第42話 永訣


 欠勤中に発生した千姫事件の影響で、ようやくおれが再出仕できたのは十月も末のことだった。


 なぜなら、例の騒動で津和野藩が改易になってしまったため、おれが坂崎の旧臣に拉致られて交渉材料、あるいは報復対象にされる恐れがあったらしく、親父から自宅待機を言い渡されていたのだ。


 その間、柳生一族はじめ武芸指南のオッサンたちは治安維持部隊として招集されていたので、おれの登城解禁とともに稽古も再開されることになった。


 月も改まった十一月一日。

 今日は又一の槍術稽古日。


 だが、やってきたのは、息子の仁右衛門と一面識もないニイチャンだけ。


(鬼の霍乱かくらんか?)


「又一はどうした?」


 眉をひそめるおれに仁右衛門は、


「国千代さま、これなるはわが兄・小栗政信にございます」


 なぜか問いかけをはぐらかし、いくつか年上らしい同行者を紹介する。


 よく見れば、最後に会ったときよりかなり憔悴した雰囲気の仁右衛門に、胸がざわつきはじめる。


「はじめてお目もじつかまつります。それがしは忠政が嫡男にて小栗政信と申します。このたび、父の葬儀および四十九日法要がつつがなく終わりましたゆえ、本日は亡き父が生前賜りましたご厚情へのお礼言上にまかりこしました」


「……は……?」


 葬儀? 生前? 亡き……?


「……すまぬ、話が……見えぬのだが?」


 首をかしげるおれに、困ったように顔を見合わせる兄弟。


「国千代さま……父は去る九月十二日、身まかりましてございます」


 ふたりの沈痛な表情を見ても、おれの思考はフリーズしたまま。


「又一が………………死んだ?」


「はい。父は昨年の大坂の役で負った鉄砲傷が、ついに快癒いたしませず……」


「偽りを申すな! 又一はずっと頑健だったではないか! 大坂の陣は一年以上前だ。なのに、鉄砲傷で死んだだと!?」 


 おい、仁右衛門、見損なったぞ!

 おまえは、あのクソジジイとはちがって常識人だと思ってたのに!

 なんでそんなタチの悪い冗談を言うんだ!?


 かたくなに認めようとしないおれに、政信と名のった男は、


「傷口がふさがってしばらくは元気だったのです。しかし、年が明けたころより徐々に不調を訴えるようになりまして、最後のひと月はひとりでは厠にも立てぬほどで……」


「鉄砲傷……徐々に……」


 ―― っ!!! ――


 井伊直政の死因にもなった鉛中毒かっ!?


 井伊直政は、関ヶ原の戦いの最終局面で、東軍の中央突破を図った島津勢の前に立ちふさがった。

 そのとき井伊は右腕に銃創を負い、戦から約一年半後、四十一歳の若さで死亡した。


 重金属の鉛が体内に入ると、健康に深刻な影響をもたらすのは言うまでもない。

 鉛を体内に一度に大量に入れると急性中毒におちいり、はげしい症状を起こすので気づきやすい。

 しかし、体内に残った鉛弾が時間をかけて溶け出すような慢性中毒の場合、初期症状は疲労感・便秘・貧血などゆるやかなものなので、気づかぬうちに病が進行してしまうらしい。


 この時代の医術では体内に残った弾丸を摘出するのはむずかしく、大戦が終わった後、一、二年経ってから命を落とす者も多いのだ。


 

「そんなバカな……稽古ではいつもシャキシャキしていたし……あの舟遊びのときだって……」


 呆然とつぶやくおれに、仁右衛門はおだやかな視線を投げかける。


「不思議なことに、父は国千代さまの前では見違えるように元気になるのです。おそらくは気力にて……」


 仁右衛門によれば、又一がはじめておれの屋敷に来たときは、例の伊達政宗謀反のウワサを耳にして、出陣の仔細を江戸城に聞きに行った帰りだったらしい。

 そのころもちょっとずつ弱っていたのに、『出陣』と聞いてシャキーン!と復活し、その後は親父からおれの槍術指南役に任ぜられたことから使命感に燃えて、残っていた体力を総動員して稽古をつけていたんだとか。


「なぜ……なぜそこまでして……?」 


 あの異様なまでの猛特訓は、自分の余命がいくばくもないと知っていたからなのか?

