第45話 団欒


 親父とともに仏間を出たおれは、前を進む大きな背中を見上げながら、ゆるみそうになる表情筋を必死に引きしめた。


 じつは今日、ある提案をおふくろ経由で親父に上申しようと思っていたのだが、親父が同席してくれるなら好都合。幸先のいい出だしに、心が浮きたつ。



「まぁ、上さまもごいっしょでしたか」


 きらびやかな打掛をまとっておれたちを出迎えた将軍御台所は、おれの同行者を見て、さらにテンションを上げた。


 今年数え年四十五のおふくろは、子どもを八人も産んだとは思えないくらい華奢な体で、身長も十二歳のおれとほとんど同じくらい小っちゃい。

 

 上座に親父が座り、その右斜め前におれ、おふくろはその対面に着座する。


 ほどなく、おれの前には安倍川餅と汁物が、親父には茶と菓子が供される。


「それにしても、そなたはずいぶんと徳松になつかれているようだな」


 お高そうな茶碗から一口喫した親父は、おもむろに話を振ってきた。


「なつく?」

 

 話が見えないおふくろに、親父が事情を説明する。


「そうですか、上総介殿の御子が」


 上総介というのは忠輝のことだ。


「ああ、茶阿が嫉妬で怒り狂うほど好かれているそうだ」


「でも、ここのところ、ちょっと手を焼いておりまして……」


 一歳八ヶ月になった徳松は、オムツも取れて、ますますおしゃべりが上手になり、近ごろはおれを「くーまちゅ国松」と呼ぶまでに進化している。


 やつは、自分とおれの名前に同じ『松』の字が入っているのがたいそうお気に召したらしく、だれかれかまわず捕まえては、「とーまちゅ、ごじゃます」と自己紹介するのがマイブームになっている。


 これについては、何度も、

「『とーまちゅ』じゃない。『   』だ! おまえは青い人面機関車か!?」と修正をこころみているのだが、

「とーまちゅっ!」と、(だから、さっきからそう言ってんだろ!)な態度で言い返してくる。


 ほかにも、以前はおれが城から帰ると、式台で奇妙なダンスをして帰宅したよろこびを全身で表現してくれたのに、最近は出迎えこそしてくれるものの、おれと目が合うなり、プイっと顔をそむけて逃げていってしまう。

 そのくせ、相かわらずおれのことを座椅子がわりにして、ふんぞり返っているのだ。

 ……反抗期なのだろうか?


「子どもの成長というのはうれしい反面、一抹の寂しさがありますね」


「ははははは」

「ほほほほほ」


 深々と嘆息すると、ふたりは同時に吹きだした。


「そなたとて、まだ子どもではないか」


「と、徳松とは九つも歳が離れておりますので……」


 しまった、うっかり二十四歳目線になっていた。


ゆえ、弟のような徳松殿がかわいいのですね」


「……はい」


 さりげなく発せられた言葉に、思わず顔が引きつる。

 こんなきわどい話題も、能面でスルーできる親父の鋼の神経がうらやましい。


「……妹といえば、母上、和子かずこの入内の支度は順調なのですか?」


 あまりの気まずさに、強引に話題を変えてみる。


 一歳下の妹・和子の入内宣旨は、慶長十九年に出されたが、二度の大坂の役と、去年亡くなった家康の服喪により延期となり、いまだに日程が決まっていない。


 その刹那、


「和子の入内がどうした?」


 やさしいマイホームパパの顔から、一気に為政者のそれになる親父。


「そ、その……私見ですが、和子の入内はおじいさまの喪が明けしだい、できるかぎりすみやかにおこなったほうがよいのではと思いまして……」


「ほぅ? なにゆえに?」


 親父の冷厳な眼光に、本能的な恐怖が背筋を駆けあがる。


「上さま?」


 おふくろは、豹変した夫におびえたようなまなざしをむける。


「な、なぜならば、はばかり多いことながら、もし御上のご縁者のどなたかがお隠れになられますと、入内が再度日延べとなってしまうからです」


「たしかにな」


「しかし、御上は今年二十二歳。これ以上入内が遅れますと、ほかの女子とのあいだに一の宮第一皇子が生まれてしまうこともありえます。そうなれば、いささか面倒なことになりはしませんか?」


 じつは、この話にはそれなりに根拠がある。


 ―― あっちの世界では、元和三年八月、上皇(追号:後陽成院)が崩御した。

  

 その服喪のため、和子の入内は再度延期になり、そうこうしているうちに、今上は別の女性とのあいだに一男一女をもうけてしまうのだ。


 とはいえ、帝に複数の側妃(典侍)がいるのはふつうだし、正妃を迎える前に子を作ることもよくあることだ。 


 しかし、今回の婚姻は、この国の実質的支配者・徳川将軍家とのロイヤルウェディング。

 帝のふるまいは、絶対王者・秀忠の顔に泥を塗るもので、幕府は朝廷に圧力をかけて、相手の典侍・四辻与津子はじめ帝の側近ら六人を処罰 ―― 後世『およつ御寮人事件』と呼ばれる事件に発展するのだ。


 その四辻与津子が帝のもとに出仕するのは元和四年ごろ。

 つまり、上皇が亡くなる前に和子が入内してしまえば、この事件は起きないかもしれないのだ。

 なぜなら、徳川の姫が後宮の最高位・女御として君臨することで、帝や典侍たちにプレッシャーを与えることができるからだ。



「……なるほど」


 親父は、おれに照射していた視線を外して、虚空を見すえた。 


「上皇さまの母君もいまだご健在ではあるし、その懸念はもっともだ」


(いえいえ、その上皇さま本人がポックリ逝きそうなんですよ)とは口が裂けても言えない。


「もともと御上も朝廷も、成り上がりものの武家から女御を迎えることを快く思ってはおらぬはず。

 そのうえ、万が一、寵愛する典侍や皇子たちを内裏から追放する事態にでもなったら、和子に対する嫌悪は相当なものになりましょう。

 生まれ育った江戸から遠く離れた京の地で、身内も傍におらぬ内裏で、顔を合わせる前から生涯の伴侶となるお方から憎まれて、一生暮らさなければならないとしたら……それでは和子があまりにもかわいそうではありませんか。

 そのような目に遭わせぬためには、まだ御子が誕生していないうちに一刻も早く入内させるべきだと考えたのです」

 

「……国松……」


 おふくろは感極まったように絶句し、


「まだ十二だというのに、妹の行く末まで案じて……」


 ハラハラとこぼれる涙を、豪奢な衣でぬぐった。


 親父は、そんなおふくろとは対照的に、


「ほかにも腹案がありそうだな?」

  

「あります」


「申してみよ」


 値踏みするような目で先をうながす。



 ここはおれという人間の価値を示す場。

 そして、これまでの感触は決して悪くはない。

 あと一息だ!


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