第30話 徳川将軍家兵法指南役 柳生又右衛門宗矩
オヤジの逆撃を受けたジッチャンは、後年、『東照大権現』という神さまになる御方とは思えない暗黒オーラをまき散らしながら出ていった。
「「……ふぅ……」」
ジッチャンの気配が消えたとたん、安堵のため息がハモる仲良し親子。
ややあって、
「国松」
表情をゆるめたオヤジがおれを差しまねく。
「父上!」
一気に緊張が解け、作法もクソも忘れて上座に近づくと、
――ガッ!――
目の前に火花が散った。
「痛ーっ!」
「この
めったに感情をあらわにしないオヤジが、鬼の形相でこぶしをにぎる。
「あやうく粛清されるところだったではないか!」
「申しわけございませぬっ!」
はじめて見るオヤジの爆ギレに、全力で土下座。
「まったく、そなたのおかげで寿命がちぢんだわ! 宗家から独立するというは、己の身は己で守るということだ! つねに過剰なほど気を配らねばならぬのに、なにをやっておるのだ!?」
「け、軽率でした!」
だよな。
いくらムカついていたとはいえ、よく知らないやつにあんなこと言うなんて、考えてみれば自殺行為そのものだ。
「父上……かたじけのうございました」
オヤジがいてくれなかったら、いまごろは国家転覆を謀った極悪人と決めつけられて、蟄居 ☛ 病死を偽装した毒殺で夭折だったかもしれない。
「大御所さまではないが次はないぞ!」
オヤジは、涙目のおれを、なおもけわしいまなざしでねめつける。
「はい!」
まだジンジン痛む頭を畳にこすりつけ、誠心誠意謝罪。
「……まぁ、これでそなたもようわかったであろう」
いつもの泥人形ヅラにもどったオヤジが、声のトーンを落としてささやく。
「お福には用心いたせ。また、小姓の稲葉千熊、堀田三四郎はお福の縁者ゆえ気をつけよ」
「……はい」
「お福はかつて、夫(稲葉正成)の愛人を刺殺したあげく、みずから離縁状をたたきつけて家を出たような、はげしい女子だ。よくよく心してかからねば、さらなる窮地におちいるぞ」
愛人を刺殺!?
「なにゆえ、さように物騒な者を乳母に!?」
大事な嫡男の乳母に、なんでそんなワケアリ
「しかたがないではないか。大御所さまがお決めになられたのだ」
吐き捨てるように告げられたその言葉に、屈託の大きさが垣間見える。
「ともかく、こたびのことで、お福がそなたの敵であると知れた。そこでだ……」
いままでおれの耳もとでヒソヒソ話していたオヤジは、やにわに、
「だれかある!」
下段之間の先の豪奢な襖にむかって大声でそう呼ばわると、
「これに」
入側サイドの建具がスッと開き、さっきの小姓が顔をのぞかせた。
「又右衛門を呼べ」
「はっ」
襖が閉められ、周囲にはふたたび人気がなくなる。どうやら、オヤジは極力人を排しているらしい。
つまり、
そして、将軍であるオヤジにそこまでの警戒感をいだかせるのは、たぶんあのラスボス……。
「こたびの儀、はじめから庇うてやってもよかったのだが、そなたが大御所さま相手にどれほどやれるか見ておきたくてな。
よほど追いつめられたら助け船を出してやろうと思うていたが、予想以上に善戦しおった。見直したぞ」
そう言って鷹揚にほほえむオヤジ。
「……恐れ入ります」
ようするに、最初から助けてくれるという選択肢は、あなたにはなかったんですね?
こんな年端もいかぬいたいけな子どもをラスボスにぶっつけて、戦力判定するとか……子どもを谷に落とすライオンか!?
なんとなくしょっぱい気持ちで痛む頭をさすっていると、
「又右衛門にございまする」
遠くから渋い低音が聞こえた。
「これへ」
オヤジが入室許可をあたえると、境の襖が引かれ、ずんぐりしたオッサンが部屋に入ってきた。
――だれ?――
するどい眼光。
スキのない挙措。
全身から立ちのぼる峻烈な気。
ヘビににらまれたカエル的気分でソワソワするおれを、オヤジはニヤニヤしながら見つめている。
「この者は?」
オッサンに居すくめられながら、そう尋ねると、オヤジは無言でうなずき、男に発言をゆるした。
「お初に御目もじつかまつります。それがしは、将軍家兵法指南役・柳生又右衛門宗矩にございます」
――や、柳生宗矩っ!?――
とんでもないビッグネームに呆然とするおれに、オヤジは、
「そなた、三十郎に『一生刀を抜かずに済ませたい。剣術の稽古は憂鬱だ』などと申したそうだな?」
満面の笑みなのに、ひどく凄惨な口調で振ってきた。
「武家の棟梁を父にもつ者の言としては、あまりに惰弱。聞き捨てならぬ妄言だ」
あ~、目が全然笑ってない~!
めちゃくちゃ怒ってる~!
くそ、
「じつは、そなたの屋敷のななめ向かいが柳生の屋敷でな」
コワイ笑顔には不似合いなのんびりした口ぶりで、そう明かすオヤジ。
「そなたはまだ十歳。城勤めもよいが、そろそろ剣術・槍術・馬術などの武術、学問をはじめねばならぬ時期だ。
よって、明日より竹千代への近侍は四つ(10時)から八つ(14時)までとし、あとは柳生の道場で剣を習い、屋敷にては諸学をおさめ、しばらくは自己研鑚につとめよ」
「よ、四つから八つ!?」
たった四時間勤務かよ!?
「『それでよいのか?』と?」
うわ……図星。
「よいもなにも、いまのそなたでは日々近侍しても役には立つまい」
「……はい」
正直、なんのスキルもないもんな。
たとえ、いきなり暴漢に襲われても戦えないし、兄貴のお召し替えもまだおぼつかないし、家臣のオッサンたちの名前と顔もいまだに一致しない……たしかに、全然役に立ってない。
「長子相続の範を示すため、兄に臣従してみせるなら、二刻(=四時間)も勤めればじゅうぶんだ。
それよりも、こののち兄の天下を支えられるよう、いまは己を磨きあげ、鍛えておくべきであろう」
「承知……いたしました」
オヤジの眼圧に屈して平伏するおれに、背後から、
「上さまより、『遠慮のうビシビシ鍛えよ』との御意をたまわっております。お覚悟めされい」
オッサンが凄みのあるバリトンで引導を渡してくる。
ということで、おれは明日から柳生新陰流の門人になるらしい。
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