第35話 三河武士
家にいても例の監視塔が気になって集中できないので、今日は早めに出仕。
登城早々、兄貴に呼びつけられる。
「国千代、アレはどうなった?」
「はい、本日より圃場の整備をはじめます。しばらくは雑草や石を取り除き、肥料を入れて、栽培に適した土作りをしていく予定です」
「そうか、今日からか。大義」
ふんぞり返ってねぎらう兄貴はやけにゴキゲンだ。
なんでも、今回の件で兄貴はめずらしく親父に褒められたようで、それ以来、兄貴の自己肯定感は爆上がり中。
しかし、これはおれにとっては好都合。
なにしろ、家光はデキのいい弟に対する劣等感を募らせたあげく、
「そのお言葉、みなにもしかと伝えます。大いに励みとなりましょう」
「うむ、そうせい」
そうこうするうちに、あっというまに八つ(二時)になり、無事勤務終了。
近習仲間の冷ややかな視線を背に受けながら、サクサク下城する。
やつらは、おれだけ時短勤務なのが気に入らないらしく、退庁時は毎回嫌な空気になる。
でも、これは親父が決めたこと。
そんな恨みがましい目で見られても、おれにはどうすることもできない。
ちょっとブルーな気分で帰宅すると、
「おかえりなさいませ」
敷居でいつものように腰の脇差を袱紗で受け取った藤吉は、
「御前さま……」
ひどく逡巡しつつ口を開け閉めして、妙に落ち着かないようす。
「どうした?」
「あの……先ほど、ご指南役が見えられたのですが……その……」
「なに? 渡辺が? 今日はずいぶんと早いな」
今日の午後は槍術の稽古で、指南役は
渡辺は、「槍の半蔵」という異名を持つほどの槍の名手で、ガキのころから
半蔵ジイチャンは、姉川の戦いでは一番槍、長篠の戦いでは、足軽大将の山本菅助(武田信玄の軍師・山本菅助の嫡子)を打ち取るなど、数々の武功を立てた剛の者らしい。
しかし、渡辺は今から七年ほど前、ジジイの命令で
渡辺の稽古は、そのプロフィールからもわかるように実戦さながらの荒っぽいもので、これからは戦争のない時代になると知っている者にとっては、まったくモチベーションが上がらないハードな練習メニューなのだ。
とはいえ、徳川十六神将メンバーの伝説級武人に礼を欠くわけにもいかない。
「お待たせしては申しわけない。すぐに支度――」
「■ ★ △ ■ ○ $!」
「* ◎ ▼ ☆ ₣ β!」
「「◆ □ ● ▽ £!!」」
屋敷の奥からすさまじい怒鳴り声が聞こえてきた。
「「「な、なんだ?」」」
建具をも震わせる大音声に、居合わせた供侍も目が点になっている。
「それが……渡辺さまといっしょに別のお旗本が入って来られて……」
「別の?」
(今日はだれかと会う約束はしてなかったはずだが?)
どうしていいかわからず玄関口で立ち尽くしていると、怒声がどんどん近づいてくる。
「わしは上さまの依頼を受けて、稽古をつけにきておるのだ! さっさと帰れ、この推参者めが!」
「なにを申す! それがしは大御所さまより『またもや一番槍か。こののちは又一と名乗れ』との御讓を受け、又一を名乗る者。しかも、昨年の大坂の役にては、後方に隠れていた貴殿とは違い、兜首も取っておる! 大御所さまの孫君に稽古をつけるなら、貴殿のようなおいぼれではなく、それがしが適任じゃ! 貴殿はのんびり茶の湯でも楽しみ、老骨をいたわるがよい!」
「な、なにを!? この若造が! そこまで申すなら勝負いたせ! 槍のサビにしてくれるわ!」
「おお、望むところじゃ! その槍術はもはや時代遅れだと、しかと教えて進ぜよう!」
「おやめください、父上! また傷が開きまする!」
(なんなんだ、このカオスは……?)
棒立ちになるおれの前に、渡辺と見たことのないジイサン、そしてこれまた見知らぬニイチャンが出現する。
「これは、国千代さま。申しわけござらぬが、のっぴきならない事情が
おれを認めた渡辺が、そういって軽く頭を下げると、
「はっ! ご老体を沈めるのに半刻もいらぬわ! 稽古は四半刻後に、
謎のジイサンが獰猛な笑顔を見せる。
「「いざ!」」
呆然とするおれの横をすり抜け、稽古場に向かうジイサンたち。
この稽古場は正太を引き取った後に造った新築の離れで、昼間は武道場、夜は子どもたちの寝室になる。
――って、それどころじゃない!
