第37話 御成


「……すまぬ。ずっと気を張りつめていたゆえ、つい」


 しばらく経っておれを解放した親父は、恥ずかしそうにそう言いわけをして、目元をぬぐった。


「見苦しいところを見せてしまったな」


「……いえ」


(親父もたいへんだね)


 絶対的カリスマ創業者の後を継ぎ、しかも、隙あらば蹴落とそうと虎視眈々と狙っている多くのライバルたちの前で、葬儀はじめ継承行事を完璧にこなすのは、想像を絶するストレスだろう。


(いろいろ心労が重なってたから、ひさしぶりに会ったわが子のかわゆい姿に、涙腺崩壊しちゃったんだろ?)


 なにせ、おれの見た目は十歳そこそこだが、中身は二十三。

 オトナの事情や管理職の苦労的なものも、それなりに理解はできる。


「父上、これを」


 懐から懐紙を出して手渡すと、親父はそれを受け取り、上品に洟をかんだ。 


(よしよし、今までよくがんばった!)


 慈愛にみちた笑みを浮かべるおれに、親父は、


「国松、たまには母にも顔を見せてやれ。城を出てから、一度も会っていないそうではないか」


 照れ隠しなのか、急にとがめる口調になる。


「でも、わたしはもうご宗家の人間では……」


「寂しいことを言うな。いくら松平姓になったとはいえ、おまえがわれらの子であることに変わりはないのだから」


「……はい」


 言われてみれば、おれは半年以上あの人に会っていない。

 それどころか、御城を出る前から、おれは母を避けていた。

 兄貴とおれに対する対応の差を目にすると、どうしても前世の記憶がよみがえってしまって、つらくなるからだ。


 しかし……考えてみると、あの日までおれたちは仲のいい親子だった。

 それが突然、よそよそしい態度を取られ、自分の元から離れていってしまったら、やはり寂しいだろう。


 たしか、お江は寛永三年に亡くなるはず…………あと十年後だ。


 だとしたら……。


「わかりました。大御所さまの四十九日も終わりましたので、近いうちに」


「うむ、そういたせ」


 ホッとしたようにほほえむ親父。


 後世、『恐妻家』と『最恐の鬼嫁』と言われるうちの両親だが、じつはけっこうオシドリ夫婦だったりするのだ。


 

 なんとなく微妙な空気になり、会話が途切れる。


 

「……して、最近なにか困っていることはないか?」


 なに? 困ってること?


「あります! 大ありです!」


 鬱憤が溜まりに溜まっていたおれは、咽喉も裂けよとばかりに叫んだ。


「父上、又一をなんとかしてください!」


「又一とな?」


「そうです、父上が又一を槍術指南役にくわえたせいで、まことに迷惑しているのです!」 


「どういうことだ?」


 槍名人の称号をかけて渡辺と争った小栗又一は、どんな手を使ったのか、まんまと槍術指南役のポストを手に入れた。

 そして、やつは辞令が下りた日からずーーーっとわが家に入り浸っているのだ。


 幸い、その半月後にジジイが死んだので、しばらくはヌケガラ状態になっていておとなしかったが、四十九日が過ぎたとたん、


「亡き大御所さまの御恩に報いるため、孫君を日ノ本一の武将に育てあげてみせまする!」


 と、意味不明の宣言をしたかと思うと、猛特訓を開始したのだ。


「わたしは日ノ本一の武将になど、なりたくはありません! それに、槍以外にも馬術・弓術の稽古もやらなければならないのに、又一ときたら来る日も来る日も槍ばかり……体中アザだらけで、もうウンザリなのです!」

 

 もともと槍術は月一回だったのに、又一が割りこんできたせいで、槍の稽古が激増しているのだ。

 おれとしては、自分でミスさえしなければ体にダメージがかからない馬術や弓のほうが好きで、剣術・槍術の稽古はできるだけ減らしたい。

 

 それに、史実どおりなら、家光はかなりな武芸ヲタクになるはずだ。

 おれがヘタに上達してしまったら、兄貴の劣等感を刺激するハメになる。

 そんなことになったら、粛清路線に逆もどりだ!


「しかも、朝は木村助九郎から新陰流の指南を受けておりますので、学問をするいとまがまったくございません!」


 だいたい親父がおれを時短勤務させたのは、「剣を習い、屋敷で諸学をおさめ、しばらくは自己研鑚につとめる」ためだって言ってたじゃないか。

 なのに、朝から晩まで脳筋たちにしごかれて、いつ勉強をすればいいんだよ!?

