第47話 世襲親王家
「わたしが申しあげるまでもなく、父上にはもうわかっておいでなのでしょう?」
そう言ってジト目で見上げると、親父は意地悪そうに口角を上げた。
「いやいや、わしには皆目見当もつかぬゆえ、ぜひ教えてくれ」
しらじらしいぞ、この腹黒オヤジが!
「……江戸に帝位継承可能な皇子を置くことで、万が一、御上が和子を疎んじられたり、
「ほほぅ、帝位を剥奪するとでも言って脅すか?」
「脅すなど……そんな不敬な……」
相手はいちおう至尊の存在なので、とりあえず否定しておく。
「しかしながら、いまの上皇さまや百年ほど前の後土御門院は、事がご自分の思いどおりに進まぬたびに退位を口にされていたと聞きました。
ならば、無理難題を押し通そうとする御方にはお望みどおり退いていただき、道理のわかる御方に代わっていただくほうが、政が滞る事態も避けられます」
帝が自分の主張を通すために退位をちらつかせて武家政権に譲歩をもとめるという交渉術は、固有の軍事力を持たない帝の数少ない抵抗手段だ。
とくに
だから、スペアの皇子を常時江戸に置いておけば、帝がそれを行使してきた際は、「やめたい? どうぞどうぞ!」と、いつでもやさしく背中を押してあげられる。
ただ、今上への対抗策として新設したばかりの宮門跡を利用するには、ひとつ問題が……。
「だが、それでは先ほどそなたが申していた幼少の皇子を二十年かけて徳川の色に染めるという遠謀は不可となるではないか」
やはり親父もその点が気になるようだ。
「はい、幼帝を立てるとなれば、輔弼には摂関家の者がつくことになりますので、いままでと変わらぬ朝廷運営がつづくでしょう。ですから、初代門跡だけは元服の済んでいる皇子の中から選ばなければなりません」
「では、どうする?」
「そうですね、五年前に親王宣下を受けられた七宮さまを当ててはどうでしょうか?」
「なにゆえ七宮なのだ? 七宮と同い年の八宮ならば、すでに二年前に、徳川の猶子となられておるぞ?」
「七宮さまは御上の同母弟で、母君の女御さまは故太政大臣・近衛
さらに、現在、八宮さまは知恩院に入寺なさっておられますが、知恩院は浄土宗総本山。
一方、七宮さまは聖護院に入寺なさっておいでで、聖護院は天台寺門宗のひとつ『
「それにしても、皇子がたの入られている寺のことまでよく調べたものだな」
「いえ、たまたまです」と無難に答えたものの、実際はおれは必死で探したのだ、
八宮――
五歳のとき知恩院
徳川家は代々浄土宗門徒で、かつては一族から知恩院門主を出したこともあり(第二十五世:超譽存牛)、知恩院はわが徳川家ととくに縁が深い寺なのだ。
そんな寺の門跡が、すでに徳川の猶子になっているというのに、あえて別の皇子を取りこもうという提案に親父が疑問をいだくのはもっともだが……じつは、この皇子は、のちに問題を起こして配流される人物なのだ。
配流の理由については、寺務上のトラブル説・酒がらみの乱行説・幕府批判説等々諸説あるが、有力なのは僧籍にある身で頻繁に遊郭に通い、それも門跡領としてもらっていた千余石でも足りなくなるくらいドップリ入り浸り、時には宮をめぐって遊女同士が争う――そうした醜聞が都中でウワサになり、京都所司代も介入せざるをえなくなったというもの。
その放蕩の背景には、徳川に対する根深い反発心があったのは確からしい。
そんな危険人物とわかっている者をあえて招聘して、時間と金と労力を使って指導したあげく、あっちの世界と同じようにはっちゃけられたら目も当てられない。
だったら、最初から別の皇子を指名したほうが安心確実だ。
「しかし、七宮は御上の同母弟。いざ徳川と朝廷が対立したときには御上をはばかって、登位を辞退することもありえよう」
さすが親父、いろいろなところによく気がつく。
「ええ、その可能性はじゅうぶんあります。ですから、開基に当たっては、特例として、もうひとり幼少の皇子を次代の門跡候補としてお招きしてはいかがでしょう?」
血筋のいい七宮は、今上への当座の牽制用。
幼少の皇子は、徳川掌中の珠として長い時間をかけて大事に育てていくのだ。
「皇子がお二方となると、宮家はひとつでは足りぬではないか?」
「そうですね、七宮さまが徳川に反抗することなくお過ごしになられたら、筆頭宮家を興していただき、もしわれらに抗するような素ぶりが見えましたら、もとの聖護院にお戻りいただきましょう」
「それはよいが、七宮が無事筆頭宮家に入られたら、もう
「そのときは、別に一家立ててさしあげればよろしいかと。皇統断絶をふせぐためにも、将来に備えて皇嗣を出すことのできる宮家を二、三創っておいてもよいのでは?」
皇位継承者を出せる宮家というのは、後世『世襲親王家』と呼ばれるアレのこと。
こうした皇統のバックアップシステムは、おそらく四十年も経たないうちに必要になるはずで(後光明帝崩御後の継承問題)、このときの反省から、徳川家宣のブレーン・新井白石は新宮家創設を献言し、閑院宮家が創られる。
そして江戸時代後期、皇嗣のないまま崩御してしまった後桃園帝の後を、閑院宮家出身の若宮(
つまり、遅かれ早かれ世襲親王家が創られるなら、いま創っておいても問題はないはずだ。
ちなみに、すでに『伏見宮家』は存在していて、ほかにも天正十七年(1589)にできた八条宮家というものあり、この八条宮家はのちに『桂宮家』となる。
さらに、寛永二年(1625)、あの七宮が高松宮家を興し、それがのちの『有栖川宮家』になる。
ようするに、七宮が家祖となる宮家はあっちの世界にも存在するので、このプランは歴史の流れから大きくかけ離れたものではないというわけだ。
「ふむ……皇統に男子が絶えたときに備え、皇嗣を出せる宮家を用意しておくわけか。そして、その当主は徳川に親しき者を配す、か」
そうそう。
そして可能なら、全宮家の継承条件に『江戸での修行』をつけ、徳川カラーを浸透させられれば完璧なのだが。
「はい。わたしの策は……どうでしょう? やはり、なりませぬか?」
考えこむ親父に、おそるおそるお伺いを立てる。
(自分ではけっこうイイ線いってると思ったんだけど……)
そうはいっても、おれは歴史についての知識はあるが、政治的なことにはあまり自信がない。
あっちの世界とはちょっとずつ違ってきているこの世界で、リアルタイムで起こっている事象のすべてを知る術もなく、もしかするとおれは見当はずれな提案をしているのかもしれない。
黙りこんでしまった親父のせいで、座敷には重い空気が立ちこめる。
「……悪くはない。ただ、同時に皇子をおふたりもお招きすることなどできようか?」
長い沈黙のあと、ようやく発せられた言葉に、おれは思いっきり安堵の息を吐いた。
「それについては、ご懸念にはおよびません!」
親父が引っかかっていたのがそこだけなら、こっちにはすでに解法がある!
「あわせて、宮家創設の財源についても目算があります!」
よし! これならだいじょうぶだろう!
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