第43話 ノブレス・オブリージュ


 ふたりが帰ったあとも、おれはその場を動けなかった。


 なぜなら仁右衛門に、あの溺死未遂事件の動機について聞かされたからだ。


『父は、幸松さまが国千代さまに対してよそよそしい態度をお取りになっているのが、ずっと気になっていたそうなのです』


 ようするにジジイは、幸松が、異母とはいえ実の兄弟同士なのに過剰にへりくだったり、妙に大人びた言動を取ることにムカついていたのだ。


 そこで、「ちょっとしたトラブルを起こしたら素の感情が出るのでは?」と思いつき、おれを川にたたきこんだらしい。

(あれがだと!? こっちは危うく死にかけたんだぞ!)



 案の定、幸松は溺れるおれを見て錯乱し、無謀にも救助のために飛びこもうとして大人たちに羽交いじめにされたり、おれが引き上げられると号泣しながら抱きつくなど、いままで見せなかった一面をさらけ出した。

 クソジジイは想定どおりの結果に満足し、帰宅後そのことをクドクドと自慢しまくって、家族をウンザリさせたとか。


 そういえば、幸松は……あのとき初めておれを「兄」と呼んでくれたんだ。


 あのガサツな因業ジジイに、そんな繊細な情があったとは。


「又一め、変なところに気を回しやがって…………らしくねぇ」


 罵倒は、いつしか嗚咽に変わっていた。

 おれは暗くなりはじめた座敷で、三途の川のかなたにいる師を想い、ひとり肩をふるわせつづけた。



「くー!」


 感傷タイムを破ったのは、舌足らずな歓呼の声。

 某メーカーの清涼飲料水もどきの略称でおれを呼びながら、騒々しく侵入してきたのは……、


「……徳松……」


 自宅待機ステイホーム命令によっておれが屋敷にこもりきりになると、お竹はガキどもをちょくちょくおれのところに放牧するようになり、とくに食事の支度で忙しい夕時は、ほぼ毎日保育士あつかいしてくる。

 そのせいか、チビどもは当たり前のようにおれの部屋に入ってくるのだが、中でも徳松はおれの膝の上に座る権利をめぐって、柳生兄弟と日々はげしいバトルを繰りひろげている。


 ちなみに、左門と又十郎は夕飯まで柳生道場でみっちりシゴかれているので、この時間は徳松の独擅場なのだ。


 オムツ着用者特有のガニ股で駆け寄ってきた徳松は、おれを見るなりフリーズした。

 満面の笑みを浮かべていた顔は、目と口が極限まで開ききり、ムンクの『叫び』状態に。

 はじめて見るおれの泣き顔に、パニくっているらしい。


「く……ぅ?」


 ハァハァと怪しく呼気を荒げながらにじり寄る徳松は、「ソーシャルディスタンス? なに? ソレおいしいの?」な超至近距離まで迫り、

 

「……たいたい?」


 なぜか涙目で、おそるおそるたずねてきた。


「いや、どこも痛くない」


 徳松は年の割には言葉が早い。

 前世で、「保育園や、大家族の中で育っていると言葉の発達が早い」と聞いたことがあるので、家人子ども合わせて百人の大所帯のわが家で相当スキルアップしているのだろう。


「チッチ?」


「バカ……漏らすわけないだろ」


 トイレトレーニング中のおまえといっしょにするな。


「まんま?」


「夕餉前だから、腹はちょっと減ってるな」


 ヨダレまみれのしかつめ顔で、人の心配をする赤ん坊に思わず吹き出してしまう。


 おれが笑うと、徳松はズルズルと膝から降りていき、ふと気づいたように自分の右手に視線を落とした。

 そこには、粘性の液体でくまなくコーティングされたなにかが握られている。


 大事そうに握りしめたソレを、しばし名残惜しそうに見つめた徳松は、


「あい!」


 意を決したように差し出した。

 

「なんだ? ああ……干し柿か」


 謎の物体は、四分の一くらいに切られた干し柿だった。


「さっき茶請けで出したやつか?」


 自宅待機命令が下って以降、おれのところにはおふくろから数日置きにカステラや羊羹、金平糖・有平糖などが届くようになり、干し柿もその差し入れのひとつ。


 この時代、砂糖は高価な輸入品で、下々のガキんちょどもが甘い菓子を口にする機会はほとんどない。

 将軍御台所から下賜された見舞い品は、盗み食い防止のため、お竹が厳重に管理し、カステラなど消費期限があるものは、小さく切ってみんなで一口ずつ味わい、金平糖や干し柿など日持ちのするものは一度に食べずに、来客時に出したり、特別な日用にとってある。


