第26話 天守閣


「おっと、危ない!」


 三十郎は、フラフラと堀に落ちかけたおれの腕を、間一髪でつかんだ。


「いまにして思えば、先ほどのお話、国千代さまには少々刺激が強すぎましたね。申しわけありません、配慮が足りませんでした」


 揶揄やゆするようなその口調に、真っ白になっていた脳内が一気に覚醒する。


「バ、ババす、すす、お、おお、もも、こここ、ではななっ!」


「『バカにするな! おれはもう子どもではない』? 

 いえ、あの話をしてからは、目もうつろですし、足どりもおぼつかないごようす。

 それがしとしたことが、国千代さまがいとけない子どもだったということを、すっかり失念しておりました」


 口角をいたずらっぽく上げながらの謝罪に、さらに心はボキボキ。


 と、


「ななな、すすっ!?」(なにをするっ!?)


 気づくとおれの左手は、三十郎の右手にがっちり捕獲されていた。


「ご無礼を。なれど、先ほどから何度も堀に落ちかかっていらっしゃいますし。見ていてハラハラするのです」

 

 まるでガキのように手をつながれ、前世+今世でオーバーサーティなおれのプライドはもはやズタズタ。


「ほら、これならもうだいじょうぶ。国千代さまが喪心なさったは、それがしの落ち度。責任を取ってお世話いたしますので、存分に甘えてくだされ。

 ああ、ご心配なく。それがしは男色嗜好そういう趣味はございませぬ。

 あ、それとも、オンブか抱っこのほうがよかったですか?」

   

「うるるる、だっだだ(うるさい、だまれ)!」


 なんたる屈辱!


 いやしくも九千九百九十九石の大身旗本が、こんなみっともない格好で江戸城職場前を引きまわされるとは、どんな羞恥プレイだ!?


 それに、お手々つなぎだけでもショックなのに、


「それがしは一昨年嫁をもらったのですが、いまだ子宝にめぐまれず~(うんぬんかんうん)~できれば、国千代さまのようなかわいい男の子が~(うんぬんかんぬん)~早くこうしてわが子と手をつないで散歩を~(うんぬんかんぬん)~おかげですこし父親気分を味わえ~(うんぬんかんうん)~じつに楽しい!」


 完全にガキあつかい!


 また、その言葉のひとつひとつが、イヤになるくらい的確におれのメンタルをえぐってくる。

 ヘタな物理的拷問などより、よほど堪える!



 えげつない精神攻撃にさらされ、抵抗する気力を失ったおれは、どこから見ても引率のお兄さんに連れられた、ふてくされた駄々っ子。

 すれちがう侍たちのなまあたたかい視線が、心に突き刺さる。



 大手門を出たおれたちは、堀沿いに南下した。


 しばらく歩くと、堀は直角に流れを変えた。

 水面に城壁の漆喰壁を映しながら西に向かった蛤堀は、坂下門の先でふたたびカーブし、今度は蓮池堀と名を変えて、平川のほうに流れていく。



 坂下門前のちょっとした広場で足を止めた三十郎は、

 

「ここからですと、大天守と小天守がよく見えるのです」と、本丸のある方角を指した。


 

 この時代元和元年の江戸城には天守閣がある。


 ジッチャンが慶長十二年に建てた『慶長度天守』と、後世呼ばれる最初の天守閣が。


『最初の』というのは、ジッチャンの天守はのちにオヤジによって壊され、位置を変えて建て替えられるからだ。


 ところが、この天守――『元和度天守』もオヤジの死後、兄貴にぶっ壊され、新しい天守閣が再建されることになる。


 そして、家光が建てた世界最大の木造建築『寛永度天守』は、明暦三年一月に起きた『明暦の大火』によって焼け落ちてしまう。 


 その後、天守閣は財政難のため二度と造営されず、結局、江戸城に天守閣が存在したのは最初の五十年のみ。


 そういう意味では、大天守だけでなく、のちの再建では造られなかった複数の連結式小天守まであるこの風景を見られるのは、とてもラッキーなのだ。


 そんなレアな天守閣は、天を摩する冬の富士のごとき純白の巨大楼閣。



(相かわらず、ムダにデカいなー!)と、お口アングリで見あげていると、


「天下一の御城にございまする」


 自分が造ったわけでもないのに、三十郎がなぜか胸をはる。

 

「…………」


 さっきの屈辱的あつかいも相まって、そのドヤ顔がひどくイラつく。


「なあ、三十郎、この天守、あとどれくらいここに在ると思う?」


 むしゃくしゃするので、未来知識でささやかな仕返し。


「はぁ?」


 取りすましたつらがポカンと呆ける。


「おれの予想では、いまから五十年もしないうちに、この城から天守そのものがなくなる」


 正確には、あと四十年ちょっとだがな。


「そ、それはいかなることにて!?」


「ふん、知るか。自分で考えろ」


 そう突き放し、いま来た道を猛ダッシュで駆けもどる。


「あ! お待ちを!」


 くそ、さっきは、さんざんいたぶりやがって!


 せいぜい見つからない答えを探して、ハゲるまで悩めばいいんだ!



 一矢報いたうれしさに高揚したおれは、みじかい足で出せる最速のスピードで主君のもとに帰った。



 そして……


 一刻(約二時間)ぶりに帰還した兄貴の居室で、おれは、ジッチャンが駿河を発ってこちらに向かっているという凶報を聞くことになるのであった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る