第49話 源氏長者
「「…………」」
おれの熱いプレゼンに沈黙する両親。
「上皇さまは、ご自身を『神武より百数代の末孫』と称せられるほど、天孫たるご自分に強烈な誇りをお持ちの御方。
くだんの騒動はその尊貴なお血筋を脅かすもので、徳川はそのことを軽視しすぎておりました。
とはいえ、裁定から八年が経過し、処罰者の中にはすでに故人となっている者もいます。
ならば、あらためて死罪を申しつけるのではなく、そのような極悪人を出した家の責を問うて改易とし、その家禄を新宮家の御料に充当すれば、上皇さまも多少は宸襟を安んじられるのではないでしょうか?」
「だが……烏丸らの勅免を出されたは、御上であらせられるぞ」
親父の言うとおり、今上は父帝が退位するやいなや、烏丸と徳大寺に勅免をあたえ、いま現在も重用している。
それだけではない。
例の『およつ御寮人事件』の四辻与津子は、『猪熊事件』の首謀者として斬首された猪熊教利の実妹。
つまり、あっちの世界の
このころは、一族の中から犯罪者、しかも極刑に処せられた罪人が出たら、連帯責任を問われるのは当たり前。
なのに、その妹を出仕させて、皇子まで産ませる……信じがたいほどの愚行だ。
「いやいや、後水尾は与津子が罪人の妹と知らずに寵愛したのでは?」と思うかもしれないが、公家社会は狭く密なコミュニティ。
内裏に出仕する者の素性をごまかすのは不可能で、与津子の身元を知らずに召し上げたということは、まずありえない。
後世の人間は、
もしほかに男児が生まれなければ、新帝の伯父は死罪になった極悪人ということにもなりかねなかったのだ。
だから、あっちの世界で、秀忠が京都に乗りこんで与津子らを追放したのは、和子の入内ウンヌンのほかにも、「近親にそんな罪人がいる女は排除すべき」という考えもあったのではないか。
そんな背景がありながら、後水尾は『およつ御寮人事件』の処置に猛抗議し、退位を口にして幕府を脅迫した。
「朕が退位したら、入内の話はご破算になるが、
そして、二十年後の寛永六年、『紫衣事件』でヘソを曲げた後水尾は周囲が止めるのも聞かず、突然位を放り出してしまう。
後水尾については、よく「気の強い性格」と評されるが、実際は「気が強い」などというレベルではなく、どちらかというと「性格の悪い男」なのだ。
それを如実に示すのが実父に贈った追号の件だ。
後水尾は父の崩御に際し、わざわざ歴代天皇の中でもワースト1、2を争う暴君『陽成院』の名をもとに加後号を贈った。
じつは、帝(天皇)は生前『後陽成院』『後水尾院』『孝明天皇』などと呼ばれることはない。
この『〇〇〇院(天皇)』は死後につけられる称号=追号(通称)で、加後号というのは、それ以前の帝の追号に『後』の字をつけた称号のこと。
では、その『陽成院』というのはどういう人だったかというと、在位中、宮中で乳兄弟を殺すなどの乱行によって廃位となったいわくつきの帝なのだ。
(――と従来いわれてきたが、最近の研究では、政争による罪の捏造だったという説も)
だから後水尾の行為は、たとえるならば、連日メディアに取り上げられるような凶悪事件を起こして死刑になった犯人と同一の戒名を、あえて自分の父親につけるようなもの。
しかも、追号は死後に息子など他人が選定することもあるが、後水尾自身はちゃっかり生前に自分の追号(もちろんイイ感じの)を決めてから亡くなっている(これを『諡号』という)。
……どう考えても、性根が腐っている。
「たしかに烏丸らの勅免を出されたのは御上ですので、改易の話をお聞きになったら激怒なさるでしょうね」
あのゆがんだ男が、この再審をだまって受け入れるはずがない。
「なにを悠長な。退位されてしまったら、和子の入内そのものがなくなるのだぞ!」
実際、後水尾は『およつ御寮人事件』のときも退位をちらつかせた。
あのときは、「帝なんか辞めてやる! 徳川の姫も要らん!」と騒ぐ帝を、幕府の使者・藤堂高虎が恫喝して、撤回させたらしい。
百戦錬磨の武将に脅され、さすがの性悪も引き下がるしかなかったようだが、たぶん後水尾はもともと徳川から正妃(女御)を迎えることを快く思っておらず、和子の入内が遅れたのを幸い、確信犯的に別の女と子を作ったのではないか?
