第39話 母子
元和二年七月
リニューアルしたばかりのわが家に、新たな同居人が加わった。
それは若い母子で、母親はお竹、子は徳松という赤ん坊。
先日改易になった叔父・松平忠輝の妻子だ。
ジジイの四十九日法要が終わった一ヶ月後の七月六日、親父は先代の遺命に従い、異母弟・忠輝を改易し、伊勢
家康臨終時、生存していた息子は、三男・秀忠、六男・忠輝、九男・義直、十男・頼宣、十一男・頼房の五人だけだったにもかかわらず、ジジイは忠輝との面会を最期まで拒絶した。
家康は、伊達政宗の謀反騒動を引き起こし、成立まもない徳川政権をゆるがせた忠輝の軽挙を赦すことができなかったのだろう。
改易にともない、子どものいなかった正室・
なにしろ忠輝は、家康の勘気が解けぬまま、兄に処分された罪人。
その一子、しかも男子ともなれば、将来、反乱の旗頭になる恐れもある。
あっちの世界では、親子はしばらく軟禁された後に放免されたものの、忠輝と合流することはゆるされず、岩槻藩主・阿部重次預かりとなる。
ところが、そこでの扱いがかなりひどかったらしく、徳松は十八歳のとき、居宅に火をかけて、抗議の焼身自殺を遂げている。
阿部重次……便所でおれのことをこき下ろしていたあの三浦重次だ。
重次は、鳩ケ谷藩主・阿部正次の次男で、数え年十九。
後継者のいなかった親戚の三浦氏に婿養子として入ったが、のちに養家に男児が生まれ、また実家を継いでいた兄が早世したため、実家にもどり阿部姓に復すことになる。
そしてなにより特筆すべきは、あいつは『徳川忠長』を追いこんだ男だということ!
重次は、忠長が幽閉されていた高崎藩に何度も出向き、せっせとメンタルをけずって、自ら死を選ぶよう執拗に追いつめた。
しかも、その時期も徳松自殺が寛永九年、忠長自害が翌十年とほぼ同時進行。
いわば、あいつはおれたち共通の敵というわけだ。
そうとわかったら、黙ってはいられない。
おれは親父に働きかけ、何度か拒否られはしたが、どうにかふたりをおれの屋敷に引き取ることに成功した。
親父は最後までグチグチ言っていたが、「……まぁ、おまえの家人はみな柳生の配下ゆえ、ある意味、監視するには最適かもしれぬな」という冷徹なコメントつきでOKが出た。
咎人縁者を引き取るにあたっては、居室として東端の離れをあてた。
ここは将来茶室に改造できるよう、母屋とは渡り廊下だけでつながった造りになっていたので、謹慎所としておあつらえむきだった。
あとは横に便所を造り、周囲に粗めの格子をめぐらせて、いちおうソレっぽく体裁を整えた。
また、うちは男所帯なので、朝倉に頼んで女中を何人か派遣してもらい、受け入れ態勢もバッチリだったのだが――――
お竹は忠輝の改易が相当ショックだったようで、引っ越し早々寝ついてしまったのだ。
それを敏感に感じ取ったのか、徳松も昼夜問わず泣きつづけ、離乳食もまったく受けつけない。
そこで、思いきって徳松を部屋から連れ出して、孤児軍団の中にブチこんでみた。
孤児の中には幼い兄弟も数組おり、そいつらと身分に関係なく保育園状態で遊ばせていたら、あっというまになじんで、ヨチヨチ歩きをしながら、鬼ごっこもどきに興じはじめた。
その日は思いっきり遊んだせいか、夕飯もモリモリ食べていた。
(よしよし)
次に、育ち盛りの子は日光に当てたほうがいいと思い、徳松をおんぶして、子どもたちといっしょに家庭菜園の水やりやカブの間引きをした。
徳松は、みんなが
また、おれがカブの畝にしゃがみこむと、徳松の足が地面につくので、歩きまわりたくてバタバタ暴れて、土は飛び散るわ、野菜は踏みつぶされるわで、散々な目に遭った。
(もう二度とおんぶなんてしてやるもんか!)
おれたちのそんなドタバタを、お竹は床の中からずっと見ていたらしい。
その翌日、おれが城から帰ると、お竹はなぜか勝手に謹慎所を抜け出して(鍵はセクハラ防止のため、内鍵しかない)、井戸端で徳松をおんぶしながらオムツを洗っていた。
ついこの前まで、七十五万石の側室だったのに……切り替え、早すぎだろ?
聞くところによると、お竹は昔、忠輝の生母・茶阿局に仕えていた侍女で、実家もさほど身分のある家ではなかったので、家事にあまり抵抗はないらしい。
なしくずし的に屋敷内を自由に動きまわるようになったお竹は、みるみる闊達さを取りもどし、しだいに子どもたち全員のお母さん的存在になっていった。
(本当は部屋から出しちゃいけない……とは思うが)
そして――
「お竹、この者らにも膳を用意してやってくれ」
「かしこまりました!」
背中に赤ん坊をくくりつけたお竹がきびきびと立ち働き、野良着姿の男たちの前に夕餉の膳を置いてまわる。
彼らは小石川村の百姓で、今日は菜園に肥料を入れにきてくれたのだ。
「だけんど、わしらのようなものが御前さまと……」
「いっしょに夕餉を食うなんて」
「あまりに恐れ多いこって」
お竹は、恐縮しまくる百姓たちをカラカラと笑いとばし、
「遠慮はいらぬ。御前さまのまわりにいるあの子らとて、もとは路上で寝起きしていた孤児たちじゃ。このお屋敷では、徳川さまの御曹司も百姓も孤児も、みな隔てなく膳を囲むのが習わし。ささ、冷めぬうちに上がりゃ」
お竹は最初、謹慎所に運ばれてくる食事があまりにも質素なので、「冷遇されている!」と憤慨していたらしいが、偶然おれも同じメニューだと知り、そのうえ出入りの商人らといっしょに食事をしているところを見て、なにか悟ったようだ。
にしても……これじゃ、まるで学食のオバチャン……驚異の順応力だ。
とはいえ、出会いもあれば、別れもあるわけで…………。
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