第34話 深慮遠謀
通常より半刻ほど早く登城したおれは、同僚の松平三十郎を探した。
「三十郎!」
幸いにも、役人通用口と兄貴の居室の中間地点で、目指す相手を捕獲。
(近習のシフトを把握しておいてよかった!)
宿直明けの三十郎は、不機嫌そうにおれをにらんできたが、そこは華麗にスルーして、空いている小部屋にムリヤリ引っ張りこむ。
「相談があるんだ。すまないが、少し時間をくれ」
と、詫びてから、ふてくされる男にさっき思いついたプランを話して聞かせる。
「たしかに、それがまことなら、一考する価値はありますが……」
おれの提案を聞き終えた三十郎は、眉間にシワを寄せて腕を組んだ。
「しかし、それを実現するには、竹千代さまでは手にあまりましょう」
「ならば、おまえから兄上に話を通して、兄上の発案として、父上……上さまに上申すれば、なんとかならないか?」
「竹千代さまの? では、兄君に功をゆずられるのですか?」
「功? そんなことより、おれは一刻も早く事が運べばそれでいい。その代わり条件が……」
寝不足の血走った目が、おれをじっとりねめまわす。
「あなたがそれでよいとおっしゃるなら……。では、いまから竹千代さまに申しあげてみますか?」
「うん! 頼む!」
こうしておれの飢饉対策は始動したのだった。
おれが考えたのは、稲作の傍らで救荒作物を栽培するというもの。
救荒作物というのは、飢饉などでコメが不足したとき、その代用として食料にする作物のこと。
その栽培は、すでに奈良時代あたりからはじまっており、ソバ・アワ・ヒエ・キビ・ムギなどの雑穀や、大根、海藻、ドングリなどがそれにあたる。
しかし、江戸時代に起きた四大飢饉――最初の寛永の飢饉は
だから、将来の飢饉に備えて、今から準備しておけば、餓死者を減らせるのではないかと考えたのだ。
具体的には、百年ほど前倒しで、サツマイモとジャガイモの栽培をはじめることで。
サツマイモといえば、八代将軍・吉宗の施策というイメージが強いが、実際は元和年間には宮古島・琉球あたりに伝来していたし、薩摩藩は琉球侵攻の際に種芋を持ち帰った、あるいは、ポルトガル人との貿易でルソンからの交易品として手に入れたといわれている。
また、
一方ジャガイモは、十六世紀末にオランダ人がジャワのジャガタラ経由で長崎に持ちこんだといわれ、それが「ジャガイモ」の由来になったとか。
とはいえ、ジャガイモを日本人が食用として認識したのは十八世紀末で、蘭学者・高野長英、幕府代官・中井清太夫らが救荒作物として、その栽培を奨励している。
とにかく、サツマイモもジャガイモも、コメとは違って痩せ地でも育ち、なおかつ天候不順や病害虫にも強く、生育期間が短い。
それになんといっても、イモ類は地下茎なので、雹や戦などで地上部分が痛んでも収穫ができるのが強みだ。
だから、南蛮貿易がまだ禁止されていない今こそ、サツマイモ・ジャガイモの苗・種芋を輸入して、普及させるチャンスなのだ!
――ということを三十郎経由で、兄貴から親父に奏上してもらった。兄貴のアイデアとして。
その結果は……。
「みな、用意はできたか?」
門前に並ぶ五十人ほどのガキどもに声をかける。
小汚い行き倒れを拾ったあの日から二カ月半。
その間に季節は春から初夏へと移り、今日は汗ばむほどの暖かさだ。
「正太、ちゃんと先導しろよ」
「はい!」
整列した子どもたちの先頭に立つガリガリ君こと正太は、おれの家紋が入ったミニ幟と御用旗を肩に担ぎ、
「おい、みんな、ちゃんと並べ! 通行のジャマにならないよう、道の端を歩けよ!」
「「「おう!」」」
最初、五、六歳くらいかと思った正太は、おれと同い年だった。
生まれてからずっと栄養状態が悪かったせいで、発育が遅れていたようだ。
そんな正太も、あれ以来十分な食事を取っているおかげか、体もひと回り大きくなっている。
「加助、喜六、弁当は持ったか?」
「へぇ」
「では、みんな、頼んだぞ」
「「「おう!」」」
朝食を食べたばかりのガキんちょたちは、元気に答える。
このチビ軍団は、イモ栽培への許可が下りてから、正太に街でスカウトさせた孤児たち。
みんな親亡きあと路上生活をしていたやつらで、衣食住を保証すると聞くや、あっというまに五十人ちかくの浮浪児が集まった。
なにを隠そう、これこそが手柄を兄貴にゆずってまで引き出した条件のひとつ。
つまり、外来植物であるサツマイモ・ジャガイモの試験栽培を浮浪児たちにやらせて、日本の風土に合うように改良するのだ。
いうまでもなく、サツマイモもジャガイモも中南米原産。
じつは、これまでも西海道(いまの九州)などのいくつかの藩で栽培を試みたが、その土地に合わなかったのか定着しなかったらしい。
吉宗時代も、サツマイモは青木昆陽が数年がかりで研究・試験栽培を経て、なんとか普及できたのだ。
だとすると、外国から種芋や苗を取り寄せて配るだけでは、失敗するかもしれない。
ということで、数十年後の大飢饉に間に合わせるため、いずれ幕府の御薬園ができるはずの小石川の土地を、イモの試験農場として下賜してもらったのだ。
そうなると、これは国家事業になるから、子どもたちの人件費――人数分の扶持米が給付されることになる。
いくらおれが九千九百九十九石の大身旗本だといっても、身銭を切って孤児を扶養し、国策に奉仕する義務はない。
今後も孤児は増える可能性があるし、もらえるものはもらっておきたい!
