第48話 再審請求


「なに? 皇子だけでなく財源もだと!?」


 息子の自信満々な態度がよほど意外だったのか、親父が強い口調で聞き返す。


「はい、なんとかなると思います。ところで、和子が入内する際には、父上と母上も上洛なさいますよね?」


「むろん、ともに上洛するが……」


「ええ、和子も不安でしょうから、落ち着くまで見とどけるつもりです」


 和子の入内は、徳川にとっての最重要イベント。

 おふくろは、千姉ちゃんが秀頼に嫁ぐときもずっと付き添っていたので、今回はさらに完璧なバックアップ体制を取るはずだ。


「でしたら、父上は上皇さまに拝謁していただき、七宮さま下向の内諾を得た後に、御上より宮門跡創建の勅許をいただいてください。母上は九條さまにこの儀についての朝廷内への調整依頼をお願いいたします」


 九條家には異父姉の豊臣完子さだこが嫁いでおり、その夫・幸家は四年前まで関白をしていたので、現在も朝廷内に大きな影響力を持っている。

 

「それはよいが、どうして内密になのだ?」 


「大事な皇子をお預かりする条件として提示する内容を、御上には知られたくないからです」


「条件?」


「そうです。七宮さまのお父君であられる上皇さまに、あることを内々に奏上していただきたいのです。それは――――」


 親父の探るようなするどい視線に対し、不敵な笑みをうかべる。


(確実に歴史の流れを変えるこの提案……さて、吉と出るか、凶と出るか……)


「皇子がたを徳川にお預けいただく見返りとして、八年前の、猪熊教利いのくまのりとしの一件で罰せられた者どもの家を改易に処すと約束するのです」


「「な、なんとっ!?」」


 驚愕する大人たちを観察しながら、おれはプレゼン要項を脳内で再確認する。



 猪熊教利の一件というのは、慶長十四年に起きた公家八人、女官五人が不義密通&乱交を重ねた宮中スキャンダル事件のこと。


 事件名に冠された猪熊は、『天下無双』といわれたほどのイケメンで、光源氏や在原業平にたとえられる一方、人妻でも女官でもおかまいなしに手を出し、『公家衆乱行随一』という悪評がつきまとう下半身的にヤバいやつだった。


 そんな爛れた性活をつづけていた猪熊ヤリ●ン野郎は、慶長十二年、女官との密通がバレて、時の帝――現在の上皇から勅勘をこうむり、都から追放されたものの、いつのまにかコッソリ舞い戻り、今度は複数の不良仲間といっしょに、しょうこりもなく女官らとの乱交を再開したが、ある女官からの密告でその所業が帝の知るところとなってしまった。


 ところで、女官とは広義では『後宮内裏に仕える女性官吏』のことだが、中には帝の侍妾側室を兼ねている者もいて、実際この事件では、帝が寵愛していた典侍(広橋局)も乱交にくわわっていた。

 ――ようするに、帝は愛妾を臣下に寝取られたわけだ。


 当然帝はブチ切れて、事後処理にあたっていた幕府に、当事者全員の死罪を要求したが、上は正三位から下は正五位までの高位公家がかかわっていたことや、国母(帝の生母:新上東門院)が寛大な処置をもとめたことなどから、結局、一番身分の低かった猪熊と仲介役をつとめた歯科医・兼安頼継だけが斬首に処せられ、公卿五名女官五名は配流、参議・烏丸光広と右近衛少将・徳大寺実久にいたっては蟄居処分にとどまった。


 帝はこのヌルい処置に激怒し、「もうヤダ……こんな仕事、辞めたい……」と、厭世的になり、ますます譲位の意志を固めてしまったのだ。


「先ほどわたしは、『いまの上皇さまは、事がご自分の思いどおりに進まぬたびに退位を口にされていた』『無理難題を押し通そうとする御方にはお望みどおり退いていただくほうがよい』と申しあげましたが、この件については、そのご叡慮は至極もっとも。あのときの徳川の裁定はまちがっておりました」


「まちがっていただと?」


 親父の全身からブリザードが吹きはじめる。


「あれは、亡き父上と京都所司代が、検討を重ねた末に出した裁定。上皇さまの望まれたとおり全員を極刑に処せば、朝廷内は混乱し、収拾がつかなくなったはずだ!」


「そうは言っても、烏丸や徳大寺はたった一年半で許され、難波も二年後には勅免を得て帰京し、生家の飛鳥井家を相続したではありませんか!」


 配流になった公家のうち、二名は配流先で没したが、伊豆に流されていた左近衛少将・難波宗勝は慶長十七年に赦免され、流刑にすらならなかった烏丸と徳大寺は一年半後にはもとの官職に復している。

 

「よくお考えください。帝が世人に敬われているのはなにゆえですか?

 他者を圧倒する武力でしょうか? 

 それとも、ありあまる財力? 

 卓絶した統治力によってですか?

 かつての帝室はいずれもお持ちだったかもしれませんが、いまはそのような御力は一切持っておられません。

 にもかかわらず、みなはいまでも帝室を畏れ敬いつづけています。

 それは、神代からつづくその尊貴なお血筋に、みな敬意を払っているのです。

 そして、公家たちはその藩屏。

 かの一件では、帝の胤ではない子どもが――本来そのお血筋をお守りすべき廷臣らの不義の子が、気づかぬうちに皇統を乗っ取っていた可能性があるのです! 

 現在、上皇さまには多くの皇子がおられますが、もし悪しき病が流行り、ほかの皇子がたがすべて亡くなられ、その偽皇子のみが残っていたらどうなっていたでしょう?

 ですから、烏丸らのおこないは、未必の故意による皇位簒奪。万死に値する重罪なのです!」

 

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