だったら、そんなやつに遠慮する必要なんかない。
妹が不幸になるのを阻止して、なにが悪い!
「退位ですか。なさりたければ、なさるがいい。
皇統の価値もわからぬような愚かな帝など百害あって一利なし。
そのときは七宮を新帝となし、あらためて和子との縁組を調えればよいのです。
むしろ、十一歳の和子には、二十二歳の御上より、十五歳の七宮のほうがふさわしいでしょう」
『およつ御寮人事件』を未然にふせいでも、今後、今上はほかのことで問題を起こして、
だったら、向こうが退位をちらつかせた瞬間、表舞台から追い落とせばいい。
それには上皇の助力が不可欠。
帝のすげ替えは、上皇が亡くなる前に実行しなければならないのだ。
「……国松……」
あまりの不敬発言に呆然とする親父と、さっきからボロ泣きしつづけるおふくろ。
そんなふたりをマルっと無視して、一気にたたみかける。
「改易する家禄をざっと計算すると、およそ六千六百石ほどになります。
このうち筆頭宮家分を三千として、二千石をもう一家の御料に。
残りの千六百は上皇さまにお預けして、公家の子弟の中の才ある者を取り立てていただくというのはどうでしょう?
もし、御上が退位され、七宮が新帝となられたら、同母弟の十宮さまか、異母弟の第十一皇子・吉宮さま、第十二皇子の
父上には、その方向で上皇さまと折衝してください」
「そこまで考えていたのか?」
「もちろんです。今回宮家を新設するのは、皇統断絶を回避するため、将来に備えて確実に帝のお血筋を残すのが目的。
上皇さまは、おじいさまとは意見が合わないことも多かったそうですが、おじいさまの喪はまもなく明けます。
それを機に、父上が前回の裁定の過誤を認め、宮家新設の話を持ちかければ、徳川に対する心証も好転するはずです。
二代将軍は皇統の重要性を理解していると上皇さまが思しめせば、宮門跡の件も快く了承してくださるでしょう」
なにしろ、宮門跡は宮家新設とセットになっている。
この計画が、『神武より百数代の末孫』を誇らかに名乗る上皇の意に沿わないわけがない。
「しかし、飛鳥井は
親父は冷徹な政治家だと思ったが、由緒ある芸能の家を潰す決断はなかなか下せないようだ。
「たかが蹴鞠と皇統への侵害。どちらが優先されるかは論を
それに、死罪にするわけではないのですから、秘伝の芸能は他家に伝授すればすみます」
飛鳥井は嫌がるだろうが、伝授の対価を払えばなんとかなるだろう。
なんせ家禄が没収されるんだから、少しでも金になるなら、相伝の技を売って食つなぐしかない。
「わが子ながら……どうしてここまで……」
「天海や崇伝など、良き師に恵まれたおかげです」
引きつる親父にニッコリ笑いかける。
(本当は崇伝に、あっちの世界とこっちの世界が同じかどうか確認しただけなんだどねー)
元和三年五月上旬
徳川秀忠は、五女・和子の入内時期交渉のため、単身上洛した。
和子は先帝の第三皇子・
子のなかった新院の後継には、同母の第七皇子・
政仁の退位により、和子の入内はいったん白紙となったが、ほどなく新帝・好仁との縁組が調い、三年後の元和六年六月、無事入内を果たした。
今回の代替わりにより『本院』と呼ばれるようになった上皇(諱は
本院は、徳川側から申し入れのあった宮門跡新設についても理解を示し、自身の第十皇子・
その際、清宮は生後まもないことから、生母である土佐局もともに江戸に下り、秀忠の正室・江の助けを借りて四人の子育てに奮闘した。
そして、政仁退位に際し、八年前の醜聞にかかわった公家十二家が改易となり、蹴鞠の家元は飛鳥井家から、
改易になった家禄の三分の一ちかくの裁量を任された本院は、公家子弟の中から抜擢した十名の若者に新しい家を興させ、取り潰された家の家業を引き継がせた。
さらに本院は、家康没後空席となっていた『
開闢したばかりの徳川政権を陰に陽に支えた本院は、元和九年、秀忠の嫡男・家光の将軍就任を見届けた一カ月後、崩御。聖寿五十三。
追号は、祖父『正親町院』の加後号『
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