 

 おれの理想的未来図は、書画・茶・歌道なんかをまったり楽しみつつ、一生無役のままダラダラ天寿を全うすること。 

 このままじゃ、そっちの習い事ができない!


 ちなみに、木村助九郎というのは、最近うちの道場に出稽古にくる柳生宗矩の弟子で、まだ二十歳そこそこながら、急成長中の逸材らしい。


「そのうえ又一は、なにかというと、『大御所さまと公方さまが豊臣を滅ぼしておいてくださってよかったですな。その程度の力量で戦場に出たら、五体満足では帰ってこられなかったでしょう』とか『無様な武者ぶりを豊臣に見られずに済んだは僥倖。さようなへっぴり腰、土一揆の百姓以下ですぞ!』とかイヤミばかり申すのです!」


 本当に口の減らないクソジジイだ。


「まあそう言うな。又一はそういう男だと思ってあきらめろ。しかし……学問ができないのは問題だな」


 破顔から一転、顎に手を当てて考えこむ親父。


「それについては善処しよう」


 よっしゃー! 


「ならば、それ以外で困っていることは?」


 再度うながされ、おれの脳裏にある考えがひらめいた。


(よし、ついでにあのこともチクってやろう)


「じつは、隣家の井伊にも」


「井伊が? いかがいたした?」


「井伊が当家の日照権を不当に侵害してくるのです!」


「日照権? 侵害?」


「はい。父上もご存じのことと思いますが、当家では大勢の孤児を養っております」


 例の孤児たちは、あれからまた増えて六十人くらいになっている。


「そこで、少しでも食費を減らすため、庭先で青菜の栽培をはじめたのですが、井伊がこちらに断りもなく物見櫓を建てたものですから、北側の当家が日陰となり、菜がうまく育たないのです!」


 井伊がうちを監視しはじめたのは、たぶん家康の指示によるもの。

 なのに、井伊はジジイ亡きあとも監視をつづけている。

 かといって、表だって「監視されるのは不愉快だからやめてくれ!」と抗議することは難しい。

 なぜなら、井伊にしてみれば、敬愛する大御所さまの遺命を守っているだけなのだから。

 

 そこでおれは切り口を変えてみた――「監視が嫌だ」ではなく、「隣家の高い建物のせいで、日当たりが悪くなり、困っている」と。


 ところで、この家庭菜園の話はこの場かぎりの方便などではなく、うちでは今、飢饉に強い『のらぼう』や大根を試験的に育てて、食欲旺盛なガキんちょどもの副菜にしているのだ。


「ふむ、井伊の物見櫓か」


 刹那、親父の目に剣呑な光が宿った。


「相わかった。それについてもなんとかしよう」



 数日後、うちの西隣の大名があわただしく引っ越していったかと思うと、親父から、


「しばらく朝倉のところに行っておれ」


 という不可解な命令が下った。


 わけがわからないが、将軍命令は絶対。

 おれは指示どおり、乳母の朝倉の屋敷にふたたび厄介になった。



 それから約ひと月後。

 親父から屋敷に戻っていいという許しが出て、帰宅してみると……、


 敷地が二倍になっている!


 しかも、わが家と隣家の部材を再利用した豪邸にリノベーションされていて、屋敷門の左右には表長屋まで!


 表長屋とは、屋敷を取り囲む塀に家臣の官舎を合体させたもの。


 でも、この仕様は……完全に大名屋敷。


(いいのか? 一旗本が……)



 新しい屋敷は、すべての建物を北側に寄せて建てられ、南側は大きく開けている。

 

「おお、これなら野菜がいっぱい作れるぞ!」


 と、喜んでいたら、ある日、親父が鷹狩の帰りにフラリとやってきた。


 といっても、これは事前通告があった訪問で、「鷹狩の途中で、ちょっと立ち寄った」という体裁をとることで、ふつうなら将軍を迎えるための御成門や御成御殿を建て、山海の珍味を取り寄せての大饗宴をしなければならないところを、「急に来たから接待は不要」と、接待側の負担を軽減する心づかいなのだ。



 親父は屋敷内をひと通り見回ると、おもむろに例の物見櫓を見上げて、


「ほう、さすが夜叉掃部、ずいぶんと豪胆なことよの。天下の将軍を見下ろすとはな」と、ボソリ。



 翌朝。

 あの物見櫓が、一夜のうちに跡形もなく消え去っていた。


(……権力者、おそるべし……)


 

 ウワサによると、あの日見張りに立っていた彦根藩士五名が、藩主・井伊直孝から切腹を命じられ、さらに改易になったとか。



 …………なんか……ほんとゴメン。


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