第46話 秘策


「わたしが父上に奏上したかったのは、江戸に新たな宮門跡みやもんぜきを開基してはどうかということです」


『宮門跡』とは、男子皇族だけが住職になれる寺格の高い寺のことで、現在十二寺――京に十一、近江に一寺――すべて京都周辺にある。


「宮門跡? それが、和子の入内にどう関わるのだ?」 


「門跡寺院創建は、和子が宮中で粗略に扱われぬよう御上を牽制するためであると同時に、不測の事態に対する備えです」


「牽制……不測の事態……?」


 この献言は、さすがの親父もまったくの想定外だったようで、当惑するその姿に心の中で思わずガッツポーズを作る。


「どういうことだ?」


「まず、不測の事態に対する備えというのは、もし京におわす帝がいずこかの大名の手に落ちれば、徳川は朝敵の汚名を着せられてしまいます。

 それを防ぐには、この江戸に正統に近い皇子をつねに置いておき、いざというときは敵方が擁立する帝を廃して、江府の宮門跡を新帝として立てれば、徳川が賊軍にならずにすみます」


「なるほど」


「……なんと、その歳でそこまで……」


 能面の親父とは対照的に、おふくろは感激マックスの様相でウルウルする。


「いえ、これは天海らの講話から想を得ただけ。父上がそうした学びの場をもうけてくださったおかげです」


 称賛するおふくろをやんわり制し、さりげなく親父をヨイショする。


 なにせ、おふくろが言うように、この提言は十二、三のガキが口にするには不自然すぎる内容。

 だから、「元ネタはあの天海サマですよ~。おれはそれをアレンジしただけですよ~」を前面に出して、なるべく怪しまれないようにしておかないと、あとあと面倒なことになる。


「ところで宮門跡といえば、天台宗か真言宗のいずれかですが、わたしは天台宗寺院にするべきだと考えます」


「なにゆえに?」


 完全に為政者形態に変わった親父が冷ややかに問いただす。


「なぜならば、このたびおじいさまが天台宗の神道(山王一実神道)により『権現』の神号をいただくことになったからです」


 去年四月に亡くなった家康は、その遺命により駿河久能山に神式(吉田神道)で埋葬され、一周忌後日光山に分霊するにあたり、天台宗僧・天海の進言で『東照大権現』という神さまになった。


「そこで、この江戸に門跡寺院を創建して、徳川の新たな祈願寺とすると同時に、日光山および近江の叡山を管轄する天台宗総本山と位置づけてはどうでしょうか?

 場所は上野山でしたら、ちょうど千代田の御城の北東方向にあたりますので鬼門封じにもなります」


 祈願寺というのは、先祖の供養をおこなう菩提寺とは別に、一族の繁栄や現世利益を祈祷するための寺で、祈祷寺ともいう。

 徳川家の場合、菩提寺は浄土宗の増上寺だが、祈願寺は天台宗の浅草寺になっている。

 もともとの祈願寺が同じ天台宗なら、開基する寺にその機能を移すのもスムーズにいくはずだ。


 ……と油断していたら、


「鬼門?」


 ずっと身を乗り出して聞いていた親父が、おれが「鬼門」と口にした瞬間、白けたように身を引いた。


 親父は迷信めいた話はまったく信じないタイプで、ある家臣から鬼門について進言されたとき、

「わしの屋敷地は、この日ノ本全土。よって、家相など関係ない」と笑い飛ばしたとか。

 だから、古臭い風水ネタを持ち出されて、興が冷めたのだろう。


 だが、ここで話をあっさり打ち切られるわけにはいかない!


「鬼門というのは、あくまでも方便。わたしとて、鬼門だの四神相応だのを信じているわけではありません。

 ただ、こう申せば、江戸に門跡寺院を創る理由づけになると思ったのです。

 江戸に皇子を連れてくる真の意図を隠すためには、迷信深い都人が一番納得できる口実が必要なのではないでしょうか?」


 ちなみに鬼門というのは、風水で厄災が入ってくると信じられている北東方向のことで、表鬼門ともいう。

 近江の比叡山延暦寺は、京の大内裏から見て北東にあり、悪しきものが都に入るのを防ぐ役割を担っているらしい。

 