勝手に道場に入っていく渡辺たちを追いかけるが、ふたりは
「かかってこい、若造!」
老師がデカい声で挑発すると、
「相手は年寄りゆえ、手加減してやらねばな!」
正体不明のジイサンは鼻で笑い飛ばす。
―― カン カン カン カン ――
はげしくぶつかり合う二本の木槍。
一進一退。
甲乙つけがたい熾烈な立ち合い。
「……
まったく状況が見えないおれは、気づかわしげに試合を見守るニイチャンに話しかけた。
「そなた、名は?」
おそるおそる問いかけると、ニイチャンははじかれたように居住まいを正し、
「これはとんだご無礼を! それがしは小栗仁右衛門にございます」
「小栗……?」
「はっ、いかにも。そして、あれなるはわが父にて、小栗又一と申します」
(ドェェェェー!!!)
小栗又一こと小栗
その名の由来は、合戦のたびに一番槍を取ったから「また一番槍か~」で「又一」になったとか。
そんなニックネームからもわかるように、又一は常に猪突猛進、独断専行、軍律違反もなんのその。
戦ともなれば、白い旗指物が血で真っ赤に染まるほどの働きをしながら、たびたび問題行動を起こして家康の勘気をこうむり、降格・減俸・加増を繰り返す。
その気質は子孫の
「そ、そうか、小栗……か。ときに、なにゆえそなたらはここに?」
今までつきあいがなかったのに、なんで中に上がりこんでるんだよ?
「ご無礼の段、ひらにご容赦を!」
いきなり土下座しはじめるニイチャン。
「先刻、こちらのご門前を通りかかりましたところ、父が旧知の渡辺さまをお見かけして……」
仁右衛門さんによると、たまたま道を歩いていたら、この屋敷に入ろうとしていた渡辺を見つけて声をかけたそうな。
そのとき、渡辺がうかつにも、「当代一の槍の名手たる自分に、将軍じきじきに『月一でいいから息子に稽古をつけてくれ』と頼まれた」と口を滑らせてしまい、「当代一の槍の名手だと!? ふざけるな、オレのほうが上だ!」と口論になり、エキサイトしたまま、渡辺といっしょに屋敷に上がりこんだらしい。
「それに、渡辺さまは尾張の付家老でご多忙ゆえ、稽古は月に一度というのも父は気に食わぬらしく、『そんなに間遠では、上達するものも上達せぬ! わしなら毎日でも指南できる!』と、妙な方向に決意してしまって、このような騒ぎに……」
「…………」
小栗忠政といえば、ガンコで偏屈な三河武士の中でも大久保彦左衛門や、本多作左衛門(
数ある面倒くさいエピソードの中でも、一番ウザい話が、関ヶ原の時のもので――
関ヶ原の戦いで、親父の同母弟・松平忠吉が敵の首を取ったとき、家康は愛息を大いに褒め、祝勝で集まっていた大名たちも思いっきりヨイショした。
ところが、又一は、
「上さま、敗残兵を、しかも相手の手足を押さえつけて首を取ったくらいで、そんなにお褒めになっては、若さまが、敵は常に弱いものだと勘違いしてしまいますぞ?」と、バッサリ。
当然その場は凍りついたが、さすがに家康は切れることなく、
「だから、おまえは出世できないんだ」と、苦笑いでたしなめたそうな。
……ウザい。じつにウザい。
そのほかにも、コイツにはウザい逸話がゴロゴロあるわけだが、よりにもよって、なんでそんな面倒くさい男がうちに……。
―― カン カン カン カン ――
ジジイどもの戦いはまだつづいている。
(……ん? そういえば……)
「たしか、又一は昨年の大坂の役で、負傷したのでは?」
「よくご存じで」
小栗忠政は、大坂の夏の陣で鉄砲傷を受けて、その傷がもとで翌年亡くなるはずだ。
翌年ってことは……つまり今年?
「や、やめよ! そなたらの力量はじゅうぶんわかった! 双方引け! 引くのだ!」
草履をふっ飛ばして両者のあいだに分け入れば、おれに当たるのを恐れたジジイたちは後方に退いた。
「そなたらはともに優れた
もうすぐ死ぬかもしれないジジイに、無理をさせちゃダメだろ!?
この立ち合いがきっかけで亡くなるようなことにでもなったら……寝覚めが悪すぎる!
「「しかし、それは……」」
「そもそも、主の許可もなく、勝手に道場を使うとは無礼千万! 上さまに言いつけるぞ!」
本当は「おじいさまに言いつける」と脅したほうが効果バツグンなんだろうけど、おれは家康に疎まれているからしかたない。
「「ぐっ……承知……」」
こうして、ジジイたちによる『当代一の槍達人』争奪戦は、決着がつかないまま終わった。
のだが……、
なにがどうなったのか、その後、槍術指南役として小栗又一が新たに加わり、渡辺が来ない日は小栗が稽古をつけることになった。
さらに、午後の稽古に『組討』が追加され、その指南役に小栗仁右衛門が任じられた――
なんでだよー!?
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