 それなのに、おれは……親父に泣きついて練習時間を……。


(いつかぶっ殺してやる!)と恨んでいたジジイが、知らぬ間に死んでいた。

 本当ならうれしいはずなのに、なぜかあふれる涙が止まらない。


「父は昔、大御所さまに命を救っていただきましたゆえ、その御恩返しをしたかったのでしょう」


「おじいさまに命を?」


「はい、三河一向一揆の折に」


 三河一向一揆は、『三方ヶ原の戦い』『神君伊賀越え』とならぶ家康三大ピンチのひとつで、今川の支配から独立してまもない家康家臣団が真っ二つに分裂し、親兄弟が敵味方に分かれて戦った宗教戦争だ。


 もともと三河は一向宗(浄土真宗)が盛んな土地柄で、家臣の中にも多くの門徒がいた。

 三河武士たちは、主君である家康につくか信仰を取るかの二択を迫られ、半年ほど争った後、なんとか鎮圧に成功した家康は、ようやく故国三河を手中に収めることができたのだ。


 家康に敵対した家臣の中には、名参謀・本多正信や、三方ヶ原で家康の身代わりとなって玉砕した夏目吉信(※ 夏目漱石の先祖)、おれの槍の師匠・渡辺守綱、同じく徳川十六神将のひとり蜂屋貞次などの大物もゴロゴロいた。

 一揆制圧後、家康は改宗を条件に帰参をみとめた。

 

 ところが、一向宗側についた又一は、どう説得しても棄教を拒みつづけた。

 そして、家康じきじきに言い聞かせることとなり、呼び出された又一に家康は、

「なにゆえ改宗に応じない? 改宗せねば、この場で斬り捨てるぞ!」と脅した。


 しかし、又一は、

「たとえ殺されようとも、棄教はいたしませぬ!」と拒否るばかり。 

 

 なんどか押し問答をしたあげく、いい加減かったるくなってきた家康は、

「もうよい。おまえなど手にかける価値もない。どこへなりと行くがいい」と突き放した。


 その刹那、又一はガバッとひれ伏して、

「ただいまから法華宗に改宗いたします!」と、高らかに宣言。


 この豹変ぶりを怪しんだ家康が変心のわけを問いただすと、

「武士たる者が手討ちを恐れて改宗するは恥! なれど、殿はいまそれがしの命をお助けくださいました! その御恩に応えるため、改宗するのです!」



「……なんと面倒な」


 なんだろう?

 すごくいい話のはずなのに、ウザすぎてゲッソリする。


「たしかに、わが父ながら、非常にうっとおしい男でございました」


 おれがポロリとこぼした言葉に、仁右衛門も大きくうなずく。


「三河衆にございますれば」


 政信は苦笑まじりに、そう断じた。


「ガンコで愚直。なれど、ムダに強がるところは嫌いではありませんでしたが」


 三河武士――このころは三河衆と呼ばれた――は、『犬のように忠実』とバカにされるほど、忠誠心が高い脳筋集団。


 考えてみれば、おれの天敵・家康も、子どものころから苦労して、やっと独立したと思ったら、家中がふたつに分裂し、それをどうにか終息させたかと思えば、今度は第六天魔王織田信長の粛清におびえつつ、パシリとしてこき使われる日々。

 その後は、格下の秀吉と対峙しながら着々と足場を固め、秀吉の死後、関ヶ原で辛勝し、ようやく天下取りに王手をかけることができた。

 そんな不遇な主君を全力で支えつづけたのが、忠誠心が大きいがクセも強い三河武士たちだった。


 小栗兄弟はじめ、親父すら知らないことだが、大坂夏の陣を最後に、日本全土が戦場になるような大戦はもう起きない。


 今後二百五十年つづく泰平の世は、又一のような三河武士たちが命がけで築き上げてくれたものなのだ。


「おれは…………」


 このままでいいのだろうか? 

 自分の命を守るためだけに生きていって。


 又一が、ジジイ家康の身代わりになった夏目が、捨て駒だと承知しながら死んでいった伏見城守備隊の鳥居元忠・内藤家長・松平家忠が、窮鼠と化した島津軍の猛攻の前に身を挺した井伊直政・松平忠吉が……そういう男たちの屍の上に成立した徳川幕府。


 おれは、この平和を享受しているだけでいいのか?


 ただ自分ひとりの安寧だけを求めても……。


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