第33話 孤(みなしご)


 辰の上刻(八時) 

 朝稽古が終了し、柳生の屋敷を出る。



 先刻は凍ってカチカチだった小路は、早春の陽光でグチャグチャの泥濘に変わっている。


 足元がおぼつかないおれたちガキんちょは、ひとりずつ供侍に手をつながれて、道を横切った。



 ふと、自宅方向に目をやると、門前にデカいボロ布が落ちている。


(おい、だれだよ、他人ひとん家の前にゴミをポイ捨てしやがったのはー!)


 ムカつく感情のままに、その粗大ゴミをガン見していると、


「こんなところでなにをしている!?」


 となりの侍が、いきなりそのゴミに向かって声を張りあげた。


「何者だ!?」

「さっさとどかぬか!」

「従わねば、切り捨てるぞ!」


 ほかの護衛たちも脇差に手をかけて警告を発する。


 そうなってはじめて、おれはソレが人であると気づく。


 元の色がわからないほど汚れ切った破衣やれぎぬ

 そこから覗く枯れ枝のようにやせ細った垢だらけの手足。

 どうやら子どものようだ。


「待て!」


 立ち去る気配のない不審者に業を煮やしたのか、横たわる痩躯を蹴り上げようとするオッサンを押しとどめ、


「死んでいるのか?」


「いえ、息はあるようですが」


 たしかに、よくよく見てみると、呼吸のたびにわずかにボロ布が上下している。


「屋敷に運べ」


「しかし……」


「いいから運べ!」


 いつになく強い口調に、供侍は不承不承汚泥まみれの行き倒れを運び、屋敷の裏手で下働きの手にゆだねる。

 勝手口の外でボロボロの着物を剥ぎ取られた子どもは、意識のないまま濡れ手ぬぐいで全身をくまなく拭かれてからようやく中に運びこまれ、台所の隅に敷かれたゴザの上に裸のまま転がされた。


 子どもは見たところ五、六歳くらいの男児。

 肋骨が浮かび上がるほどガリガリにやせ細った真っ裸の体はいかにも寒々としていて、駆けつけてきた藤吉におれの着物を持ってくるよう言いつける。


「……っ……」


 ダランと脱力した肢体に小袖を着せていると、ガリガリ君はやっと薄っすら目を開いた。


「これから朝餉なのだが、おまえもいっしょにどうだ?」


 そう聞いてやるが、少年は声を出す気力もないのか、返事もせずに周囲を怯え切った目で見まわすだけ。


 このころ江戸時代初期、食事は基本朝夕二食。

 朝食は午前八時ころ、夕食は午後五時ころに取るのが一般的だ。

 

 そんなわけで、わが家は稽古が終わったあと、全員で囲炉裏を囲んで朝食を取る習慣になっていて、天井からつるされた自在鉤じざいかぎには青葉や豆腐が入った味噌汁がちょうどできあがったばかり。


 その汁のにおいに気づいた子どもの目が鍋に釘づけになる。


「……食う」


 絞りだすような訴えにうなずいて見せると、賄方が玄米メシと汁、大根漬けを載せた膳を並べはじめる。


 うちの食事は毒殺防止のため、同じ膳を人数分作り、それをおれが適当にみんなの前に置くスタイルを取っている。

 こうすれば、食事に毒を入れようとしても、だれにどの膳が行くかわからないので、ピンポイントでおれを狙うのは難しくなる。

 今朝は一膳多く用意されたものを、みんなの前に置いていく。

 全員同じメニューとはいえ、上座下座の区別はあるので、行き倒れくんには端のほうに席を作ってやる。


「では、いただこう」


「「「いただきます」」」


 こうした食前のあいさつは、この時代にはまだ一般的ではなかったが、この食事スタイルを採用するにあたって、試験的に取り入れてみた。

 なぜなら、みんなでいっしょにメシを食うとなったら、やはり開始の合図的なものが必要じゃないかと思ったからだ。


 そんなしきたりを知らない子供は、膳を置かれるやいなや、いきなりがっつきはじめて、全員から白い眼で見られている。


 おれは両側のチビたちの食事介助をしつつ、そんなガリガリ君のようすを観察する。


 そのすさまじい食いっぷりから、おそらくただの浮浪児だとは思うが……刺客である可能性も捨てきれない。

 なにしろ、竹千代の乳母・お福は、おれを讒言でおとしいれようとした前科がある。

 用心するに越したことはないだろう。



 ――と思っていたら、食後、ガリガリ君はさっそくオッサンたちに取り囲まれた。

 

 オッサンたちはもともと柳生配下の者たち。

 尋問などお手のもので、子どもの身元はすぐに割れた。


 それによると、ガリガリ君の父親は慶長期、武蔵国で起きた飢饉の際に村を離れ、建設ラッシュの江戸に出てきた男で、先日辻斬りに遭って亡くなったらしい。

 母親はその前にはやり病で死んでいて、ガリガリ君は天涯孤独の身なんだとか。


「お願ぇです。オラをここに置いてくだせぇ! どんなきつい仕事でもやります!」


(……やっぱりそうなるか)


 厨房の土間で土下座するガリガリ君を見ながら、思わず嘆息。


 

 戦国時代が終わったばかりのこのころは、社会的弱者に手を差し伸べるという風潮はなく、自力救済が原則の過酷な社会だ。


 この国に仁政――福祉思想が導入されるのは、家光の四男、五代将軍綱吉以降。

 だから人々は、養育できない子どもを路上に置き去りにし、働けなくなった年寄りを山に捨てる……二十一世紀的倫理観を持ったおれには到底受け入れがたい所業が、日々平然と行われているのだ。


 そんなギスギスした世の中で、縁もゆかりもない行き倒れにきれいな着物を与え、たらふく食わせてやるなんて(ガリガリ君はメシ・汁ともに三杯ずつおかわりをした)奇特なヤツはそうそういない。


「……わかった。役に立ちそうなら置いてやる」


 必死にすがりつく瞳に、おれは「否」と突き放すことができなかった。

 

「ありがとうごぜぇやす! 死ぬ気で働きやす!」 



(そういえば……)


 ガリガリ君の父親は飢饉で逃散した百姓のようだが、去年も北日本では春先からヤマセと呼ばれる冷風が吹き、秋にはそれに追い打ちをかけるかのように早霜が下りたため、各地で大凶作になったらしい。

 これにより奥羽では大飢饉が起こり、街道は餓死者の死体で通行困難におちいるほどだったという。

 凶作となった藩は、越後などで食用米と翌年の種籾を買い漁ったため、そうした影響を受けて江戸の米価も例年より跳ねあがったようで、城と屋敷を往復するだけのおれはいままで見たことがないが、もしかすると現在、ガリガリ君みたいな路上生活者が江戸中にあふれているのかもしれない


 じつは、十四世紀から十九世紀半ばは、小氷期(小氷河時代とも)と呼ばれる寒冷期で、江戸時代はたびたび冷害による凶作と飢饉にみまわれることになる。

 とくに寛永・享保・天明・天保年間には大飢饉が起き、何万人もの餓死者が出た。

 こうした飢饉の頻発により幕府および各藩は財政難におちいり、結果的に幕藩体制崩壊の遠因にもなったという。 



 そうなることがわかっていて、なにも手を打たなくていいのか?

 将軍の息子であるおれなら、なにかできるんじゃないのか?


(そうだ……)

  

 あることを思いついたおれは、


「少し早いが登城する。支度を」


 家人に命じるなり、登城準備のため奥座敷に向かった。


 

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