは言うまでもなく、万が一毛利が徳川に叛旗を翻したときに備えて、できるだけ遠い場所に押しこんだのだ。
なので、本州の隅から江戸に近づけるという発想は誰も持っていなかっただろう。
「毛利を広島に移す利点はふたつあります」
「申せ」
「まずは、毛利の潜在兵力をそぎ落とすため。もうひとつは、海路封鎖の不安を解消するとともに、毛利に余計な力をつけさせないためです」
堂々と言いきれば、オッサンたちは当惑した顔を見合わせて押し黙る。
「詳しゅう」
親父から余裕が消えた。
「毛利は関ヶ原後、所領が三分の一以下になったことで、それまで抱えていた家臣団を養うことができなくなり、足軽らに帰農を奨励し、多くの家臣を召し放ちました。
しかし、この者らは百姓になったとはいえ、一朝有事のときは旧主の下にはせ参じることでしょう。
そこで、毛利を広島に移せば、これらの潜在兵力と毛利を切り離すことができます。
なぜならば、転封の際には領民を同伴できませぬゆえ」
「なるほど。だが、毛利が承知するか?」
「承知してもらう必要などありません。命じればよいのです。『不満があるのなら、遠慮なく掛かってこい』と言い添えて」
「これは……」
真顔から一転、クスクス笑いだす。
「武芸が苦手と申すわりには、ずいぶんと勇ましいのう」
「戦にはならぬと思えばこそです」
「なれど、改易となる福島と毛利が手を結べば、いささか厄介なことになろう?」
まぁ、たしかに、ヤケクソになった福島と毛利が組んだら、ヤバいことになるかもね。
「ですから、広島城の受け取り役を毛利に命じるのです。毛利にはその功をもって五万石ほど加増したうえで、父祖の地に帰してやればよいでしょう」
「「「毛利に加増!?」」」
「「「なにをバカな!」」」
大量の非難が飛んでくる。
「バカ? そうでしょうか? 毛利は徳川憎しの一念で新田開発をおこない、当初三十万石だった石高が、今では五十万石ちかくになっているとか。
だとしたら、五万石加増してやっても、実質十万石ちかい減封になるわけで、けっして毛利にとって褒賞とはならないはずです」
関ヶ原後、三十万石に大減封された毛利だが、七年後の検地では三十七万石に高直しされて、これが表高となったが、じつは隠し田などもあり実際は五十万石くらいあるらしい。
しかも、長州は三方を海に囲まれているので、塩田開発などの新規事業で富を積み上げ、幕末ころには百万石ちかい収入を得ていたという説もある。
儲かりビジネスがゴロゴロ転がっていそうな土地から引きはがしておけば、数百年後、おれの子孫が助かるかもしれない。
「それに、毛利にしてみれば、福島ら豊臣恩顧の大名たちが徳川についたせいで、苦渋をなめさせられたのです。もし、左衛門大夫の家臣どもが城の明け渡しを拒んで戦いになったら、積年の恨みを晴らすべく、全力で制圧しにかかるでしょう」
そうなるように、事前に
「ようわかった。では、もうひとつの利点は?」
さすが、親父。
老中連中より理解が早い。
「海路の儀にございますね? いうまでもなく、長門・小倉間にある馬関海峡は羽州・越州および肥州などからの物資を運ぶ船が多数行きかう海上輸送の要所。
万が一、この海峡を封鎖される事態になりますと、上方への物流が遮断されてしまい、ご公儀の荷を奪われる事態も起きかねません。
また、外洋に面した地を領するため、異国船に砲撃でもされたら、異国と戦になる恐れもあります」
実際、幕末には長州藩が下関を通る外国船を攻撃し、せっかく有利な内容で結んだ条約を改悪させられたしな。
「それに、三方を海に囲まれていることで、塩田・海産物などにより、多くの利益を上げることもできます。豊かになれば、それだけ軍資金も増えますので、不安要素は今のうちに潰しておくべきでしょう」
「「「…………」」」
元和五年六月 福島正則は城割の不備を咎められ、改易を言い渡された。
改易後、広島藩五十万石のうち四十万石は隣国から就封した毛利輝元が、残り十万石のうち五万石は紀州和歌山から入部した浅野長晟が、毛利氏の旧領と合わせ表高四十二万石を領し、毛利の東隣には、残る五万石と近隣五万石計十万石で譜代の水野勝成が受領することとなった。
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