しかし、浮浪児対策はこれだけではない。
捨て子の中には、当然女の子もいるわけで、そっちはおれの屋敷で引き受けることができない。
男所帯に女子が混ざると、厄介なことになるのは目に見えている。
そこで、おれは、北の丸に住む
『江戸市中に遺棄されている女児を救いたい。ついては、見性院さまを開基とした尼寺を造るので、その寺で浮浪児を預かってほしい。子どもたちは無理に出家はさせず、読み書き、行儀、とくに裁縫を教えて、将来自分の力で身を立てられるよう指導してほしい』と相談をもちかけて。
なぜ裁縫かというと、江戸はいまだにインフラ整備中で、大工や石工、鳶などの建設作業員が町中にあふれており、そのほとんどは独身男性。
また、今後、参勤交代が制度化されれば、全国から何万もの単身赴任者が集まってくる。
だから、裁縫の腕があれば、呉服屋などに就職できる。
女の子の場合、そんな専門技術でもなければ、春をひさぐオシゴト一直線になってしまう。
ただでさえ不幸な境遇の子どもたちが、さらに身を落とすなんて悲惨すぎる。
救う手立てがあるのなら、なんとかしてやりたい。
そして、この御針子養成プランには別の狙いもある。
この計画のキーパーソン・見性院は、武田信玄の次女で、武田一門の名家・穴山梅雪の正室だった人。
夫の梅雪は本能寺の変の際に亡くなり、武田氏滅亡後、その遺領を接収した家康は武田遺臣団と見性院を保護した。
それ以来、見性院は江戸城北の丸の屋敷で暮らしているのだが、じつはそこには
だから、「いや~、武田さんは強かった! 敵ながらアッパレ! だから、江戸近郊に見性院さまの御名で、武田一族を供養する寺を造りましょう!」とほめちぎって寺を建て、見性院はじめ徳川家臣団に組みこまれた元武田遺臣たちの歓心を買ったのだ。
こうして武田ブランドを背負うバアチャンを味方につけておけば、将来おれがヤバいことになったときに口添えを頼めるし(絶対に長生きしてもらわないと!)、バアチャンが後見している異母弟にも接近しやすい。
また、保科正之は兄貴好みのキャラだから、もし兄貴との間がギクシャクしたら、とりなしてもらえる!
この飢饉・孤児対策は、おれにとってメリットだらけなのだ!
初出勤の子どもたちを見送り、座敷に戻る。
このあとは登城まで四書五経を読み、四つ(10時)から八つ(14時)までの勤務が終わったら即帰宅して、日替わりで槍術・弓術・馬術を習うことになっている。
(げっ、そういえば、今日の午後はアイツの槍の稽古じゃないかっ!)
まったり書籍を開いた瞬間、今日のスケジュールを思い出してゲッソリする。
(アイツ、遠慮なしだからイヤなんだよなぁ)
指南役のツラを思い浮かべ、すっかりやる気のなくなったおれは、本を閉じて、庭先に目をやる。
(……っ)
視界に飛びこんできた異様な風景に、テンションはダダ下がる一方。
わが家の南隣、井伊の屋敷に建つ敵対心バリバリの建造物――塀の上から突き出た物見櫓に、心がガリガリ削られる。
あの監視塔は、おれが浮浪児を集めはじめると同時に築かれ、完成後は二十四時間体制でおれの屋敷を見張りつづけている。
井伊は、おれの屋敷に大勢の人間が出入りするようになったので、「凶器準備結集罪っ! すわ、謀反か!」と勘違いしたのだろう。
『凶器』なんて準備してないし!
あっても、せいぜい鍬か鋤くらいだ!
それに、『結集』っていっても、ほとんどが十歳前後のガキじゃないか。
どこからどう見ても、非戦闘員だろうが!
なのに、なんでそこまで過剰反応するんだよ?
それとも、ジジイからなにか言い含められてるのか!?
(クソ、井伊のおべっかヤローが!)
現在の井伊家当主は掃部頭直孝。
ヤツは、徳川四天王のひとり・井伊直政の庶子で、去年の大坂夏の陣では『夜叉掃部』と呼ばれるほどの無双ぶりを見せつけ、最終段階では淀君・秀頼親子が逃げこんだ籾蔵に、独断でガンガン発砲して自決に追いこんだ。
じつは、ジジイは最後まで秀頼を助けるべきか迷っていたらしいのだが、井伊の過激なスタンドプレーがその迷いを粉砕したわけだ。
まぁ、おかげで後顧の憂いがなくなって、ある意味徳川政権最大の功労者なのだが、とにかくヤツは将軍家に対する忠誠心が異常すぎる。
簒奪なんて考えてもいないのに、勝手に敵認定しやがって!
今に見てろ、ジジイの
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