「ふむ、たしかにそれなら公家どもを説得できるかもしれぬな。正統に近い皇子と申すなら、上皇さまの御子か?」


「はい。上皇さまには御上のほかに数多の皇子がおられますが、摂家に養子入りされたお二方以外は、慣例により、ほとんど出家なさっておられます」


 上皇後陽成院は、生涯に皇子十三人、皇女十二人をもうけるが、その多くは僧籍に入る。


 鎌倉時代以降、皇室・公家などでは、経済的理由から継嗣以外の男子を出家させることが慣行となっている。

 これは、医療技術が未発達な時代に、血統を残すためになるべく多くの子を作る必要がある一方、子どもたちが運よく生き延びてしまった場合、その子たちに分けてやるだけの資産がないからだ。

 なにしろ、出家させれば生涯不犯の戒律があるので子は作れず、扶養家族が増えることもない。

 そして、家督を継いだ子が万が一早世してしまったら、還俗させて、新たな後継者とすればいい。

 寺院は、後継者をストックしておくのに最適なバックヤードなのだ。


「そのような貴種を、都から遠く離れた江戸に招くのは容易ではないぞ?」


「そうですね。なにも見返りがなければ、東夷が住む僻遠の地に大事な皇子を差し出すとはおっしゃいますまい。でも、その犠牲に見合う利があればどうでしょう?」


 不信感をあらわにする親父に、わざとらしくニッコリほほえみかける。


「利とな?」


「ええ。たとえば二十年間江戸で門跡を務めれば、かならず還俗できるうえに、御料三千石ほどの筆頭宮家当主になれるとすれば?」


「筆頭宮家?」


「はい、宮門跡と新宮家創設を抱き合わせで提案するのです」


「そうは言うが、還俗すれば子もできよう。となれば、結局、次代は都で育つことになるのではないか?」


 親父は、ガキ相手に容赦なく突っこんでくる。


 無理もない。

 開闢まもない徳川幕府は、『禁中並公家諸法度』を発布し、懸命に帝や朝廷の力を削ごうとしている真っ最中だ。

 なのに、三千石もの経済力を持つ宮家を新設するというプランは、その方針に逆行するものなのだから。

 

「ですから、宮家の後継者になるためには、かならず江戸で二十年の修行をしなければならないと定めればよいのです。

 たとえ京で生まれても、幼いころに江戸に下向していただいて、その間、折に触れてわれらと親しく交われば、自然と徳川に対する友愛の気持ちも湧きましょう。

 また、宮家の御子でも、素行に問題があればすみやかにお帰りいただき、別の皇子をお迎えすることにしてはいかがでしょうか?」


 たしか、江戸時代初期の禁裏御料は一万石くらいだったはずだ。

 その三分の一相当の高い家禄を無条件で与えるわけにはいかない。


 おれたち徳川政権は、徳川に従順な皇子しか要らないのだ。


「つまり……二十年かけて徳川の恩を教えこむということか?」


「まさか。教えこむなどと人聞きの悪い。二十年かけて徳川と帝室との親和が国の静謐のためだと、よーくのです」

 

「…………くっ」


 親父の肩が大きくゆれた。


「はっはっはっは、子どものくせにずいぶんと悪辣な」


 目じりの涙をぬぐいながら笑いつづける親父の横で、おふくろは憂いに満ちたまなざしでおれを見つめる。


「これほど優れた子が、将軍になれぬとは……無体な……」


「これは、当代一の学僧たちから学んだことをもとに着想したにすぎません。兄上やほかの近習らも同じ講義を受けていますので、いずれは同様の構想を思いついたでしょう」


 ヤバそうな雰囲気をかもし出しはじめるおふくろをいなしつつ、すかさず予防線を張る。


 せっかく後継者レースから――粛清ルートから離脱したのに、またそっちに引き戻されたらたまらない。

 今回のプレゼンは、おれが殺すには惜しい人材だと周知させて、安心・安全・安定――『3密』ならぬ『3安』な地位を築くための第一歩なのだ。 


 それに、これはあっちの世界の『寛永寺』のコンセプトに世襲宮家を結合させただけ。

 未来知識を使って、とりあえずそれらしくでっち上げたのだが……。



「では、国松、門跡寺院創建のもうひとつの目的、宮門跡が御上を牽制する手だてとなるという話をしてもらおうか?」



 親父のきびしい審問はまだ終わらない。

 

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