 たぶんこの干し柿は、手つかずで下げられた茶請けを、年少のチビたちをおとなしくさせるために分割して配ったものなのだろう。


 そんな貴重な甘味を、徳松はおれにくれるという。


「いや、それはおまえが食え」


 ヨダレでテカテカに光る物体は、すでに端のほうにかじった跡が……。

 気持ちはとてもうれしいが、口に入れたいとは一ミリも思えないヤバいシロモノだ。


「ん!」


 なおも突き出してくるブツを、小さい手ごと包んで、大きく首を振る。


    食え!」


「ないない?」


「うん、おれは要らない」


 それを聞いた徳松は、すこしためらったあと、ちゃっかりおれの膝に座ってモグモグしはじめた。


「おまえはやさしいな」


 夢中で干し柿にかじりつく坊主を後ろからギュッと抱きしめる。



 徳松の父・忠輝は、『剣術絶倫』といわれるほど武芸にすぐれ、また、茶道・絵画などにも造詣が深い文化人でもある。


 その一方、気性がはげしくて、粗暴なふるまいも多く、忠輝の乱行に耐えかねた家老たちが主君の不行状を家康に訴えたこともある。

 そんな騒動や諫言によっても忠輝の不行跡は治まらず、今年七月改易になってしまったが、あっちの世界と同じなら、叔父は配流先で悠々自適の生活を送り、九十二歳まで生きるはずだ。


 また、おれの従兄で義兄でもある松平忠直は、自身の正室でおれの実姉・勝姫への殺人未遂(代わりに侍女二名が殺された)等の乱行により、隠居後、豊後国に流され、そこで三十年近く生きながらえる。


 なにが言いたいかというと、たとえ不行状で改易になっても、家康の子孫なら、ふつうは命までは取られないのだ。


 それどころか、忠輝は改易後、「オレは悪くない! こんな屈辱に遭うくらいなら殺してくれ!」とみずから死罪をもとめたにもかかわらず、天寿を全うした。


 しかし、徳川忠長も徳松も、自害を選ばざるをえない状況に追いこまれた――家光の近臣・三浦(阿部)重次によって。


 あっちの世界の徳松がどういうやつだったかは、あまりにも資料がなさすぎてよくわからない。

 ただ、十八歳で自死した忠輝の息子は『徳松』という名で記録されている。


 武士の子で十八なら、とっくに元服しているはずで、元服していれば真名――諱をもっている。

 それが書かれていないということは、元服すらさせてもらえなかった可能性が高い。

 武士の子、しかも徳川家康――武家の棟梁の孫でありながら、元服の儀式もおこなわれずに放置されていたとしたら、どれほどの屈辱か……。

 それ以外のことでもひどい扱いを受けていたであろうことは、容易に推察できる。


 

 例の金肥の件で、おれは兄貴の近習たちとよしみをむすぶのはムリだと悟った。


 そして、先刻は又一の訃報を受けて、うっかり『貴族のノブレス・義務オブリージュ』 的志向に傾きかけた。

  

 だが、感傷に流されて変にはっちゃけた結果、政争に巻きこまれて破滅してしまったら、徳松たちにも累を及ぼす。 

 そうなったら、あっちの徳松と同じ境遇に落とされるかもしれない。

 このやさしい徳松が、抗議の焼身自殺を図ったあの青年のような運命に。


 だとしたら、おれは全力で抗うしかない。

 自分のためにも、幼い従弟のためにも、おれが拾った孤児たちのためにも。


 ただでさえ将軍に近い血族は仮想敵とみなされ、つねに排除される危険と隣り合わせだ。


 おれは、かんたんに消されないような人間にならなければならない。

 幕府にとって有益な人材だと認識させて、幕閣でもうかつに手出しできない足場を築くのだ。

 

 おれの知識を、成立したばかりの政権安定のために使えば、社会貢献にもなるだろう。


 おれは、あんなやつら家光側近に負けるわけにはいかない。

 この松平国千代が、みんなの未来を背負っているのだから。


 

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