第29話 拝領屋敷
「ふん、今日のところはゆるしてやろう。だが、つぎはないぞ!」
ジッチャンは、そのタヌキ面をしかめ、いまいましそうに言い捨てた。
ひとまず粛清の危機は脱したようだ。
「話は以上だ。わしは西之丸にもどる」
不機嫌オーラを放ちつつ、立ち上がるジッチャン。
引退したジッチャンの江戸での住居は、蓮池堀のむこうにある西之丸。
現役将軍の住まいであるこの本丸には、諸侯との対面式のため出向いてきたのだ。
「国松、そなたはもはや
「はい」
(帰ろうとしていたところを呼びつけたのは、あんただろうが!?)
あまりの理不尽さにくちびるを噛みしめていると、
「いえ、国松にはまだ屋敷の件で話がありますので、大御所さまはどうぞお先に」
いつものヌーボーとした表情にもどったオヤジは、ジッチャンをちゃっちゃと追い出しにかかる。
「む? 屋敷とな?」
退出しかけていたジジイは、ピタリと足を止め、
「こやつに下賜する屋敷の件か?」
そのドスのきいた下問にオヤジは、
「はい、その儀、大御所さまのお指図どおりに計らいましたゆえ、ご安心を」
「そうか、ならばよい」
なぜか一気に機嫌がよくなるジッチャン。
「かような不届きものに、播磨の屋敷を与えるわけにはゆかぬでな」
「播磨の屋敷?」
(播磨ってだれだ?)と首をひねっていると、
「じつはな、国松に遣わす屋敷は、ほぼ決まりかけておったのだが……大御所さまから待ったがかかってな」
「あたりまえではないか!」
苦笑まじりにボヤく息子に、ジジイが噛みつく。
「そなたが収公しようとしていた青山播磨守の屋敷は、大手門の真向かいじゃ!
さような至近の邸内から
「「…………」」
この期におよんで、まだ謀反人あつかいとは……。
第一、十歳のガキが、城門を破壊できる超兵器なんか持ってるかっ!
「ですから、青山のほうはいったん白紙にもどし、井伊の北隣の屋敷を下賜することにしたのです」
あきれ顔のオヤジが、ジッチャンをなだめる。
察するに、オヤジは最初、このまえ三十郎に城外を案内してもらったときに見た、大手門前の通勤至便な豪邸を収公して、おれに下賜しようとしたらしい。
ところが、それ知ったジッチャンから横やりが入り、しかたなく再度選定しなおして、やっとおれの拝領屋敷が決定した、ということだろう。
どうりで時間がかかったわけだ。
でも……、
「井伊の隣?」
「外堀近くの、井伊の真横の屋敷じゃ。この意味はわかるな?」
あくどくほくそ笑むラスボス。
そのクソ意地悪そうな顔を見れば、ジジイの魂胆などバレバレだ。
「……おそらく、わたしにすこしでも不審な動きがあったときは、譜代最強の赤備えをもって、即座に当家を制圧し、わたしを拘束ないしは誅するおつもりなのでしょう?」
「ようわかっておるではないか」
タヌキジジイは満足げにニタニタ。
「つねに掃部頭に見張らせておるゆえ、めったなことはできぬぞ」
さんざんいたぶって気が晴れたのか、ジッチャンは軽やかに歩きはじめる。
と、
「大御所さま」
ようやく帰りかけた意地悪ジジイを、なぜかオヤジは呼びとめた。
「……なんじゃ?」
ムッとした顔でふり返るラスボス。
「こたびの件、お福から訴えがあったのでしたな?」
そう振られたジッチャンは眉をひそめ、
「ああ、お福自らわしのもとにまいって、国松が不穏なことをたくらんでおると注進におよんだのじゃ」
今回の吊しあげは、あいつがジッチャンにチクったからか!
くそ、あのババアめっ!
意外な犯人にムカついていると、
「国松」
オヤジの厳しい口調に、ハッとわれに返る。
「先ほどの話は、お福に?」
「いえ、小姓仲間の三十郎にしかしておりません」
その答えはどうやら想定済みだったらしく、オヤジはジッチャンに向きなおり、
「じつは、大御所さまよりお話をうかがい、わたくしも独自に竹千代の小姓らから聴取をしたのですが」
刹那、オヤジのまとう空気がガラリと変わった。
「三十郎から聞いた話では、問題となった発言は、いましがた国松本人が申した言葉とすべて同じでした。
つまり、お福は国松をおとしいれるために事実をまげ、大御所さまに讒言をなしたのです」
オヤジのするどい凝視から目をそらすジッチャン。
「その三十郎とやらが、
「そうでしょうか?」
「なんだと?」
「三十郎は、自他ともに認める稀代の知恵者。利口な三十郎が、会話の内容を正確に覚えておらず、あやふやな話を伝えたとは考えられませぬ。
また逆に、九つのときから竹千代に仕え、忠勤をはげんでいるものが、偽りを申してまで国松に利する証言をすることも、ましてや口裏を合わせるはずもございませぬ」
ジッチャンは警戒するようにオヤジを見返し、
「……なにが言いたい?」
ふたりのあいだにピリピリした緊張がはしる。
「三十郎によりますと、国松の言動は逐一お福に報告するよう、近習一同命じられているそうにございます。ゆえに、あの話もその日のうちにお福に伝えられ、お福はそのまま、大御所さまのもとに向かったものと思われます」
な、なんだって?
兄貴の近習全員がおれを見張っていた!?
衝撃の事実に青ざめるおれに、オヤジは真っ黒い笑みをむけ、
「国松、どうやらお福はそなたを排除しようとしているようだな」
「は、排除っ!?」
たしかに、お福は、
――あ!――
こ、これは……考えてみると、
でも、おれはすでに宗家を去り、兄貴の地位をおびやかす恐れはなくなった。
なのに、なぜお福は、おれをおとしいれようとするんだ?
まさか…………これが、歴史の修正力なのか?
どうあがいても、結局おれは、粛清される運命から逃れられないのか?
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